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喪失、のち、捜索





(未練はない。泣き言もいわない。いつかこうなることがわかってなかった、なんて微塵も思っちゃいなかったから。だけど、)



小さく、清んだ音をグラスのなかで揺れた氷がたてた。
行き付けの世音から少し離れた場所のこのバーで落ち着けないのは、慣れない場所だからか、慣れないツレがいるからか、それとも。
直接会って話をしたいと寒空の下呼び出され、渋々行った先であいつの口から出た言葉がまだ消化出来なくて…というか行き着く場所のないまま、胸の内をふらふらさ迷っている。

「意外だね。アイツは俺の伴侶は寅さんだーとかふざけたこと言って、ずっと独り身でいるもんな気がしてたけど」

透明度のないあかいカクテルをマドラーで無意味にかき回しながらその珍しいツレ、茶倉が漏らした声は、案外平静だった。
話を終えたあいつと別れてからすぐ茶倉に連絡を入れたそのときつい、茶倉はそのあいつとの話の内容を聞いて取り乱すとかせめて少し動揺するとかするものだと思っていたが。予想は見事に外れて、知ってるよあいつからあたしもきいたから、と。冷静に呟かれたそれは、多分俺以外にそんな言い方はしないんだろうが、普段と変わらない人をはね除けるような刺々しい声で。

「……で?アンタがあたしに、っていうか、だれかに奢るなんて珍しいじゃないか。そんなにアイツが結婚するのがショックだったのかい」

小馬鹿にするような神経に障る話し方に反論しようとする前に、茶倉が口にした二文字の単語にグラスを握るてのひらが一瞬跳ねる。図星をつかれて驚いたとか焦ったとかそんなんじゃないし、何故そんな反応をしてしまったのかすらわからないけれど隣のそいつが小さく漏らした笑い声に、苛立ちを覚えたのは確かだった。
あいつ、が。結婚すると決めたならそうすればいい。偉そうな態度が時々鼻につきはするけれど金はあるし、基本的にひとに優しいし、写メで見せて貰った相手はけっこうイイ女に見えたし、なんの問題も障害もないのだから。
と、言うか。そもそもショックを受けるなんて前提がおかしいだろう。だって、俺とあいつは。

「…そんなんじゃねーよ、別に。多分、俺らはお前が思ってるような関係じゃなかったし」

ひくりと、今度は茶倉が指先を震わせる。
そりゃあ、ふたりで連れ添って出掛けることも多かったし馴染みのゲームセンターにだってよく一緒に行ってるし、それこそ体を重ねることだって数えきれない程あったのだが。手を繋いだことも、揃いのなにか、例えばアクセサリーを買ったことも身に付けたことも、恋人みたいに愛を口にしたことすらない、わけで。
つまり何か特別な関係だったとかじゃあないのだから、あいつがどうこうするのを拘束する権利も義務も義理も、そうしたいと言う願望だって勿論ないのに。

「けど、よ。なんか…納得いかねえっつーか、苛々する、っつーか」

傾けたグラスから注がれた度数の高いアルコールが、ゆっくりと喉を、胃を灼く。
ちりりと腹の底を焦がす熱を不快感と一緒に吐き出した、つもりだったのに唇から漏れたのはぬるい溜め息だけだった。

「なんで、そうなんのかは知らねェけど」

きっとあいつの結婚に誰よりも衝撃を受けてそして凹んでいるであろうこの、いけすかない女を。嘲笑ってやって、その姿を肴に酒でこの行き場のない正体不明の感情を吹き飛ばしてやるつもりだった(これは八つ当たりだ、わかってる)のに。
茶倉は結局いつもと変わらず可愛げない態度でムカつくし時々ちらつくあいつの照れ臭そうな顔のせいで余計苛々してくるし…ストレス解消どころか逆効果じゃねえか。帰ってひとりで飲みなおすか、それともサイレン辺りを呼び出すか。この場からそうやって精神的な逃走を謀り始めた俺は、がたん、と。少し乱暴にカウンターにグラスを置いたその音で、すぐに現実に引き戻された。

