その日は雨が降っていた。朝から雲行きは怪しく、十人いたら十人全員が雨降りを覚悟するような薄暗さだった。
 高専二年生の彼女の任務に一年生の狗巻がバックアップを命じられ、補助監督の運転する車から二人はぼんやりと窓の外を眺めている。二人に接点らしい接点はなく、彼女は人と気軽に話せるような人柄ではないし、狗巻の方も語彙を制限しているために自ら進んでは話題を提供しない、そんな気まずい二人である。そのせいで二人、最初こそ支給のタブレットを挟んでこれから祓う呪霊の情報であったりを少しだけ意見交換したが、その話題がなくなった途端にてんでばらばらの方を眺めて道中をやり過ごすことにした。黒い雲が空を覆い、強さを増していくばかりの雨脚が車体にぶつかってけたたましい音を立てている。道行く人はまばらで、誰も彼もが傘を差して足早に歩を進める。スピードを落とさない対向車とすれ違う度にこちらに濁った水しぶきが盛大にかかり、彼女はその度に眉を顰めて小さく息を吐く。
 それはそれはすばらしく呪い日和の一日だった。

「こんぶ、明太子」
 彼女が狗巻の語彙に呼びかけられたことに気づいた時、車は既に目的地に到着していた。彼女は瞳を瞬かせ、狗巻の顔と窓の外と運転席とをぐるりと見渡した。
「ごめん、寝てた」
 眼前にそびえる雨に濡れて色の濃くなったコンクリートの古びたビルが、三人と車を見下ろしている。強くなるばかりの雨に加え風まで吹いてきたものだから、彼女はいっそう不機嫌そうに表情を歪め、湿気に膨らむ髪の毛を数度手のひらで撫でつけてから「行こうか」とだけ言った。
 その言葉を合図にか、狗巻がドアを開けようとする彼女の動作を制止した。訝しげな表情で狗巻の方を見る彼女に、狗巻が急いだ様子で傘を手に車を降りる。ワンタッチ式の傘を広げた狗巻が車体後方をぐるりと周って彼女の横のドアに手をかけた。
「……べつに良かったのに」
 開けたドアから彼女が雨に濡れないよう傘を差し出す狗巻の体勢に、彼女は息を吐いた。けれどその声色が自分で思ったよりも嬉しそうに響いたものだから、彼女は少し気まずそうに視線を逸らして車外へ足を踏み出した。補助監督が二人を待っている。その足元はしとどに濡れて、風に乗った横殴りの雨粒がスーツをびしょびしょにしている。そして補助監督が帳をおろすのと同時にちらと狗巻を見た彼女が、今度は盛大なため息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。
「た、高菜?!」
 普段のツンツンした髪が湿気や雨でぺちゃんこになっている狗巻が、焦ったように彼女に駆け寄る。そう、彼女は何気なく見やった狗巻に、うっかり気づいてしまったのだ。狗巻の左肩が随分濡れて、反対側の自分の右肩は全く濡れていないことに。思い当たるのはついさっき車から移動してきたあのたった十数歩だ。狗巻は右手に傘を差し、自身の右側に彼女を置いてゆっくりと歩いていた。なおも心配げな狗巻の手に握られた畳まれた傘の先から、水滴が垂れて地面に落ちている。彼女は観念した風に、狗巻を見上げた。
「肩」
「しゃけ?」
「濡れたね。ごめん」
「……ツナ」
 狗巻は、何かが気に入らないようなじとりとした眼差しで、しゃがんでいる彼女を見下ろす。スラックスのポケットに片手を突っ込んで、ネックウォーマーで口元を隠したまま、眉をしかめて彼女を見下ろし続ける。次いで誰もいない方に傘を乱暴に振って水滴を払った。その機嫌の悪そうな所作に、彼女はちょっとびっくりしつつ言葉を探す。
「……なに……あ、ありがとう……?」
 彼女が探し当てた言葉を口にしてようやく笑顔になった狗巻が、彼女のためにポケットから出した手を差し出した。その、思いがけず大きくて無骨な手を握って引っ張られながら、彼女は知られないよう今日何度目か分からない息を吐く。狗巻は優しい人間だ。根が明るくて、イタズラな面もあって、他人を気遣う余裕もある。相手が彼女でなくとも同じようなことをしたかもしれない。彼女は立ち上がるなり、ビルを見上げながら今離したばかりの自分の手に、反対の手でそっと触れた。

 呪術高専に通っている限り自分には縁がないだろうと油断していた彼女は、その雨の日、帳の内でうっかり狗巻に恋をした。


#ワンライに提出したSSを短編用に加筆修正しました。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -