彼の手には紅茶。私の手にはコーヒー。ゆらゆらと漂ってすぐに消える湯気を一息で吹けば、目の前で書類に目を落としていたシュバインさんがこちらを見上げて、目を柔らかく細めた。
「退屈か?」
「いえ、別に」
緩やかに流れていく時間の中、肌を優しく包むような風の季節。異常気象で桜は散ってしまったけれど、まだまだ春は始まったばかりだ。
そんなあたたかな昼下がり、静かな部屋で恋人と二人きり。
例えかまってもらえなくても、簡単には目も合わせてもらえなくても、こんなに贅沢な時間は他にない。
「いい子だ」
ふ、と柔らかく弧を描く口許。そこに寄せられる白いティーカップ。
私の手を温めるのはこの空間に似つかわしくないマグカップ。
彼にはマグカップはあまり似合わない。
ふんわりと鼻をくすぐる甘い香りに、彼のティーポットを覗き込む。
透明な飴色が波紋をたてて、ほどよいオレンジの香り。
私はフレーバーティーが苦手だ。
「ねぇ、シュバインさんってコーヒー飲まなかったっけ?」
それでもやはり、書類しか見ていなかった彼から与えられた久々のチャンス。
それを喜ぶくらいには私も充分淋しかったらしいから、都合よく首を傾げてみた。
「あぁ、君がいつもコーヒーを飲むからな」
「飽きたってこと?」
「いや、違うな」
ギシリ、彼の座るプレジデントチェアが小さく悲鳴をあげる。
書類をテーブルに置いた彼は、深く背をチェアに預けて私を見つめた。
「コーヒーを飲むと、君を思い出す」
「いいじゃない」
「君が目の前にいる時にまで、むざむざ記憶の中の君を思うこともないだろう」
ゆったりと伏せられた彼の瞼に、カーテンの隙間から差し込む陽の光がうつる。
「…すごい殺し文句」
「たまにはな」
「たまに、なの?」
「あまり言うと、信じてもらえなくなりそうだ」
イタズラに笑う顔を見つめながら、マグカップの縁を唇に寄せる。口に含んだ液体は程よい苦さ。
「君も、フレーバーティーを克服しろ」
「どうして?」
「会っていない時、私がコーヒーを飲んで君がフレーバーティーを飲んでいれば、一緒にいるような気になれる」
目の前のロマンチストな男はそれだけ言って、そして再び書類を手にとって世界に没頭。
その指先を見つめながら、帰りに紅茶専門店に寄ろう、なんて決心しているくらいには、私は単純にできているのだ。
ミスティ・タイム
これ以上望んだらバチが当たるわ。