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胡蝶の夢





蝶になった、夢をみたのか。
蝶のみている夢が、自分なのだろうか。


「あんた、なんか」

「さっさと、死ねばいいんだ」






嫌な目覚めだった。
まとわりつくような不快感を払おうと深呼吸を試みるが、喉が変に鳴るだけで肺まで酸素はたどり着かない。全身に吹き出した嫌な汗を拭おうとしても、手足が自由に動かずそれすら、ままならなかった。

「う、ぁ、……とう、凌統っ」

強く叫んだ筈なのに、発せられたのはなんとも情けない、小さな掠れた声。それでも、そんな微かな声でも、隣で眠るその人が目を覚まし、動いた気配がした。
もう一度、凌統、と。震える声で呼ぶと、返事の代わりにしっかりと抱き締められる。

「ん、どうしたんだい」

抱き寄せられた胸元に素直に顔を埋めると、凌統の指先がゆっくりと俺の髪を撫でてくれて。酷く、安心した。
触れられたところからじわじわと感覚が元に戻りはじめ、気付けばいつも通り呼吸が出来ている。待ち望んだ酸素を取り込むと漸く、煩い鼓動が少しだけ落ち着いた。
目の前の、羽織っただけで服としての役割は果たしていない夜着を強く握り締め、恐る恐る顔を上げると、視界に映ったのは凌統の微笑み。
もう一度、どうしたのだと。問う凌統には答えず、ただ体温と匂いを感じることに専念する。

「…いいけどさ、これはこれで美味しい状況だし」

頭上で微かに空気が震えたと思うと、剥き出しの肌を細い指先に擽るように撫でられた。数刻前迄の行為の熱が未だ燻るように残った体は期待に震え、また凌統が笑う。
気分じゃない、と腰骨辺りを無遠慮に撫で回す腕を掴もうとして、やめた。いっそ、溺れさせてくれればいい。忘れさせてくれるくらい、あいしてくれればいいんだ。
瞼を閉じ、その時を待つがいつまで経っても波は訪れないどころか、掌が放れていく。薄れる体温に不安になり、思わず凌統を見上げればそこには、痛々しく笑うかお。

「…わかってんだよ、今のあんたがおかしい、ってのは」

離れたままだった奴の体温が、頬を包むように帰ってきた。もう逃がさぬように、その温もりに自分の掌を重ねる。
そうだ、今の俺はいつも通りに振る舞えてはいないだろう。けど、なんでてめえがそんな、苦い顔してんだ。

「変な、夢…ちょっと嫌な夢、視ただけだぜ」

だからあんまり、気にするなと。伝えた時の俺は、自然に笑えていただろうか。丁度月明かりの当たらない角度になってしまった凌統の顔からそれは伺えず、また少し、不安になる。

「、甘寧」

なんだ、と返すまえに弱く唇を吸われ、声を発する手段は絶たれた。幾度か俺の唇を啄んだそれはやがてゆっくりと離れ、呼吸を感じることが出来るくらい近くで移動を止める。
こんなに近くで、こんなに見詰められるのは少し、落ち着かない。

「俺が、聞いてやるから」

吐き出して、今度こそ朝まで寝ちまえ、と。こいつにしては低めの、俺が好きな声で囁かれれば考えるより早く、口が凌統に従っていた。

「──お前に、ずっと命、狙われるんだ」

また、嫌な汗が滲む。
が、凌統が触れていてくれるから、真剣に聞いてくれているから、目覚めた瞬間の比にはならない。

「昔みたいに、よ。毒だとか、短刀だとか、兎に角色んな手で」

夢の中の、冷たい凌統のひとみがふと、蘇る。目の前で心配そうに俺を見やる双瞳と同じ色のひとみに浮かんでいたのは、純粋な、憎しみ。
殺意を向けられるのは、怖くなかった。そう簡単に殺される程、弱いわけではないのだし。だけど。
凌統から向けられている感情が、負のものだと思うだけで、殺されるより、苦しくて痛かった。

「あんまり夢の中のてめえが必死に俺を殺そうとするもんだから、すげー阿呆らしい不安が湧いちまって」

凌統が、眉を寄せたから何事かと思えば、自嘲するような笑みを自分でも気付かぬうちに浮かべていた。

「なぁ、凌統。これは、現実なんだよな?色々昔はあったけど、今は俺はてめえのことが好きで、てめえも俺のことを愛してくれていて、ってのは」

凌統は、何も答えない。突拍子もない俺の問いにどう答えるべきか考えているんだろう、多分。

「…こっちが夢だったりなんて、しないよな。愛されたくてつくりだした、俺の、都合の良い夢、なんかじゃ。目が覚めたらまた、俺を好きな凌統がいない世界だったりなんか、しねえよな」

細かく区切る言葉の合間に、嗚咽が混じる。情けないのはわかっているが、怖い。初めて戦場に出たときよりも、うっかり敵の罠に墜ちて死線をさ迷ったときよりも。
早く早く早く、否定が欲しい。これが現実なのだと、笑い飛ばしながら抱き締めて、不安を拭ってくれよ、なあ。
なのに、すがるような視線を向けてみても、夜着を強めに引っ張ってみても、欲しい言葉はなにひとつ聞こえることはなくて。
息苦しさに焦れた俺が、急かすようにりょうとう、と。呟いて漸く、奴の重い口が開く。

「あんたは、どっちがいいんだい」

「、へ?」

「だから、あんたは。どっちが現実なのが、いいんだっての」

「んなの、決まってんだろ」

今度は俺から、凌統に口付ける。女々しくて我ながら嫌悪は覚えるし、昔の俺からは到底考えられないが凌統に愛して貰えないなんて、あり得ない。
互いの唇を触れさせ、直ぐにまた離れるともうおしまいかい、と凌統が残念そうに笑んだ。

「なら、こっちが現実でいいじゃないか。あんたはちょっと疲れてて、悪い夢をみたんだってことにすればさ」

「意味わかんねえ、それじゃ、」
「ああ、こっちが夢かも知れないね。あんたのことなんだから、あんたがわからないなら俺もわかんないっての。けどさ、例え夢だとしても、こう考えた方が楽だろう?」

俺には答えは出せないけど、夢であろうと現であろうと、俺はあんたを幸せにするから。なんて。耳元で囁きながら抱き締められて、さっきまでとは違う意味で。泣きそうに、なった。
やっぱり納得は出来ないし、目覚めた時に味わった嫌な気持ちは忘れられないけれど、こいつが幸せにしてくれるなら、それでいいかも知れない、と。頭の片隅でうっすら考えて、頷く。
きっと伝えたら調子に乗るだろうから、面と向かってじゃあ責任取って幸せにしろよ、なんて言ってやらないが。

小さく身動ぎして、凌統の薄い胸に顔を埋める。呼吸の度に微かに届くこいつの香と、体温がやさしくて、とりあえず今は。あの、嫌な光景を視ずに眠れそうだったので。
やっぱり調子に乗られそうで、癪ではあるけれど、そっと。眠りに堕ちる前に、手探りでみつけた凌統のてのひらを、握ってやった。



***

荘子の胡蝶の夢がすき。




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