「男のクセに女々しい奴だね、アンタ。ホントはわかってんだろうにうだうだ言ってばっかりでさ…認めちまえばいいのに」

元々鋭い赤い眼を、更に鋭く細めた茶倉が低く、呟く。咄嗟に胸ぐらに掴みかかろうとしてすぐ、やめた。今はそんな気分じゃない。

「は?何を、だよ」

「好きだったクセに。だからしょげてるんだろ?」

誰を。
とは訊かない。訊かなくてもわかった。
ひとを馬鹿にするのもいい加減にしろ、と思った怒りは一周して、口角に引きつった笑みを形作る。

「…フザケんのも大概にしろ。誰が、あいつなんか。お前と一緒にするんじゃ、」

「そうさ、あたしはアイツのこと、好きだったよ。いや、今でも好きで、だからあたしは結婚の話を聞いて凄くショックだった、だけど」

憤りとか嫌悪とか、そんなものを圧し殺してるような声を絞り出すそいつのかおは、伏せられてしまってバーの暗い照明ではうかがえなくなってしまった。一度切られた言葉の続きを促してやるほどお人好しじゃない俺は、融けた氷で少しだけ薄まったアルコールを喉に流し込む。
平日だからだろう、元々小さなバーにいる客は俺達だけで、お互いに黙り込んでしまったせいか店内に聴こえるのはカウンターの隅でバイトがひとり、何か作業をしている音だけで。
ゆっくり、ゆっくり、グラスの中で、琥珀色の液体に氷から融け出した透明が混ざり陽炎みたいに揺らめいていた。

「……アイツの側には、アンタがいたから。アンタといるアイツが幸せそうだったから、だからあたしはそれでいいんだって、ずっとずっとそう思い込んで来たのに」

いつの間にか空になった、赤い液体の名残だけを残すグラスを握りしめながら勝手なことを並べ立てはじめた茶倉に、半ば睨み付けるみたいな視線を送る。
勝手にそう思い込んで勝手に身を引いて、今度は勝手に恨みがましくグチグチ言って。意外とおめでたい思考の持ち主なんだなそこらの頭の悪い恋愛を美化したがる女共となんだ、こいつも同じじゃねえか。
アンタがそんなふざけた考え方でアイツの側にいたんなら、こうなる前に奪っちまえば良かった、と、小さく呟く茶倉の声に今度こそ、どこかでぷつりと、張り詰めた糸が切れる音が重なった。

「じゃあなんだよ、もし、もしだぜ。俺があいつを好きだったとして、それを認めてたら何か違ったって言うのかよ」

「アイツだってアンタを悪く思ってなかった、寧ろ好いてるのは間違い無かった!だからアンタがちゃんと認めてれば今頃アイツは、何処の馬の骨か知れないアタシの知らない女なんかと、」

「マジで、馬鹿じゃねーの?俺は男で、あいつも男で。一緒になんかなれねえんだよ、それじゃいけねえんだよ!お前があいつと一緒になれないのと同じでな!」

堪らず怒鳴り付けた茶倉の顔はまず驚きに固まって、それからじわじわ歪んでいった。
世間体とか性別の壁とかそういうモノを越えられない俺と、未だ半信半疑ではあるけれど一度死んだ、なんてファンタジーな経験をしているせいであいつと一緒になる選択肢のない茶倉。ああなんだ、認めたくはないけれど俺とこいつはもしかしなくても、同じような立場で同じくらい惨めで同じようにショックを受けてたワケだ。
そんな似た者同士の俺達の間に流れる何十秒か何分かの気まずい沈黙が、ガタンと鈍く固い音によって壊される。
反射的に視線を向けると、メットをひっつかんだ茶倉が立ち上がったところだった。

「……今日はマズい酒を奢ってくれてどうもありがとう。またの機会は二度とないだろうけどね」



店を出ていく茶倉を見送ることもしないで、ただなんとなく喉に流し入れた酒は融けた氷で薄まったせいだろうか、味がしない。
苛立ちながらも残った液体を一気に飲み干したグラスの底でまた、氷が揺れる音がした。



***




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