坂田さんは、変なひとだ。
坂田銀時という男は、行きつけのヘアサロンのスタイリストである。銀髪のくせっ毛で(天然パーマという言葉を、彼はひどく嫌がる)、いつも寝惚けたような瞳をしていて、それなのに顔もスタイルも申し分なくて。
そして、やたらとわたしの髪を切りたがる。



からんからん。
軽やかなその音で、蜂蜜色の髪をした青年が振り向いた。最近知ったことだが、驚いたことに彼の髪は地毛らしい。純日本人なのに。と思うのは、偏見だろうか。


「すいやせんお客様、只今坂田は他の方の相手をしてまして・・・10分程お待ち頂いてもよろしいでしょうか?」


沖田という蜂蜜色の青年は、業務用だと思われる微笑とともにわたしの隣にすうと立った。構いません、と言うと、我儘な店長ですいやせん、と横から返ってきた。特徴的な喋り方に、少し興味をそそられる。
それにしても、坂田さんが店長。そんなえらい人だったなんて。あのやる気のなさそうなひとが、と思わず笑ってしまう。


「どうなさったんですかィ?」
「いえ・・・店長なんてお忙しい立場なら、わたしのことなんて他の方に任せればいいのに、と思って」
「そうですねィ、俺もそう思いまさァ。貴女の髪には興味がありやす」
「わたしの?」
「はい。とても丁寧にお手入れなさってるんですねィ。良い髪って、すぐいじりたくなるんでさァ」
「ふふ、ありがとうございます」
「店長が独り占めしたい気持ちがよっくわかりやす」


失礼しやした、と言って、沖田くんはすたすたと奥の方へ行ってしまった。独り占め、なんて意味深な言葉をのこして。
独り占め。独占欲?坂田さんが、わたしに?
もし本当だとしたら、それはすごくどきどきすることだ、と思う。久しぶりに、胸の奥があつくなる。








「すみません、お待たせしちゃって」
「いいえ、こちらこそ」
「こちらこそ?」
「あっ、いえ、なんでもないんです」
「沖田の野郎、なァんか変なことをお客様に吹き込んだな?」


やだなあ誤解でさァ、なんて、レジの方から聞こえる。地獄耳だ、と二人でくすりと笑った。


「本日は、どのように?」
「毛先を少し揃えて、あとトリートメントを」
「へえ?大事な約束があるんですか?」


大事な約束?どうなのだろう。
暫く連絡の取れなかった彼氏と久しぶりに会う約束は、大事な約束の部類に入るのだろうか。すこし違う気がする、と思う。
数週間、「出張」や「重要な会議」や「お得意様へのプレゼン」でお互い碌に連絡を「取れなかった」わたしたちは、まるで義務みたいに会う約束を取り付けた。恋人同士ならそうすべきだ、というように。


「・・・どうなんでしょう?よく、わかりません」
「わからないってことは、それ程大事な約束じゃないってことでしょ」
「うーん、そうかもしれませんね」
「そーそー。・・・んー、お客様、やっぱ髪思いきって切りません?俺、短い方が絶対似合うと思うなァ」


予想外の言葉に、そっと胸の下辺りまで伸びた髪を触る。長い方が好きだ、という今の彼氏の言葉がなんとなく引っかかって、切らないでいた髪。もともとショートと呼ばれるような長さまで切ったことはなかったけれど。
さすがに挑戦的だろうか、と思う。


「そうですね・・・気が向いたら、お願いします」
「はァい。そんじゃ、毛先揃えていきますねー」


やさしく鋏が入る。ぱらぱら、と切られた髪の毛が落ちてくる。特にすることもなく手持ち無沙汰だったわたしは、鏡の中を見つめていた。店長になるだけはある、坂田さんの鮮やかな手つき。ふと、鏡越しに目が合った。坂田さんの唇が、音をたてずにゆっくりとうごく。


「・・・!」


勘違いじゃなければ。
今の、言葉は。


「す、き、で、す」


視線を逸らせない。こんなにやさしくてつよい瞳で見つめてくるひとだとは知らなかった。どくり、どくり。聞こえてしまうのではないかと思う程、心臓の音がおおきい。
ふっと、坂田さんの表情がほどける。微かな微笑みを最後に、彼はすうと視線を逸らした。つい一瞬前のできごとがまるで夢か何かであったかのように、軽やかに鋏を動かしていく。
トリートメントをしている間も、彼はいつもとなんら変わらなかった。つまり、退屈させることもなく、手際良く自分の仕事をしたということ。
最後に鏡の前で、髪を梳かしてもらう。「はい、しゅーりょー」のいつもの台詞を坂田さんから貰う頃には、もう気持ちは決まっていた。


「坂田さん、やっぱり、大事な約束でした」
「・・・へえ?どんな約束か、俺が聞いてもいいんですか?」
「さよならを、しにいくんです」


坂田さんは、ぽかん、としている。今までに見たことのない表情。思わず笑みが零れた。
「帰りに、また、寄りますね」と言い残して店を出る。沖田くんの「ありがとうございやした」の声が、笑いを堪えているように聞こえた。







夕焼けが、街全体をオレンジに染めている。そんな中をやや急ぎ足で歩いていた。あの店は、閉店時間が他よりすこし早いのだ。ヒールが邪魔だ、と思う。裸足で駆けたいぐらい、清々しい気持ちだった。
別れ話は、何の問題もなく進んだ。もともと、互いの気持ちが離れていたのだ。「これからもいいお友達でいましょう」なんて、お決まりの台詞で別れた数十分前。あの駅前の喫茶店のコーヒーは美味しくなかった。覚えておこう。
仕事帰りらしいひとたちが、駅に向かって流れていく。その流れに逆らって、懸命に足を動かした。目的地まで、あと、すこし。







からんからん、このベルが鳴るのを聞くのは、本日2度目だ。カウンターに座っていた沖田くんが、にやりと笑って立ち上がる。「てんちょおー、本日最後のお客様でさァ」と言い残して、彼はまた店の奥へと消えた。
それと入れ替わるようにして出てきた、銀髪の。


「本日2度目のご来店、ありがとうございます。どのようになさいますか?」
「気が変わったの、」「ばっさり、坂田さんの思うように、切ってください」


一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに「わかりました」とにやりと笑う。まるでいたずらっ子だ。
鏡越しに、ばちりと目が合う。暴れ出しそうな心臓を宥めすかして、視線を逸らさず、はじまりを告げた。


「わたしも、すきです」


切りおわる頃には、すっかり宵闇が夕焼けの代わりに我が物顔で居座っていた。随分と短くなった髪を撫でる。驚くほど、自分でも良く似合っている、と思った。


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