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空の色は、






「おっさん…凌統は、あいつは!?」
「今医者が診ている。一先ず落ち着け、甘寧」
「これが落ち着いてられるかよ、畜生…っ!」
「…心配なのは貴方だけじゃないんです。今は、凌統殿を信じて待つよりありません」




凌統が、先の戦で負傷した。
あいつのところの副将がなんとか連れ帰ったみたいだが、ひとりじゃ歩くことも馬に乗ることも出来なかったらしい。どうも相当な傷らしくて陣に着いた途端軍医の所に運び込まれ、俺達にはまだ傷の状態も何も知らされていなかった。
が、医者の慌てようや連れ帰ってきた奴の様子を見りゃ、俺だって察することくらいは出来る。

きっと、怪我の状況は思わしくない。
生死が危ういくらいの勢いで。

(…勝手にくたばるんじゃ、ねえぞ)


──幾度も繰り返した祈りが、届いたのだろうか。
処置を終え現れた医者は、山は越したと。確かにそう言った。
良かった。これで、暫く我慢すればまた今まで通りに戻れる。手合わせをしたり、碁を打ったり、戦場で背中を預けたり出来るようになる。
そう安堵したのだ、本当に、一瞬だったけれど。

「…但し、二度と凌将軍は戦いの場に出ることは叶いますまい」

静かに告げられたその一言が、僅かな希望を再び絶望に塗り替えてしまったから。


畳み掛けるように凌統の様子を尋ねた俺達に、医者はただゆるく首を振ると陣幕の奥を指差す。
最初にそこに駆け込んだのは、陸遜だった。
俺とおっさんも、すぐにそれに続く。

(戦に、出られねぇ…だと?)

腕か足でもやられたか。毒か、斬られ所が悪かったかで動かせなくなったか…あるいは、もう切り落とされちまったのかも知れない。なんにせよ、戦人であるこいつにそれは余りに酷だ。
内心普段は信じていない神とやらを呪いつつ、寝台の脇に立つ。



…腕も、足も。
どうやらまだくっついてはいるらしくて、浅く速い呼吸を繰り返す体に力無く添えられていた。
この状態じゃ動くか動かせないかはわからないけれど、医者が言ったのは四肢の事ではない。俺でさえ一瞬で理解出来たんだ、残りの二人も気付いているんだろう。

険しい表情のまま、小さく眉を動かす陸遜。

口元に掌を添え、微かに唸ったおっさん。

多分、相当情けない顔をしていたであろう俺。

その場にいた全員の視線が、凌統の両眼の上に巻かれ朱に染まった包帯に注がれていた。
(ああ、こいつは)
武人としての生きる意味だけでなく、今まで生きてきた世界をも失ってしまったんだ。

頭の中の、自分でも信じられないくらいやたら冷静な部分でそう、思った。



あれから、六日。
凌統は未だ意識を戻さない。医者曰く、多量の血を流したから体力を回復しているらしい。こまめに綿で湿らせている唇は血色を取り戻しつつあるし、目覚めるのは近いだろう。
目を覚ましてさえくれれば、また凌統の声が聴ける、その声で俺の名前を呼んで貰える。
それは嬉しい…の、だけど。
もう目を覚ましても、二度とこいつの世界に光は射さない。
光と、主君に立てた誓いを同時に喪ったとわかったら。絶望しない者はいないんじゃないか、多分。
何度か取り換えられ血の痕跡は見当たらない包帯の下の瞳は、一生俺の姿を捉えることはない。そう考える度に、体のどこかが小さく、刺すように痛んだ。
これじゃ、凌統が目を覚ましても。

「生きててくれて良かった、なんて。素直に喜んでいいか、わかんねえよ…」

当然凌統は俺の呟きに反応することはなく、俺達以外誰も居ない部屋は再び静寂に包まれた。




そして、七日目。
あいつが意識を取り戻したと息を切らして走ってきたおっさんが教えてくれたのは、丁度凌統に代わって奴の部隊の鍛練をしていた時だった。
自主鍛練に切り替えることを伝え、昼下がりの回廊を駆け抜ける。

「凌と、」

開け放たれたままの、扉の向こう。陸遜の腕に制されたその先には、やっぱりまだ日常は戻って来てはくれていないらしい。
部屋の壁や床、至るところに散らばるおそらく、茶器や薬入れだったであろう破片。
俺の目の前で、更に壁に叩きつけられ砕ける器。
寝台に無理矢理押さえ付けられた凌統と、悲痛な叫び。
「どう、して、なんで、こんな、っ…俺は、こんな惨めなまま生きなきゃいけないのかよ…っ」

予想はしていた、けれど。
他人でも、自分でもなく。どこに向ければ良いかわからない、憤りや虚しさに染まったその声は、思った以上に…痛かった。

「凌、統」
「…かんねい」
ぴくり、と。もがいていた凌統が、大人しくなる。
「甘寧…悪いけど、さ」

「当分、ひとりにして貰えるかい」

…姿だけじゃない。声すらも、もうお前には届かないのだろうか。
黙って部屋を後にした足は次第に速度を増し、気付けば自室の寝台の上。
悔しくて、悔しくて、目頭がずん、と熱くなる。泣く訳には行かないのに。自分だって、敵の光を奪い、音を奪い、命を奪って生きてきたのだから。寧ろ泣きたいのは凌統の方だろうに。俺が泣いたって、あいつの世界はもう、元通りにはならないってのに。

