あの夏を諦めた水槽の中で

*劇場版完結篇よりもすこし前
白詛が出てきて数ヶ月後くらいのおはなし











蝉の喚き声も強烈な陽射しも届かないそこは、世界から、夏という季節からぽつんと取り残されているようだった。白で埋め尽くされたこの部屋で、だれかが見舞いに持ってきた花は居心地が悪そうに花瓶に生けられている。おれみたいだ、と思った。花のように綺麗じゃないし存在感も希薄だけれど(自分で言ってかなしくなってきたのでこの辺にしておく)。この部屋に、おれの居場所はない。今寝息をたてている彼女にも、つい最近までは縁のない場所だったのに。


すっかり色素の抜け落ちてしまった髪を指で梳いてみる。細くて頼りないそれは、絹糸のようにすべらかに指のあいだをすりぬけていく。睫毛がふるふるとゆれて、ゆっくりと瞼がひらいた。何度かぱちぱち瞬きをして、やっと焦点があう。


「こんにちは、退。寝顔を観察するなんて悪趣味よ」
「起こすのも悪いと思ったんだよ。調子はどう?」
「今日はわるくないわ。検査もない日だし」
「それはよかった」


調子が良いと語る彼女は、それでも起き上がろうとしない。それだけでひどく体力を消耗するのだろう。つい一月前は隊服を着て、ぴんと背筋をのばしていた彼女が。
水がほしいという芙由花に、ミネラルウォーターを渡してやる。ほそい喉が上下する。喉だけじゃなく、身体中から肉が削げ落ちてしまった。この腕で刀を握っていたのだと言っても、信じる人はいないだろう。


「外はどう?」
「暑いよ、とっても。蝉は五月蝿いし土方さんも負けないくらい五月蝿いし、ひどい夏だ」
「ふふ、今度副長がお見舞いに来たら伝えておくね。退が、副長が蝉並みに五月蝿いってぼやいてた、って」
「うわああやめてよ!?おれ殺されるよ!」


白詛とかいう感染症の出現により、真選組の仕事は膨大なものとなった。地球を脱出しようとする要人たちの警護、無法地帯へと姿を変えようとしている江戸での治安維持。
それでも、天人の技術と地球人の努力により進歩した最先端の医療があれば、この感染症と混乱は直ぐにおさまるだろうと誰もが思っていた。最初のうちは。
いつまでたっても幕府からのワクチンや特効薬を開発したという情報は回ってこない。人は足りず、疲労は蓄積されていく。終わりの見えない混乱と、真選組はぎりぎりの状態で戦っている。


そして、遂におそれていた事態が発生する。
隊士の白詛発症。
監察方の榊芙由花は、一週間程前、救急車でこの白い部屋に搬送された。
それからは、点滴とカロリーの高い液状の栄養食で、忍び寄る死を先延ばしにする日々が続いている。効果があるのかどうかはわからない。実際はただの気休め程度なのだろうけれど、おれたちにはそれに縋るほかに手立てはなかった。


「みんな、元気?」
「うん。沖田さんが髪をのばしはじめたよ。抜刀斎になるんだってさ」
「あは、何それ。みてみたいなあ」
「今度一緒に会いに来るよ」
「うん、たのしみにしてる」


沖田さんは、芙由花が入院してから一度も病院に行っていないらしい。おれも仕事が立て込んでいたから、この病室を訪れるのは実ははじめてだったりするけれど。
嫌にしずかだ。沈黙が支配する真っ白な部屋で、芙由花は何を考えているのだろう。


「退、つかれた顔してる」
「そう?まあ、仕事が忙しいからね。雑務に潜入捜査に」
「潜入捜査?」
「うん。こんなときに面倒事起こさなくたっていいのに、おれの体がいくつあっても足りないよ」


船を持っているような大規模な攘夷浪士の集団は宇宙へと逃げ出したようだが、あまり金のない、ゴロツキのような奴らはまだ江戸に残っている。つい先日も、違法薬物を白詛のワクチンだと偽って売り捌こうとしていた密輸組織と浪士のグループをひとつ検挙した。
雨が降っている、いやな夜だった。隊士が二人負傷した。副長と局長は苦虫を噛み潰したようなかおをして、書類を睨んでいた。沖田隊長は縁側でひとり、刀の手入れをしていた。
「どうなんだろうなァ、これから」
ぽつりと零れた沖田隊長の言葉と雨の音が、耳から離れない。


「さがる?」


やわらかな声に、記憶の海から浮上する。聞いてなかったでしょう、と不満を滲ませる彼女の頭をそっと撫でた。ご機嫌とりのために、そして、おれが安心するために。
大丈夫。まだ、ちゃんと、ここにいる。彼女はまだ、生きている。


「ごめんごめん。何のはなしだったっけ」
「わたしと退で潜入捜査のとき、一回ヘマしてスパイだってばれて逃げ回ったねって話」
「ああ、あったね、そんなこと」


どのくらい前だったか、何という案件だったかも覚えていない。いつかの真夜中、おれたちは知らない町を逃げ回っていた。町のはずれに隠しているパトカーまで逃げ切る、もしくは応援が到着するまで耐え切ればおれたちの勝ち。運の悪いことに、その日は潜入していた組織ともう一つの組織との会合が行われていて、おれたちはかなりの人数を撒かなければいけなかった。


「夜通し逃げ回ったね、なつかしいなあ」
「もういやだ、真選組なんてやめてやるって喚いてたくせに」
「うるさいな。だって疲れてたんだもの、すごい形相でみんな追いかけてくるし」
「そりゃあね、命と情報がかかってるからね」
「あなたにもね」


息が詰まった。
あんまりにもやさしい瞳でそれを言うから。


「…屯所に帰ってきてから食堂のおばちゃんにつくってもらったおうどん、おいしかったなあ」
「……また、たべればいいだろ」


飛び出した言葉に、動揺する。困惑する。何か続けようと思うけれど、おれの貧相な語彙からはぴったりの言葉は見つけられなかった。


「そうね。屯所で、みんなと、」


芙由花は、唐突にそこで言葉を切った。困ったように視線を彷徨わせ、俯く。「…つかれたから、すこし眠るね」ぽつりとそう言い残して、布団の中に潜り込んでしまう。ほんとうに疲れてしまったのだろう、暫くすると、かすかな寝息が耳に触れた。布団がやわらかに上下している。おれが目をはなした隙に、このやわらかなかたまりは息をするのをやめてしまうような気がした。屯所で山のような仕事がおれを待っているというのに。
すべての音が消えた気がした。世界から置いてけぼりにされたこの部屋で、おれはまだ、動けずにいる。


あの夏を諦めた水槽の中で




[ 4/9 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -