「あっま」
 ハリボテとは言え眺めるに趣のある、山を切り開いて陰気な建造物が並ぶ一角。その呪術高専の一年生が集う埃っぽい教室の中で、真希がそう言うやわざとらしく眉をしかめて舌を出した。
「まさかひとかけらとはいえそのまま食べちゃうと思わなかったよ」
 古びた椅子に腰をかけて足を組む真希がつま先をぶらぶらさせ、これみよがしに水の入ったペットボトルを傾ける。真希の傍に立っている彼女は、ペットボトルの中身が面白いようにどんどんと減っていくのを見つめながら、愉快そうに自分たちにも視線を向けた。
「そのまま食うとは思わなかったって、じゃあなんで持ってきたんだよ」
 ため息混じりにこぼれたパンダの疑問は全くもって正しい。強化してあるものの巨体が収まりきらない椅子は、パンダが身動ぎする度に低い嫌な音を立てる。けれどパンダはそんなことはちっともお構いなしに、彼女の胸のあたりの、その両手を指さした。彼女がさも大切そうに両手で掬うように包む薄い紙の上には、いくつかのかけらが──半透明のかけらが転がっている。真希の隣の席から見る限り、それは確かにそれぞれ美しい形をした結晶だ。窓から差し込む陽光を反射して、彼女の手の中できらきらと輝いている。その見た目と真希が食べたこと、それらから考えるに、その物体は恐らく氷砂糖だろうと当たりをつけた。
「光らせてみたいなって」
「高菜?」
 その言葉に、少し前に動画アプリでなんとなく流し見した将棋番組で、棋士が二人共おやつに甘そうなケーキを食べていたのが脳裏に浮かんだ。確かその理由は、脳の栄養補給のためだとかナレーションが入っていたような気がする。瞬時に浮かんだそれに、誰にも気づかれないまま自分の記憶力に胸を張った。けれど彼女は両手の氷砂糖を、おやつでも自分たちへの差し入れでもなく、ここで広げているのだ。光るとはどういうことか。その知識は残念ながらこの教室内の誰も持っていないらしいことが、教室内に漂う空気からまざまざと感じられる。普通の高校生だったら知っている知識なのだろうか。
「なんかね、叩いたら光るんだって」
「……そういやこの世の物質なんか10%ぐらいは叩いたら光るって言うよな」
 この教室内で一番に知識を持っていたのがパンダということが呆気なく証明されてしまった。真希と、それから自分もなんとなく視線を泳がせる。そんなことは全く気にも留めず、全容は分からずとも要旨を飲み込んだらしいパンダが椅子を立ってのそりのそりと彼女に寄り、身をかがめた。パンダの瞳にうつる結晶は、陽光を反射している時よりもきれいに瞬いているように見える。真希がちょっとだるそうな素振りで机に頬杖をついたまま、その視線を彼女の両手へと注いだ。とりあえずと自分も席を立ち、彼女の手の上のかけらのひとつを指先で弾く。彼女は咎めたりせず、「きれいだよね」とまるで小さな子供を肯定する響きの声で言った。
「それで、なにで叩くんだ?」
「……なんだろう、ハンマーかな?」
「……野薔薇でも呼んでくるか?」
 叩いたら光る、というそれだけの情報しか持たないくせにどこからか氷砂糖を調達してきた張本人が、他人事のように首を傾げた。さしものパンダも詳しくは知らなかったらしい。呪術や呪霊に詳しくなるばかりで、この──化学なのか科学なのか、はたまた他の学問なのか、氷砂糖を叩いて起こるらしい現象について、やはり自分たちは知らない。
「しゃけしゃけ」
 とりあえず真希の方を指さす。彼女はそんな自分の目を真っ直ぐに見つめたあと、合点がいった様な声で頷いた。
「ああ、真希ちゃんの呪物で」
「ぜってぇ嫌だ」
 ハンマーで叩くというその情報を信じるとしよう。そして野薔薇のハンマーを借りるなんていう面倒なことも除外するとしたら、あとは真希の呪物くらいしか、すぐに調達できる物は浮かばない。とはいえ予想していた通り、真希は間髪入れずに、見るからに嫌そうな表情で唇の端を歪めた。

 ふと右手首の腕時計を見下ろした。朝礼開始まであと5分程度を示すデジタル時計に、息を吐いて顔を上げる。例え叩くものが見つかったとしても、今からでは氷砂糖を光らせるなんて実験は明らかに無理だろう。自分が腕時計から顔を上げたのに聡く気付いたパンダが、彼女の背後からぬっと腕を出して氷砂糖をひとかけら指先で摘んだ。そうして再び床板を鳴らしながら、自席へと戻っていく。真希はしょうもなさそうに息を吐いて、それでも呪物を使われずに済みそうだという安堵からか、片眉を下げて口元だけで笑う。彼女は大切そうに両手で結晶を包んだまま「何色に光るんだろうねえ」と暢気に瞳を輝かせた。席に着いたパンダは、机の上で氷砂糖を転がしつつ興味深そうにそれを見つめている。
「……棘くん、楽しそう」
「ツナマヨ?」
「うん。そう見える」
 こんなふうな毎日が永遠に続いたらいいなと漠然と胸をよぎる朝だ。他愛もなく、無駄ばかりで、不安なことがなくて、穏やかな朝。朝礼さえなければもっと良い朝だろう。残念ながら全員は揃っていない教室だけど、あと数日もすれば憂太だって戻ってくる。全員が揃った教室で、朝の清冽な空気をたっぷり含んだ気配の中、氷砂糖を囲む五人の姿を想像してみる。それはとても平和で、自分たちがまるで普通の、どこにでもいる高校生のような気分にさせた。
「しゃけ」
「おー、そうだな。全員揃ったらやってみようぜ」
 彼女が穏やかな空気をまとったまま「ハンマー買っておくね」と返事する。呪術師としての給与をたかがこれだけのために使うのかと思われそうだが、なんとなく、無駄な使い方ではないような気分になった。
 こんな朝がいい。いつまでもこんな風に、一日を始められたらいい。
「棘くんにもひとつあげる」
 彼女が氷砂糖のひとかけらを摘んで、自分の方に寄越してくれた。その指先と彼女の眼差しを交互に見つめながら、意を決して口元のファスナーを下げて唇を開けた。パンダと真希がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。その指先から氷砂糖を口の中へと貰ってすぐに、視線を外してファスナーを一気に引き上げた。顔が熱い。ちらと横目に見た彼女が、きょとんとした表情で「……びっくりした」とだけ呟いた。
「アーンしてもらっちゃったなァ、棘」
 そうして言語化されて初めて気付いた自分の大胆な間抜けさに顔が赤くなる頃、ようやく教室に入ってきた五条が四者四様の佇まいをぐるりと見渡した。
「青春してんの? 僕も入れてよ」
 その弾んだ声にみんなが口々に「嫌だよ」と吐き捨てるのを聞きながら、やっぱり思う。
 どうかこれからもずっと、こんな風に一日を始められますように。


#ワンライに提出したSSを短編用に加筆修正しました。



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