逆再生のハッピーエンド

彼には、白がよく似合う。例えばシーツの白。あたたかなシーツの上でしずかに寝息をたてている彼は、なにもしらないこどものようだ。
純粋で、無垢で、ときに残酷な。
勿論わたしは彼がそれだけの人間ではないことを知っている。スーツを着て煙草を吸い、仕事に明け暮れ時折くたびれた表情をみせる彼は、立派な大人だった。かつてのわたしが知っていた、彼のすべて。
しかし、シーツの上では、彼はただのこどもになってしまうことを今のわたしは知っている。
純粋で、無垢で、ときに残酷な。


カーテンの隙間からちろちろと覗くひかりに目を細める。時計を見ると、8時を回っていた。身体に残るだるさとすこしの痛みに知らないふりをして、カーテンを開けた。なんてことはない、平和な休日の朝。
彼は、白いシーツの上で未だしずかに寝息をたてている。わたしは2人分の朝食をつくりに、キッチンへ向かう。今日のお味噌汁の具は、豆腐とねぎだ。ししゃもを焼いてもいい。
寝室のドアを開けるとき、彼がすこし身じろぎをした気がしたけれどしらない振りをした。誘惑に負けて近寄ると、たっぷり午前中は無駄になってしまう。


味噌汁の良い匂いが部屋中に漂う。そろそろ彼が起きてくる頃だ。ほかほかと湯気のたっている白米を揃いの茶碗によそったところで、がちゃりとドアが開いた。足音が近づいてくる。


「ししゃもか、」
「うん。もうすぐできるから、テーブルについてまっていて、」
「悪ィな」


ちっとも悪いと思っていないくちぶりで、彼は食卓につく。わたしは気にしない。朝食を全て食卓にならべて(マヨネーズもわすれずに)席について、二人で手を合わせて「いただきます」を言う。食事のたびに思うけれど、この「いただきます」というのはどこか儀式めいている。今日の朝食は、白米、豆腐とねぎの味噌汁、ししゃも、お漬物。彼は和食がすきだ。


「今日、お買い物たのめる?」
「ああ。リストを作っておいてくれ」
「夕方から雨が降るらしいから、傘を持っていってね」
「車で行くから問題ねェよ」
「そう、」


二人の食卓には、あまり会話がない。それを苦痛に思ったことはない。わたしはお喋りなひとが苦手だ。
彼の綺麗な歯がししゃもを噛みちぎった。ごはんと一緒に咀嚼され、ししゃもはごくんと飲み込まれる。上下する喉仏から、わたしは目が離せない。なんて綺麗に動くんだろう。


「気分が悪いのか?」


彼の一言で、わたしは思考を引き戻される。大丈夫、と笑ってみせると、ほっとした顔をする。彼はわたしが外に出たい、と言い出すことをおそれているのだ。外に出ればわたしはたちまち死んでしまうのだと思いこんでいる。なにか悪い病気をもらって、とか、交通事故に巻きこまれて、とか。
彼の初恋のひとのように。


彼の初恋のひとは、病気で亡くなったそうだ。彼が大学生の頃の話らしい。わたしは彼女の写真を一度だけ見たことがある。綺麗なひとだった。やわらかな瞳で、彼の隣で、わらっていた。


「必要なものがあれば、おれが何でも買ってくるから。贅沢はさせてやれねェが、」
「大丈夫」


安心させるために、にっこりわらってみせる。
彼と暮らしはじめてから、わたしはこの部屋を出たことがない。それで構わない、と思う。彼が安心するのなら。


「わたしは、満足しているから」




















たべおわった食器を洗い、洗濯にとりかかる。
白い泡と一緒にぐるんぐるん回る洋服たち。彼のシャツとか、わたしのスカートとか。洗濯機のなかで、それらはとてもいきいきしてみえる。


「なあ、」

熱にうかされたような声がわたしをよぶ。首筋にキスがおちた。


「しようぜ」


くちびるとくちびるをあわせる。彼の指が腰をなぞる。わたしはよろこびとあきらめとすこしのかなしみをもってそれを受け容れる。
彼はわたしをベッドまで連れていく間、くちびるをはなさない。まるで愛しあっている恋人同士のように。目元をほころばせて、わたしの知っている限り一番甘やかな表情で、こどものように名前をよぶ。


「ミツバ、」


必要なものはすべてこの部屋にあって、彼に愛されていて、わたしは満ち足りているはずなのに、彼がその名前をよぶたびに、わたしはしあわせから遠くはなれた場所にいるような気がしてしまう。彼のすこしかさついた唇をうけながら、いつまでいられるだろう、と考える。この白いシーツの上に。


逆再生のハッピーエンド



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