「だァれが雄豚だっ、て・・・」
「お前らのことでィ。鏡で自分の姿よく見てみなせェ」
栗色の髪をした少年が(少年と言っていい年頃だと思う。まるく大きな青い瞳に、鋭いひかりが宿っていた)、ちいさな袋をひらりとゆらした。白い何かが太陽のひかりを反射して煌めく。
(あれは、粉?)
先程までとは対照的に、2匹の豚はみるみる青ざめていく。少年はにっこりと、綺麗な笑みを浮かべて鈍色の手錠を取り出した。
「はい、逮捕ー。土方さん、今日の夜は豪華にしゃぶしゃぶといきやしょうぜ」
「おう。総悟、山崎とパトカー呼んどけ」
「へーい」
いつの間にか少年の横では黒髪の男性が煙草をふかしていた。気配の無さにびくりとする。黒炭のように深い黒髪に、思わず目を奪われた。洋装の二人は、カラフルな街の中でよく目立っていた。
ファンファンと大きな音を鳴らしてやってきたパトカーは、二匹の天人を詰め込んで騒々しく帰っていった。まるで嵐のようだった、とその後姿を眺める。最初からこれでは、先が思いやられる。いつからか詰めていた息を吐き出すと、遠い青が瞳に映った。江戸の空は、狭い。
「ねえ、威勢の良い啖呵切ってたそこのアンタ」
「・・・はい?」
「間抜けな声出してねェで、行きやすぜ。土方さんが昼飯奢ってくれるそうで」
「だァれが二人分奢るっつったよ。テメーは自腹にきまってんだろうが」
「えー、ケチくせェ。見廻りついてきてやったんだから奢れィクソ土方」
「何様だよお前は!」
少年と男性は、楽しそうにじゃれあっている(ように見える)。似たような光景をどこかで見たな、と思い、重ねてしまって直ぐに後悔した。
あの懐かしい場所で、懐かしい彼らがじゃれあっている姿が脳裏に浮かんで消える。誰が一粒多く葡萄を食べたとか、川で水をかけてきたとか、くだらないことで喧嘩をしていた彼ら。やさしい記憶の筈なのに、ひどく痛い。
「おい、巻き込んじまった詫びってわけじゃねェが、ファミレスで昼飯くらい奢るから。嫌じゃねェならさっさと来い、置いてくぞ」
「・・・えっ、あ、はい!」
黒ずくめの彼らは、綾音があとをついてきているか確認もせずに、すたすたと歩いていってしまった。この街に慣れているのだろう、人混みをものともしない。迷子になってしまっては堪らないと、慌ててあとを追う。
「何でも良いから頼め」
ぶっきらぼうな言葉とともに手渡されたカラフルなメニューを、まじまじと眺める。知った単語が殆どなのが幸いだった。得体の知れないものばかりだったら、尻込みして何もたべられなかっただろう。おどおどとナポリタンを頼む。ウェイトレスが去ったあと、刺さる視線。自分が余所者だと強く意識せざるを得ないその遠慮のない好奇心に、こわくなってすこし俯いた。
「江戸ははじめてか?」
「は、はい」
「親戚か何かいんのか」
「いえ、そういうわけでは、」
「あーもう土方さん、こんなとこで尋問すんの止めてくだせェ。びびってんだろィ」
少年の言葉に、男性(土方、という名前らしい)は視線を逸らして煙草に火をともした。独特の苦味のある煙が、行き場を失くした視線のようにゆらゆらと漂っている。煙草を吸う男の人にはじめて出会った、なんて呑気なことを思った。
「じゃァ、知り合いも何もいねェんで?今日はどうするつもりなんでィ」
「ええと、今日はどこか宿に泊まって、明日からは貸家と仕事を探そうと思っていて、」
「これから江戸で暮らすつもりですかィ?観光じゃなく」
「え、は、はい」
「トロくせェアンタのことだから、宿の見当も予約も付けてないんでしょう」
「トロくさ・・・!?そ、そうです、けど」
初対面の人間にトロくさいと言われるのはかなり心外だ。この少年、幼さの残るやわらかな声をしているけれど、なかなか刺さることを言う。ふうん、と興味無さげな相槌を打ち、少年は視線を外に向けてしまった。その繊細な横顔は、何か深い考えごとをしているようにも、何も考えてなさそうにも見える。途端訪れた沈黙をどうするべきかわからず俯いていると、滑るように3人分の食事が運ばれてきた。驚いたことに、3人共ナポリタンである。早く食べなせェと少年は綾音を急かし、土方はどこからかマヨネーズを取り出し、
マヨネーズ、を?
硬直している綾音を尻目に、土方はナポリタンが見えなくなる程のマヨネーズをかけて、平然と食べはじめた。綾音の視線に気づき、「かけるか?」と訊ねる。勢い良くぶんぶんと首を横に振ると、すこし残念そうにまたどこかにマヨネーズを仕舞った。
(・・・江戸の人は、皆こんなふうにナポリタンを食べるのかな)
ちらりと少年の方を見ると、特にマヨネーズも何もかけずにナポリタンを啜っている。綾音の視線に気づくと、心底気持ち悪そうに「土方さんはマヨラーなんでさァ」と言い放った。
「ま、まよらー?」
「食い物になら何でもマヨネーズぶっかけて犬の餌にして食う変態のことでィ」
「オイ誰が変態だコラ。大体マヨネーズが至高の調味料だってことをテメーはいい加減認めろ総悟」
「生憎俺ァ土方さんみたいな狂った味覚持ち合わせてないんで。アンタもさっさと食べなせェ、冷めやすぜ」
気を取り直してナポリタンを口に運ぶけれど、衝撃的な光景に味がよくわからない。
江戸には本当に色々な人がいると、綾音は土方の印象を「マヨラー」に書きかえながらのほほんと考えた。
酸っぱい匂いのお昼時やわらかな黄色が、やけに脳裏に焼き付いた
← →
←