指切りをした。高専二年になってすぐ、窓の外から見える山々に桜が咲く頃に、夜の寮の前、二人して任務後のボロボロのままで。自分が指切りしようという意味の語彙を口からポロッと零した時、彼女は真剣な顔をしていた。そして右手の小指を差し出してくれた。一方の自分は左手の小指を差し出して、結べない小指どうしに二人で笑った。それから彼女が左の小指を差し出してくれて、随分暖かくなってきたはずの日々に突然戻ってきた冷たい風に前髪を揺らしながら、指切りした。

「棘ー、次外で体術だぞ」
 春が過ぎて、夏が終わり、色々なことがぎゅうぎゅうに詰め込まれた秋と冬がやっと終わり、また春が来る。
「しゃけー」
「どうしたの棘。今日ぼんやりだねえ」
 机に頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めているところに、パンダと、あの時指切りをした本人が声をかけてくる。何もかもが目まぐるしく変わり、あらゆる物がそれまでの自分を、環境を、大切なクラスメイトと後輩をひっくり返した。崩壊が目前状態だった高専のシステムがかろうじて踏みとどまり、そうして迎える新たな春がもうすぐそこまで迫っている。
「すじこ、明太子ー」
「もうすぐ三年だからって、ンなおセンチにならなくてもいいじゃねェか」
 パンダがどことなく励ます口調で背中にその手を当ててくれる。ふと、顔を上げて彼女を見上げる。目が合った彼女はいつも通りの顔をしていた。
「着替えにくくて嫌なら私が着替えさせてあげよっか」
 そう、いつも通りのいたずらっぽい顔だ。思わず、つい "いつも通り" に自分も笑った。
「ツナマヨ〜」
「よーしじゃあまず脱がせまーす」
 彼女にノって "わーい" と両腕を上げた自分の制服のボタンに、彼女のきれいな指がかかる。あ、本当にやるんだ。思いのほかビックリしたけど、たしかに左腕がないことで着替えにくくはあるから、とりあえずされるがままを決め込むことにする。パンダがわざとらしく「きゃ」と言って自分の視界を大きな手で塞いだ。細い指先がボタンを外して制服の上着を脱がしてくれる。ふと、視線がその左手の小指を追った。
「おかゆいところはありませんか〜? 」
「そりゃ美容室だろ」
 美容室なんて行ったことのないだろうパンダが笑って、彼女もけらけら笑う。その間にも制服を脱がされて上半身シャツだけになり、身震いした。もうすぐ春とはいえ三月の寒さは室内でも堪える。彼女は尚も手をとめず、今度はシャツのボタンに指をかけた。さすがにそれはちょっと待って。
「おかか! 」
「えーでもボタン外しにくいでしょ」
 ね? と強めに言われてしまって、彼女が言った「着替えさせてあげる」が冗談ではなかったことをようやく知った。パンダが「いいじゃねェか」といつになく柔らかい響きで言う。助けを求めて憂太と真希を視線だけで探すが、真希はとっくに着替えるために教室を出た後で、憂太は困ったような眉のままそれでも口元で笑いながら自分を見たあと、自身の着替えに取り掛かった。薄情者め。
「着替えは? 」
「お、おかか……」
「往生際が悪い! 」
 彼女がシャツのボタンを全部開けてピシャリと言う頃、さっさと着替え終わった憂太が「先に行ってるね」と穏やかに言う。パンダも倣って「俺も行くわ。こっち長引きそうだし」と自分をちらっと見て、憂太の方へと駆け寄り、そして二人して本当に教室を出ていってしまった。
 二人きりだ。途端に静かになった教室で、彼女が自分の腕から白いシャツの袖を抜く。さっき着替えのある場所を聞いてきたくせに、当たり前のように自分のリュックを漁って、パーカーを取り出す。やっぱりどうしようもなく、その左の小指だけが視界に残って、とうとうその指に手を伸ばした。
「棘? 」
「こんぶ、ツナマヨ」
「指切り? ああ……」
 彼女が自身の左手と、その手を掴む自分の右手を見る。もう自分にあの時指切りした小指はない。突然にあの時のことを思い出したのはきっと、冬がまもなく終わることを予感させる気温のせいだ。
「もう一回、指切りしよっか」
 彼女が、反対の手で自分の右手にそっと触れた。その手が僅かに震えていて、思わず泣きたい気持ちになった。
「しゃけ」
 あの時した指切りを、今でもすぐに思い出せる。あの時自分は「一緒に卒業したい」という願いをめいっぱいに、絞った語彙に込めた。彼女も頷いた。「生きて、一緒に卒業しようね」そういう切実な、必要な約束をした。
 彼女が右手の小指を差し出す。自分も右手の小指を差し出した。指を絡めて、どちらともなく口元だけで笑う。失くしたものが溢れそうなくらいあったとしても、こうして触れられる身体がある。二人、目を閉じたのはたぶん同時だった。

 外からは、春の匂いがし始めている。


#SSを短編用に加筆修正しました。




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