気付けば、いつの間にか陽は落ち辺りは夜闇に染まっていた。
うっすらと湿った枕が意識を手放す直接に自分がしていたことを嫌でも思い出させて、不快極まりない。
結局、泣いてしまった。どこが、と聞かれれば困るのだが、痛かったから。膿むようなじくじくとしたそれがどうしても耐えられなくて、我慢していたのに気付けば決壊したあとだった。

「、ちくしょ…っ」

このまま横になっていても、またすぐに眠りに付くことは出来なさそうだった。夜風に少しあたるだけ、自身にそう言い訳をしながら体を起こし、自室を後にする。
向かった先は凌統の部屋で、そういえば何か不安なことがあったり落ち着かない夜はこうして奴のところに行ったな、なんて思い起こす。そんな日々からまだ、ひとつきも過ぎていないのに。記憶が、随分遠くに感じた。

漸くたどり着いた部屋の前で、深呼吸を、ひとつ。
凌統、と。名前を口にしてはみたけれど、返事は無い。ただだた静かな扉の前で立ち尽くす。
ふと。昼間、凌統に言い放たれた声が反芻された。しばらくひとりにして欲しい、と。その声が枷になり扉にかかろうとした腕を重く引き止めた為に、中々その向こう側へと進む事が出来なかった。

(会いてえ、のに)
会って、傷に障らぬよう優しく抱き着いて、死ななくて良かった、生きてまた会えて良かったと。喜びたいのに、そう出来ない。武将だというのに恐ろしく繊細で脆い、あいつを傷付けかねないから。
…傷付けちまって、嫌われてしまうのが怖いから、と言った方が正しいかも知れないが。
女々しい自分の思考に嫌気が差してきたころ、戸の向こうから酷く小さな声が聞こえた。

「…誰だい。鍵はかかってないからさ、入って来なよ」

びくり、と。小さく肩が跳ねる。微かな緊張から震える手を扉にかけると、黙ったままゆっくりとそれを開いた。
部屋の主が光を必要としないのだから当然と言えば当然なのだけれど、真っ暗な室内は僅かな月明かりが照らすのみで物寂しい印象しか残さない。その月明かりの中、寝台の上で影が少し時間をかけて起き上がった。
なんと言えばいいのかわからなくて、黙ったまま一歩足を踏み入れる。綺麗に片付けられている室内には、数刻前の陶器の破片すら見当たらない。

「甘寧、かい?」

思わず、足を止めた。名乗っていないのに、声すらちゃんと聞かせていないのに。わかってくれたことが嬉しくて、無意識に鼓動が跳ねる。

「甘寧なんだろ?鈴の音が、聴こえた」

ああ、それでか。短く返事をしながらその鈴を鳴らし、寝台に歩み寄る。
医者がそのままにしていったのか、寝台脇に置いてあったままの椅子に腰掛けた。微かに軋むその音に、凌統が反応する。やたら音に過敏になってるな、と気付くのに時間はかからない。

暫くの、沈黙。
開け放たれたままの窓の向こうからは虫の声が聴こえる。時折吹き込んでくる風がもう冷たくなり始めていて、ただの沈黙に耐えかねたのもあり窓を閉めようと腰を上げた、その時。
服の端を強く引かれ、寝台の、それもまだ絶対安静の怪我人の上に。思い切り、倒れ込んだ。
不自然な格好になりつつもなんとか体重をかけてしまうのだけは避けようとしたが、強く抱き締められたためにそれもかなわない。

「…怖いんだっての」

「、へ?」

「あんたですら、鈴の音を聞いて触れなきゃわからない。ひかりが無いってのは、こんなに怖いんだな」

凌統の声は、言葉に反して凛と、芯を持っていて。それが逆に諦めや、悔しさを含んでいるように聞こえてしまって。強制的に胸に埋められている顔が、歪む。
恐怖する理由は視覚が無いから、だけではない。役立たずの、ただの穀潰しなんかいらないと言われるのではないか。最も、更に恐ろしいのは、そう言われずに周りの人々にずっとそう思われることだけれど。
そう淡々と、溢した凌統は最後に、俺にとどめを刺した。

「恐怖しながら生きるくらいなら、死んじまいたい、って思うよ。臆病者って笑われても、いいからさ」

どうして。くぐもってしまった呟きは、こいつに届いただろうか。
どうして。どう、して。なんで、こんなにも簡単に、こいつは。

「っちょ、甘寧?」

気付けば、混乱のままに泣き出してしまっていた。濡れた感触と嗚咽にどうやらこの鈍い男も漸く気付いたらしく、ただ慌てたような声を発する。
ホント、格好わりい。何メソメソしてんだよ、俺。僅かに残った冷静な部分がそう嘲笑うけれど、涙は止まらない。馬鹿野郎、とか鈍感とかもうお前なんか本当に死んじまえとか。
耐えられずに震える声をぶつけ続けているその間、戸惑いがちな掌が子供をあやすように頭を撫でてくれていて。
その暖かさが、愛しくて、こうされるだけで幸せなのに。

「死なないで済んだのに、よ、んなこと、言うなって」

凌統はまだ、なんとも言わない。
困っているような空気だけが、伝わってくる。

「てめえが死んだら、俺がひとりになんだよ、ばかやろ…っ」

俺が、ひかりになってやるから。おいてくなんて、言うんじゃねえよ。
凌統からの返事は無くて、静かな暗い室内は、虫の声と嗚咽だけが支配していた。


(かみさま、どうか)

(俺から、こいつを奪わないでください)
(こいつから、俺を奪わないでください)



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