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壊してしまったのは僕なのに





力いっぱい投げつけられたクッションが、俺の顔すれすれを掠めて壁にぶち当たる。
結構物凄い音がして、やっぱりあいつは普段は大人しくしているけれど俺より背も高くて力のある人種なんだな、なんてぼんやり再認識した。

「……出て行ってくだサイ」

クッションを投げた体勢のまま暫く空を掴むように放置されていた手を、そっとそいつは引っ込めた。ゆっくりともう片方の腕で抱き寄せるに引き寄せられたそれは、小さく震えていたような気がする。
腕だけじゃ、ない。同じように震える肩から、顔は見えないけれど泣くのを堪えているかそれとも、もう溢れてしまっているか。そのどちらかなんだろう、なんて事が簡単に推測出来る。

『……もう嫌、なんだ。嘘吐きな君も、素直じゃない僕も。どちらも、嫌いだから』

溜め息の後に吐き出された耳障りの良い英語は、確かに涙に濡れていた。



──俺がサイレンと付き合うことになった後も色んな女と関係を持っていたのを、サイレンは知っていたと思う。電車なんてとっくになくなった時間に家に帰らず、しかも仲間うちの誰かの家にいるわけでもない。そんな日が何度もあれば、どんなに鈍い奴だって気付くだろう。
それでもこいつは何も言わないし、咎めないし。だから、なんとなく。黙認されているんじゃないか、なんて錯覚してしまった。
外出の支度をする俺に投げ掛けられた、何処に行くんだ、何時に帰るんだ、何をして来るんだなんて普段は薄っぺらな嘘を返す問いに気紛れに、正直に答えてみたら一瞬、サイレンの表情が歪んで、それから。
今に、至る。

『はやく、行ったらどうなんだ…これからデートなんだろう?』

どこか皮肉めいた口調の合間に挟まる嗚咽が、理由はわからないけれど不愉快だと感じた。視線だけを動かし壁にかけられた時計を見る。女と待ち合わせた時間は、刻々と迫っていた。

(どう、すっかな)

室内の空気が、無駄に重苦しい。そんな空気を幾度も取り込んでいるから肺の中も重くて、とりあえず息を吐き出してみたけど少しも軽くはならない。
デート…デート、なぁ。そんな可愛らしいモンじゃあなくて、適当に引っ掛けた女と会って、飯食って(当然俺は財布すら出さない)、やることヤって、それだけ、なのだけど。それだけだからこそ、俺の気が乗らない時に行くのは面倒以外のなんでもなくて、まさに今その面倒臭い、状態にすっかりなってしまっている。かと言って、じゃあ空調をガンガン効かせた幸せな部屋に閉じ籠って寝てしまえる状況でも無いだろう。
思考をぐるりと一周させると、通り過ぎ際に椅子に引っ掻けてあったジャケットを掴み、黙ってアイツひとりが残るリビングを出た。



「あれ。ニクス、こんな時間から出掛けるのか?」

玄関を出てすぐのところでかち合った、もうひとりの同居人。と言うか、俺と同じ居候。
タイミングの悪いところで会ったな、なんて少し考えたけれど、すぐにそれを打ち消した。さっき。俺がリビングにいて、アイツが泣いていたその時に帰って来られるよりはマシだ。まあこのままコイツは俺と入れ違いに家に入るんだろうから、どのみち後で煩く責められることになるんだろう、が。

「…イイだろ、別に。それよりもう帰るんならコレ、借りるぜ」

とりあえず、このままここにいるワケにはいかない。家に入るのも、駄目だ。
特に目的があって出てきたんじゃ無いが、コイツと一緒に戻ったらそれこそその面倒で鬱陶しい小言を浴びせられるだけだし、何より。まだアイツが、ひとりきりのリビングで、泣いている気がするから。
アイツの涙を見て不意に、女が泣き喚いている時に感じる鬱陶しい苛立ちとはまた違う、息苦しくなるような苛立ちに圧し潰されそうになったから。
英利のポケットからひったくったバイクのキーを指先で揺らしつつ、逃げ出すようにアパートの階段を降りていく。キーの持ち主が後ろの方でなにか喚いていた気がしたけれど、今は何か言い返してやる気分にすらなれないので無視してやることにした。
ああ、胸クソ悪い。苛つきは高まる一方だし、腹まで立ってきたし、外は思ったより寒ィし。
アイツの、サイレンのあの悲しそうに歪んだ表情とか、震えていた肩とか、叫び出しそうなのを堪えるみたいな涙声とか。そういうもの全部が嫌でイライラしてしょうがないのだけど、イライラする理由がわからなくて余計、腹が立って……本当に、なんなんだ。

ムカつく。
(誰に?)(サイレンに、じゃない)
ムカつく。
(どうして?)(泣かれたのが鬱陶しいから、ではない)
ムカつく。
(じゃあ、誰に。どうして。)


名前も顔もロクに覚えていない女からのメールや着信で埋まった携帯電話の電源を落とすと、堂々巡りを繰り返す自問自答と聴こえる筈の無いサイレンの嗚咽を振り払うようにバイクのエンジンをかけ、アテもなく夜の街へと走り出した。


***






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