something for the pain





 風が肌に冷たかった。
 孤独感に倦んでこの船に上がったというのに、誰かと言葉を交わす前にもう一人になりたくなっていた。

 昨夜の宴の後、シャンクスの部屋には行かなかった。夜通しずっとデッキにいて、誰と語らうでもないまま、一人で暗い海を眺めていた。

 今ではクルーは船室に引き上げ、酒のボトルやジョッキが散乱した甲板にはエース一人しかいない。彼にはそれがありがたかった。
 東の空が菫色になり、次第にクリスタルのような透明さを増していく。水平線が刃のように細く輝きはじめた。

 夜の間、シャンクスはどうしていただろうとエースは思った。船に上がっておきながら、彼に抱かれなかったことは今までに一度もないのだ。
 体だけの関係でもないし、シャンクスが自分にそう期待しているとも思えないので、怒ってはいないだろう。
 でも変に思われたかもしれない。

 エースはため息をついた。実際はじめは、いつものようにシャンクスに抱いて欲しくてここに来たのだ。でもいざとなって恐くなった。
 今彼に全部委ねて我を忘れたら、崩れてしまうかもしれない。今まで必死に保ってきたものが。
 子供のように彼に抱きしめられ甘やかされたら、二度と立ち上りたくなくなるかもしれない。

 ティーチの情報が入った。
 今度こそ本命だった。
 一人で戦わなければならない。

 夜明けの風が冷たかった。






 目を覚ますと、窓から差し込む明かりが白くなっていた。夜があけはじめている。

 昨夜エースはこの部屋に来なかった。宴のときから少し様子がおかしかったのには気がついていた。
 目覚めた直後、エースがいないとわかったときは暢気に残念に思ったが、すぐに嫌な胸騒ぎを覚えた。

 黒ひげの追跡過程で、何か進展があったのかもしれない。彼が抱え込む性格なのは知っていた。
 それに何事もなければ、必ず気まぐれな猫の顔でこの部屋に来たはずなのだ。




「珍しく早いじゃないか」

 声をかけると、エースが振り向いた。水平線からかすかにのぞいた太陽の欠片が、銀色に空とさざ波を照らしている。
 エースは気恥ずかしそうに肩をすくめた。まるで光の中に立っているようだった。

「あんたもな」
「いつものうるさいのが来なかったから、良く眠れたんだ」
「……寝過ごしたんだ」

 シャンクスがじっと見つめると、エースは観念したように笑った。

「……うそ。行きそびれたんだ」

 シャンクスはため息をついた。エースは静かに光を増していく朝日を眺めている。海風が冷たい。
 シャンクスはマントを羽織っていたが、エースはタトゥーを彫った背中をさらしたまま風の中に立っていた。さすがに寒いのか、両手で自分の腕を抱いてちょっと震えた。
 シャンクスは苦笑した。

「ほら。風邪引くぞ」

 こっちに来いと片手を広げてやると、エースが一瞬無防備に目を丸くした。しかしすぐに何かを堪えるように笑った。

「ありがてぇけど……」

 言葉の続きが出て来ないようだった。この青年は時々悲しむような顔で笑う。シャンクスはそれが気になった。

「どうした」

 エースは視線を逸らし、眩しそうに目を細めて鋭い光を放つ太陽を眺めた。

「……今あんたに触られたら、……なんか崩れそうで……」

 シャンクスは黙って言葉の続きを待っていた。しかし本当は今すぐ彼を抱きしめてやりたくてしようがなかった。

 エースは少し距離をおいたまま、何か恐ろしいものと対峙しているように海を見つめている。
 シャンクスは内心ため息をついた。マントを脱ぎ、エースの肩を包んでやった。

「シャンクス」

 エースがうろたえた表情になった。シャンクスは苦笑した。

「着てろ。見てるこっちが寒い」

 エースがどぎまぎした様子でマントを見下ろした。シャンクスがいつも着ている漆黒の上等なベロアのものだ。
 滑らかな手触りを恐る恐るつかみ、確かめるように自分を包んでほっと小さく息をついた。襟元に顎を埋めたま、まだ少し震えているようだった。

「……シャンクス」
「なんだ」
「全部終わったらさ」

 エースがマントを掴む手に力が入った。

「全部カタがついたら、みんなで酒でも飲みてぇな。オヤジとあんたとルフィと、いつかみんなでさ」

 シャンクスが笑った。

「そりゃ楽しそうだ」

 エースがはにかむように笑った。

「あんたもオヤジも、底無しに飲むからな」

 無理に明るく振る舞っているらしい様子が返って痛々しかったが、シャンクスは何も言わずに彼のクセ毛をくしゃっと撫でた。

「何言ってる、飲むのが海賊だ。そろそろ朝メシだな。厨房をせっつきに行くか」

 シャンクスに撫でられた髪に手をあて、少し唇を噛みしめた後、エースはすぐに彼の背中を追いかけた。










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