僕×君=?



・・・事の始まりは、雨のしとしとと降る、秋のはじめの方だったと記憶している。
詩音はその頃、親の残した多額の借金に振り回されていた。毎日毎日、借金取りから逃げる日々。
その日は、大きな川の橋の下に寝床を構えた。
雨に濡れながら走ったせいで、体は冷え、疲労も溜まっている。そろそろ寝ようかとうとうとしていた時、ぬっと人影が現れた。


「はー、すっかりびしょ濡れじゃ」


参った参った、とまったく参ってなさそうに笑う人影は、詩音の気配に気づいたのかくるりと振り向く。
サングラスに隠れたその目が、一瞬僅かに見開かれた気がした。


「おまんも、雨宿りがか?」
「・・・・・・」


何も言わずにこくりと頷くと、じゃあ仲間じゃのう、と男はなぜか嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、悟った。
この人は、きっと良い人だ。


「ずーっと、雨宿りしてきたがか?」


「?」


男の言葉の意味がわからず、首を傾げる。
男はやさしげに笑って、詩音の前にしゃがみこんで、目線を合わせた。


「随分長いこと、笑ってないような顔しちゅう」



「・・・!」



そんなに、不幸そうな顔をしていただろうか。
確かにここ暫く笑っていなかったが、それを初対面の人間に悟られるとは。



「隣、えいがか?」



詩音の許可をもらって、男は詩音の隣に腰をおろした。
・・・誰かが隣にいるだけで、こんなにもあたたかくなるものだっただろうか。


「・・・ずっと、逃げてたんです」


気づけば、ぽつりと言葉を零していた。


「親が、借金残して死んじゃって、ずっと」
「・・・そらぁ、大変じゃったのう」


・・・何を話しているんだろう。
こんな不幸な身の上を話しても、同情するだけで誰も助けてなんてくれないと知っているのに。


「おまん、わしと一緒に来るがか?」
「・・・へ?」
「おまん一人ぐらい、養っても苦労はせんくらいの金はあるきに」


罠なんじゃないかとか、そういう可能性は小指の先ほども考えていなかった。
ただ、首を縦に振るだけ。
それからその男は誰かに連絡をして、さあ、行くぜよと快活に笑った。


「あの、貴方の名前は」
「わしか?わしは、」
「坂本辰馬じゃ」















「辰馬ーっ!」



そして、今。
詩音は坂本を探して、船内を歩き回っていた。



「くっそ、ふざけんなよあのもじゃもじゃ、あたしにだってやることいっぱいあるのに・・・」



それでも坂本を探すのを断らなかったのは、それが尊敬する陸奥の頼みだったから。・・・別に、坂本に特別な感情を抱いているとか、そういう類いのものではない。



「辰馬ー、どこ行ったの、辰馬ー?」



わざと優しい声で呼んでみる。こうすれば坂本がひょっこりと現れることを、詩音は今までの経験で知っていた。



「おお、詩音!丁度良かった、わしもおまんを探しに行くところやったぜよ!」



「ふーん、そう。戻るよ」



「何言いゆうがか、おまんはわしと一緒に今から地球に行くことになっちょるぜよ」



「・・・へ?」



詩音は最近の坂本との会話を思い返してみる。



「・・・いや、あたしそんな約束した覚えないんだけど」



「当たり前じゃ、わしがさっき決めたんじゃき!」



アッハッハ、と笑いながら、さぁ、行くぜよ!と坂本は詩音の手を握って歩き始める。



「いや、だからあたしは陸奥に辰馬を探してきてって頼まれ・・・」



「探して来いち頼まれたんじゃろ」



「うん」



「探してつれて来いとは言われとらんき、大丈夫ぜよ」



「うー・・・ん、それはそうだけど」



「それに、大概の用事はあいつ一人で何とかなるきに」



そこは微塵の躊躇いもなく頷けるが。



「でっかい松阪牛でも食わせてやるき、はよう行くぜよ!」



「ま、まつざかぎゅう・・・!」



その神々しい響きに、詩音の目がきらきらと輝きだした。
食べ物には目がない。



「れっつごーぜよ、詩音!」



「うんっ!」



陸奥からの頼みなどはとうに頭の隅に追いやられ、詩音は坂本とともに上機嫌で地球に向かったのだった。












「っはー、お腹いっぱい!」



「ようけ食ったのー、アハハハハ!」



「幸せー」



船に乗って帰路につきながら、詩音はふと坂本に訊ねてみた。



「ねえ、辰馬」



「ん?」



「辰馬はさ、なんであの時、あたしを拾ったの?」



ずっと、疑問に思っていた。
金銭的に問題がなくても、初対面の人間を自分の船に連れ帰るなど。良い人間である保証など、どこにもないのに。



「あー、ありゃあ、おまんが捨てられた子猫んような目ェしとったからぜよ」



あまりにも簡潔かつ単純な答えに、思わずは、と間抜けな声が漏れてしまった。



「・・・それだけ?」



「それに、おまんは将来めんこいわしの彼女になるっちゅう予感があったきに」



「・・・ふっ、ふくくっ、何それ」



「わしの予感はばっちし当たるんじゃき」



「くくっ、あははっ、そ、そりゃどうも」



坂本らしい理由があまりにもおかしくて笑い転げていると、坂本がふっとやわらかく笑った。



「おまんはそうやって笑ってるのがえい。捨てられた子猫は似合わんぜよ」



そのやわらかな笑みに、不覚にも顔があかくなり。
坂本に抱きついて、その頬を隠した。



「辰馬、だいすき」



「わしもだいすきじゃ、詩音」



ぽんぽんと頭を叩かれ、顔を上げると額にキスがひとつ、おとされた。



「詩音、」



「うん?」



「愛しゆうよ」



「・・・っ!・・・あたし、もっ」



僕×君!


(それは、しあわせの方程式)


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よいよいへの捧げものです。
よいよいに限りフリー!




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