「海はいいな」
どこまでも続く青い、碧い水面。凪いで揺れるその柔らかな波を見つめながら、彼は足元に続く白浜を高価な革靴の爪先でなじった。
「そうでしょうか」
血に濡れて重くなったジャケットから腕を抜き、片手に抱える。ため息を吐いて踵を返せば、彼はあたしの腕からジャケットを奪い取るようにして微笑んだ。その余裕を目の当たりにして、あたしの眉間には殊更深い皺が寄る。
「青は、心を穏やかにする」
「海は無色です」
「ん?」
「海が青いのは、空の碧を反射しているから」
青い水面、白い砂浜。
不釣り合いに黒い二人は、不釣り合いに返り血を手の甲で拭う。
「ロマンがねぇな」
「人殺しにロマンを求めないでいただきたい」
「嫌みかよ」
「あなたは、あのボスの側近ですから」
「…おいおい、ボスが泣くぜ」
「あたしのボスではありません」
砂浜を上がったコンクリートで主を待つのは、芸のないランボルギーニ。その前はマセラティ、フェラーリ、ランチア、パガード。
正直に言って車での移動は好まない。それも、目立つような車なら尚更だ。しかしそこはさすがマフィアとでも言うべきか、彼は涼しい顔をしてハンドルを握る。イタリア男はこれだから嫌なのだ。
「何度も言ってるだろう、キャバッローネに来い」
「何度も言ってるはずです、お断りします」
いつだって平行線を保つ二人の会話。いつだっかこの調子で話をしていた際には、彼のボスがとても憔悴しきった表情になったことがあった。
「このままじゃ、死んだときにも誰も泣かねぇぞ」
「泣いてもらうために動いているわけではありません」
「淋しくねぇか」
「泣く人間が居ずとも、惜しむ人間はいるでしょう」
「…そりゃ、そうかもしんねーけどな」
「どうしたんです、ロマーリオ、あなたらしくない」
太陽の光が彼のメガネに反射する。空が青いのは、大気中の微粒子が太陽の光を反射しているから、彼の黒髪を見つめながらぼんやりとそんなことを思った。
「あまりにも、お前が釣れないからな」
「いい気なものね」
「…さて、戻るか」
「お一人でどうぞ」
「…なんでだよ、乗れって」
「結構よ」
「だからなんで」
「イタリア車は嫌いなの」
「はぁ?」
「イタリア男と同じくらいね」
マノロのヒールに入り込んだ砂が厭わしい。どこまでも続く青い空も碧い海も。
「…おい、」
「また仕事があったら呼んでください」
「徒歩でどこ行くんだよ」
「近くのディーラーで車を買うのよ」
「…は?」
「4台目のマイバッハをね」
苔むした口説き文句
日本人は甘い言葉に慣れてないのよ
「あれ、ロマーリオ、あいつは?」
「逃げられた」
「へ?」
「…ボスはイタリア車のどこが好きなんだ」
「なんだよ突然」
「…………なんでもねぇ」