この六畳半に有り余る劣情



大きな雨粒が窓を叩いている。夏の雨は、空気を冷やすどころか湿気で不快感を助長させるからきらいだ。冷房という文明の利器のおかげで快適なはずの室内にもいつの間にか湿気は忍び込んでくる。
テリトリーであるベッドは来客に占領されていて、おれはつめたい麦茶を出すために台所に立っていた。このおれが!自ら進んで来客にお茶を出すなんて!ここに姉上がいたらまあそーちゃん大人になったわねえ、なんて褒めてくれるにちがいない。あたりまえだ、おれだってもう大学生だ。


「総悟ー、のどかわいたー」


誰に向かって口きいてんでィ、水道水ぶっかけてやろうかコノヤロー。
そう言いたいのをごくりと我慢して、きんきんにひえた麦茶を出してやった。来客ー芙由花は、目をまるくする。


「うそでしょ、」
「なにが」
「あの総悟が!わたしに水道水じゃなくて麦茶を出すなんて!熱でもあるの?」
「雨水が飲みたいんですかィ?」
「いいえありがたくいただきます」


来客といっても、べつに大した奴じゃない。幼馴染みの芙由花だ。実家から通うことのできる女子大に入学した芙由花とは、この春からはじめてはなればなれになった。すこし実家から離れたところの大学にぎりぎり滑りこんだおれは、大学近くの学生マンションで一人暮らしをしている。
当然一緒の大学に行くものだと思っていたおれは(だって、頭のよろしい土方とはちがっておれと芙由花はどんぐりの背比べだ)、芙由花の進路をきいて動揺した。それもかなり。姉上に体調を心配された程だから、よっぽどだったんだろうと思う。
まあ、それも昔の話だ。


「この何か月かの間に成長したんだねえ、総悟」
「テメーは全然変わってねーな」
「どこ見て言ってんのよそんなに短い間で成長したら悩んだりしないんだけど」


芙由花には、変わったところはひとつもない。当たり前だ、数ヶ月前に会ったばかりの人間が見る影もなく変わっていたら困る。受験が終わってから染めた暗めの茶色い髪が、冷房の風ですこしゆれた。


「とーしろ、遅いね」


変わったことといえば、この幼馴染みが同じ腐れ縁のクソマヨ土方コノヤローと付き合いはじめたことくらいだ。


「医学部は講義詰まってるからねィ。もーすぐ終わんじゃねーの」
「医学部かあ。なんかすごい、遠くなっちゃった気がする」

遠くなったのはお前もでィ、と心のなかで毒づく。
小学生のときから一緒だったふたりは、ずんずんとおれを置いていってしまった。おれはひとりで取り残されて、その後ろ姿を眺めることくらいしかできない。時折顔を見合わせて笑って、たのしそうに歩くふたりとの距離感が、おれはわからなくなってしまった。


「今日はわたしがご飯つくるね!ふたりとも一人暮らしでインスタントばっかりたべてそうだし!」
「うへえ、芙由花の手料理とか…遺書書いとこ」
「そんなにひどくないよわたしの料理!普通だよ!」
「どーだかねィ」


鼻で笑ってみせると、芙由花はくやしそうに足をばたばたさせた。ショートパンツからのびるそれに、思わず目を奪われる。
こういうのは、どうなんだろうか。
今までは特に気にもとめなかったけれど、ふたりきりで、ベッドに寝転がる女というのは、だめだろうと思う。土方は気にしないのだろうか。まあ、彼らの場合は「そういうこと」になっても何も不都合のない関係なのだけれど。


じゃあ、おれは?おれがもし、芙由花と「そういうこと」になったとしたら?
幼馴染みという枠は、一体どこまでを許容しているのだろうか。その限界をこえたら、おれたちは何という名前で括られるのだろう。
室温が急に上がった気がした。


「そういえば、総悟は9月ひま?3人でさ、旅行行こうよ!レンタカー借りてさ!あーでも電車も捨てがたいなあ…ね、どっちがいいと思う?」


いつもおろしている髪を結んでいるせいで露になったうなじの白さが目に眩しい。舐めたらしょっぱい味がするのだろうか。
ぎしり、安いベッドのスプリングが唸った。


「そーご?」
「無防備すぎ」


ゆれる瞳がおれを捉えた。おれとも、土方ともちがう、濡れた黒。芙由花の瞳に映った自分がひどく追い詰められているようなかおをしていて、すこし笑える。
ゆっくりと体重をかけると、芙由花のからだがぶるりと震えた。腰のあたりが熱を孕む。こいつに欲情する日がくるなんて。


「そう、ご」


ああ、こいつ、なくかもなあ。
そんな考えが浮かんで漂って、気がつけばおれはベッドを離れていた。頼りない足取りで、台所へ向かう。ひどく喉がかわいていた。


「…土方んとこ、先行っとけ。鍵持ってんだろ」
「う、うん、」


澱んだ空気が部屋を支配している。麦茶のペットボトルにくちをつけて、つめたい液体を流しこんだ。冷蔵庫に凭れてぎゅうと目を瞑る。座りこんでも体内で暴れる熱はおさまってはくれない。


「…あの、総悟、は、」
「……俺ァあとで行くんで」
「そか…えっと、じゃあ、あとでね」


ぱたぱたという足音を残して、芙由花は部屋を出ていった。ひとりきりになった部屋で、またベッドがぎしりと唸る。


「っは、だっせェ…」


薄暗い室内に、雨の音が響く。
纏わりつく熱はしばらく消えてくれそうにない。


この六畳半に有り余る劣情




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