交際してから二ヶ月が経過した。私は窓の外をぼんやりと眺めながら、手元の書類を捲る指先を止めて、ため息を吐いた。

 高専に入学して二年が経った頃、一年生が四人──パンダを含めて四人になったことを知ったのは、窓の外が普段より賑やかに聞こえたことがきっかけだった。普段特別周りの人間になんて興味がなかったのに、その時にはなぜだか興味を惹かれて、窓の外へと上半身を乗り出した。いつも通りの黒ずくめの中、一人見慣れない白い制服に黒髪の少年が刀を手にしていた。相手はどうやら禪院真希だ。随分と相手が悪いなと、あからさまに他人事として思ったのを覚えている。
 あとから聞いたところによると、彼は特級被呪者だったらしい。高専への編入、そしていきなり力試しと言うしかない実戦に投入されたそうだ。私が彼ら──彼を窓の外に見たのは、それから数日後の訓練の風景だった。
 それから約半年後の百鬼夜行を経て、学年がそれぞれ一つ上がる頃、彼は随分と様変わりした。あの時見た自信なさげな立ち居振る舞いや屈託のない声はどこへ置いてきたのか。今やそれを訊ねる権利は恐らく手中にあるとは思うものの、訊ねようと思ったことはない。
 残念ながら──今や僥倖だけれど、百鬼夜行当時、私は出張任務のために北の地にいた。共に任務に当たる予定だったアイヌ呪術連の者が言うには、アイヌ呪術連も高専からの要請を受けて、何名かを本州は東京へと派遣することにしたそうだ。私はといえば特に呼び出しもなく、北海道での任務も詰まっていたものだから、百鬼夜行に直接関わることはなかった。そうして私が長期任務から解放され高専に戻る頃には、彼は被呪者ではなくなり、呪術師としてそこに在った。

「今夜そちらに伺いますね」
 今朝、寮を出たところで彼に言われたその言葉を脳内で反芻する。すっかり目の下のくまが板について、目の奥に光のない笑い方を覚えた彼は、了承を求める響きの一切を締め出した淡々とした断定口調で、口調に似つかわしくない穏やかな張り付いた笑みを浮かべていた。一体、百鬼夜行を経て彼に何があったのか。呪術師としては立派なものだ。それを褒めるのは上の人間ばかりだろうということは想像できる。
 特級術師として目覚しい活躍を見せる彼が私を好きだと言った約二ヶ月前、そのあまりの雰囲気──愛の告白をするのには全くふさわしくない、暗闇で輪郭だけが鈍く輝く刃物のような声音と表情に、うっかり頷いてしまったのが悪かった。飲まれるような雰囲気は皆無だった。私が頷いてしまったことで、彼の表情が喜びに溢れた訳でもない。ただ彼は一言「よかった」とだけ言った。交際に際して、特別周囲の人間に興味がなかったはずの自分がまさか、と思ったし、事実高専内でも驚かれた。好きだと言われて頷いてしまったその翌日、高専の関係者の多くが私と彼の交際が始まったことを知っていた。そのせいで私の逃げ場が確実に削がれていたことも、二ヶ月という短くはない交際期間に大いに影響を与えているだろう。
 近頃の彼は私によく触れる。キスをする、肌に触れる、スカートの中で内ももに指先を柔く沈める。それらが何を示すのか、「今夜部屋に行く」と告げられれば、私にだって容易に想像がつく。彼がそういう経験を過去に持っていたのかも知らないし、私にもそういう経験がないということを、恐らく彼は知らないはずだ。そう思うのに、たぶん彼は知っているだろうとも思う。事実として知っているというよりも、確信しているのではないか──そう感じさせるだけの底の知れなさを、私は常に彼に対して感じ続けている。

 窓の外をぼんやりと見つめながら、書類の角を指先でいじる。瞳に映る風景は絵画のように美しい。次の出張任務の概要がだらだらと続くその紙っぺらは、私の心を晴らしてはくれない。



「なまえさん」
 "夜" と聞いてすぐに思い浮かぶ時刻は、恐らく人によって様々だろう。辺りが暗くなる頃を指すのだとすれば、夏と冬でその時刻は異なる。けれど、今朝告げられた彼からの "夜" を十九時頃だろうかと漠然と考えていた私は、ちょうど十九時に寮の私の部屋を訪れた彼に、内心で驚いた。
 どうぞと促すまでもなく当たり前のように部屋に入ってきた彼が、室内を一度ぐるりを見渡したあと、目を細めた。
「……なに?」
「いえ、……なまえさん、僕がこのくらいの時間にくるだろうってわかってましたか?」
「乙骨くんは "夜" としか言わなかったけど、私にとっての "夜" がこのくらいだっただけ」
 彼の白い制服が皆と揃いの黒になり、そしてまた白に戻ったその理由を私は知らない。訊ねたこともない。他人に聞いたこともない。私が三年生になり、彼は二年生になった。彼は間もなく海外出張へ発つのだというが、そのことは私が彼から直接聞いたわけではない。そして、直接聞きたいと願っているわけでもない。
 世間一般の恋愛模様と随分と異なることはわかっているのだ。私はやはり他人に特別な感情を持たないままだし、彼も "交際" ただそれだけを目的としていたかのような──相手が誰であってもかまわなかったような雰囲気をまとい続けている。では何故彼は私に告白してきたのか、そして私が頷いてしまったのか。自分でも信じられないけれど、その時の私の中には、なぜだか "断る" という選択肢がなかったのだ。
「そうですか」
 その声が意外にも穏やかに響いて、思わず後ろを振り向いた。部屋に招き入れる格好のまま立っていた私の背後には、少しの距離を置いて彼がいるはずだった。
「……僕たち、相性いいんでしょうね」
 それが、彼は私が振り向いた目と鼻の先にいた。そして振り向いたその瞬間に掠めるようにキスをして離れた唇は、確かに弧を描いていた。
「……なんの話?」
「とりあえず今夜はなまえさんを抱かせてください」
 交際の始まりと同じく有無を言わせない響きの声だ。その手が私の腕を掴んで、ベッドの方へと力任せに放り投げた。あっという間に私に覆いかぶさった彼は言う。
「たぶんセックスの相性も良いと思います」
 彼が一年留年していると知ったのはいつだったか。学年としては一年後輩の、同じ歳の、呪術師としてはいつの間にか私より随分上を行く男。その彼が、目の奥は笑っていないのに無理やり笑みを作ろうとした下手くそな表情で、私の手首をシーツに押し付けている。耳に馴染む確信めいた色を含んだ声が、とても静かにシーツに溶けた。
 彼が好きになったものは一体なんだったのだろうか。そして、彼が欲しがったものは一体、なんだったのだろうか。
「どいて」
「もしなまえさんが女の子を妊娠したら、名前は "リカ" にしましょうね」
 その言葉に、私は今夜彼が避妊する気が全くないのだということと、私が危険日と言われる期間に該当していることを事実として知った。自分でもそこまではっきりと認識していないことを、彼ならきっと把握している。それが事実であってもフェイクであっても、私がそう感じてしまうということに、全ての答えがある。抵抗しようと腕に力を込めても、彼の体躯はビクともしなかった。
 「漢字は任せます」と私の耳元に唇を添えて続けた彼が、そのまま首筋をべろりと舐めた。
 閉めたはずのカーテンの隙間から漏れる月光が、得体の知れない恋人の輪郭を浮かび上がらせている。


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3月22日のジャンプを読む前に書いた話なのでいろいろご容赦ください。



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