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鈍色に霞む






「お二人ともどうせ暇でしょう、ちょっと付き合って頂けますか」

どうせってなんだ、どうせって。
少なからず腹は立ったけど間違ったことは言われていない、悔しいが。
俺も甘寧も断る理由は見当たらないから。俺と、甘寧と、陸遜と。
呂蒙さんの一周忌の夜、俺達三人は揃って城を抜け出した。

頬を撫でる風が冷たくて、微かに身震いする。沈黙、それから暗闇。黙ったまま陸遜に着いていく俺達にはそれらがまとわりついていて、なんとなくだけど、重くて息苦しいと思った。
今日の式も控えめと言うか、慎まやかというか、丁度一年前のあの日を思い出すような小さなもので、とても呉の重鎮の為のものだとは思えなかった。どうも遺言によってそうなっているらしくて、それがあの人らしくて、まだ少し切なさが残っているくらい、なのに。
黙々と先頭を歩く陸遜は全くそんな素振りすら見せず、ぴんと背筋を伸ばし時折此方に爽やかな顔を向け、俺達がついて来ているか気遣っているのだ。

(寂しくないはず、ないのにねえ)

陸遜と呂蒙さんは、そういう間柄だった。と言っても俺達のように周知のものではなく、知っていたのは俺と甘寧と殿くらいだろうけど。
数ヶ月に一度くらいの、極稀な二人の休みが重なる日はうきうきと連れ添い出掛けて行った陸遜を微笑ましく見送ったのもよく覚えている。
俺達と違って周りに茶化されたり、のろけたり、そんなことは無かったけれど。二人は俺達に負けないくらい幸せそうだったから…尚更。
寂しくは無いのだろうか。
悲しくは無いのだろうか。
憤りを覚えたり、しないのだろうか。

一年間のあの日、やっぱり凛と真っ直ぐな陸遜を見て感じたのは、強さ。涙のひとつを溢しもせず、少し辛そうな面持ちで呂蒙さんに頭を下げただけの彼は確かに、強かったのだけれど。
触れたら弾けてしまいそうで、そんな強さなら要らない、と思う。
弱いと思われてもいい、惨めでもいいから何よりも大切な人…俺と同じように今、隣で無表情に陸遜の背を追っている男が死ぬようなことがあれば、名を口にしながら声を上げて泣きたい。押し殺せば、きっと後で後悔するから。
体裁とか、そういうものだけのための強さなら、要らない。

「着きましたよ、お二人とも」

記憶を巡っていた思考を遮るようにかかった、声。
やっぱり静かなそのこえに、何故かちくりと胸が痛む。

「ここは、」

甘寧の声に、やや俯き気味だった陸遜が頷く。そうだ、ここは。
今はただ殺風景に冷たい風が吹き抜けるだけだが、確か春になると桃色の花が咲き乱れるところ。
他に何があるわけでも無かったから他の季節には来たことはないし、何より呂蒙さんと陸遜が二人、誰にも邪魔されずに訪れる場所だから。俺も甘寧も、そう何度も来てはいない。
あまり馴染みのないこの場所は、初めて訪れる他人の部屋のようになんとなく居心地が悪くて。黙って梢を見上げる陸遜をよそに甘寧に視線を向けると、奴もそうだったようでお互いのそれがかち合った。

「そういえば、さ」

ん、と適当な声を返す甘寧から一瞬だけ視線を、まだ宙を見上げたままの彼に移す。俺達に背を向けているから、表情は窺えない。微動だにしない陸遜の腕が握った松明の先が、また吹き抜けた風に揺らめいた。

「陸遜、今年はここ、来なかったよな」

寒い。身を縮こませながら視線を甘寧に戻す。視界に移ったそいつはほんの少し、片方の眉をぴくりと動かしそれから、おう、と。頷いて見せた。
呂蒙さんが亡くなって、益々陸遜は忙しくなって、だから仕方ないのかも知れないが。俺の記憶では、花が咲くその短い間、陸遜を執務室で見掛けないことはなかった。俺もなんだかんだで忙しかったし、その時は気付きもしなかったけれど。

「来れなかったんです」

冷たい空気を震わせる、声。
意識は完全にあの梢に向いていたものだと思っていたから、若干驚いた。

「…ま、忙しかったからな」

「違います、来ちゃいけなかったんです」

甘寧の声を遮るように答え、振り向いた陸遜の眼はたしかに俺達の方に向いていたけれど、俺達よりもっと、ずっと先を移しているようで。
その視線の先にあるものも気になるが、彼のことばの意味の方が気になった。来てはならない、理由が。
いくら忙しくとも、殿が臣下への気遣いを怠ることはない。俺達と同じように此処を知る殿はきっと、休みを与えようとしてくれた筈だ。

「約束、ですから」

誰と、どんな。なんとなく察しは付くけど。
俺と同じ疑問を抱いた甘寧が、静かに尋ねる。

「──病床の呂蒙殿と、約束、したんです」

顔を伏せた陸遜の、濃く影の差した口が。ぽつり、ぽつりと続ける。
呂蒙さんの死から一年は、ここに会いに来てはならないと。一年経ったら来ても良いけれど、それも年に一回だということ。但し、孫呉が天下を勝ち得た暁にはその限りではないということ。
だから、早く天下をものにして堂々と毎日会いに来い、あまり寂しい思いをさせてくれるな、と。
陸遜はゆっくりと時間をかけて、呂蒙さんとの約束を、自分自身に再確認するかのように口にした。

「本当は、今日来るつもりでは無かったんですが」

花が咲いたら来ようか、それとも呂蒙殿の誕生日にしようか。色々、考えていたのに。
顔を上げ、視線だけ大木に向けた陸遜が、自嘲気味に笑う。

「我慢、出来なくて。きっかり一年の今日、会いに来ちゃいました」

瞳に映る炎のせいかも知れないが、陸遜の双眸が一瞬、揺れたように見えて。それが今までみた事がないくらい寂しげで、漸く。何度か、胸が傷んだ理由がわかった。
陸遜は、強いわけではなかったのだと思う。ただ呂蒙さんに心配をかけないように、呂蒙さんに大きく見てもらう為に、己を偽って迄背筋を張っていて、でも本当は寂しくて、苦しかったのだろう。約束も体裁もかなぐり捨てて毎日ここに来ても、葬式で声を上げて涙しても誰も咎めなかっただろうに。

今にも泣きそうな癖に笑みながら、ごつごつとした幹に、そっと。こわれものでも扱うように優しく触れる陸遜を見て、甘寧が呟く。陸遜の決意やおっさんの願いを貶すわけじゃないけれど、俺はこんなのは嫌だと。

「俺が死んだら、休みは必ず墓に会いにきて、葬式でも泣けよ」

こいつにしては珍しく、沈んだその声に。俺は、黙って頷く。
切ない雰囲気に耐えきれず吐き出した溜め息は、白く濁って、大気に溶けた。





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