棘となまえ、呪術高等専門学校の一年生。そして付き合い初めて二ヶ月が経過。未だにキスはおろか手を繋ぐこともできていない二人である。
「棘、ここのとこ意味通じるかな? 」
「こんぶ〜? 」
 今日も二人は棘の部屋で仲良くお勉強。元々勉強の教え合いっこをきっかけとして急接近した。それから約二ヶ月後、互いにもじもじしながら要領の得ない愛の告白をし合って始まった関係ゆえに、それからも必ず週に一度は二人でのお勉強会を当然のようにセッティングしている。
 今日のお勉強会はレポート作成だ。一年生は今日、授業で教壇に立った外部講師からの宿題として「呪力消費とその効率化」という一般的ではないテーマのレポート提出を指示された。期限は今日を含めて四日。四日が長いか短いかで言えば、彼らにとってはとても短い。二人とも二級術師、とはいえ単独任務ができないだけで、任務に回されることは多い。その合間を縫っての授業、さらにその合間を縫っての宿題。予定のない今日のうちにあらかた片付けておこう、と誘い合った二人は正しく真面目である。
 宿題に使用する手持ちの道具は一般的な高校生として想像するものと変わらない。レポートの作成にパソコンを使えるわけでもなく、二人は薄いレポート用紙にシャープペンシルでカリカリと書いては消し、書いては悩みを繰り返している。字のうまさは評価に影響しないはずだけれど、読めないほどの字体となれば話は別だろう。二人は普段よりも丁寧に文字を一つ一つ書き込んでいるけれど、パンダは「俺の手で書き物ができるわけねェだろ! せめてパソコン使わせてくれ! 」とたいそう嘆いていた。
「ふふ」
「ツナマヨ? 」
「今日、パンダが "パソコン使わせろ" って言ってたでしょ? あの指でキーボードをぽちぽち叩くとこ想像しちゃった」
「しゃけ〜」
 余りにも和やかな空気だ。お年頃の健全な男女が密室にいるというのに、なんにも起こりようのない、ごくごくフラットな雰囲気だけがそこにある。
 なまえが手を伸ばして口に運んだポテトチップスの一枚をポリポリ音を立てて食べるのにつられて、棘もポテトチップスに手を伸ばす。お行儀悪くなまえが指先と唇をべろりと舐めても、棘は特段劣情を抱くでもなく自分の近くに鎮座するボックスティッシュを差し出すだけだ。なまえのショートパンツから普段トレンカで隠されている太ももがちらちらと覗こうが、棘はそんなことは視界にも思考にも入れない。興味がないのか? いや、棘だって立派な十六歳だ。それなりに興味はある。けれどもその興味が生身の女性、そして自らの恋人に向かないでいる。
 換気のために開け放した窓から、春めいた温い風が入り込んだ。なまえが自分のためだけに選んだ冬用の深いグリーンのカーテンが、ほんの少しだけ揺れる。室内の長方形のローテーブルの長辺と短辺にそれぞれ向かう二人の前髪も揺らす。なまえが室内に干したままのふわふわのタオルが靡き、デスクの上に重ねていたメモはふわりと飛ばされる。それを合図にしたかのように、なまえが大きく伸びをした。
 なまえは体に触れるものは触れて気持ちの良いもので揃えることを信条としている。なまえが術師の棒給で買ったちょっとお高めのふわふわのラグがそれを物語るが、いまそこにはポテトチップスのカスとか、ついさっき食べ終えた板チョコのちっちゃな欠片とかが落ちている。最初こそ、見慣れない高そうなインテリアで誂られたなまえの部屋にちょっとだけ気後れしていた棘だけれど、お勉強会を初めてから四ヶ月が経っている今では、すっかりこの部屋の住人の一人のような顔をしている。お勉強会のあとでラグの上に掃除機をかけるのは棘の担当である。
 ふと、棘がなまえのレポート用紙に目をとめた。伸びをしたきり背後の大きな立方体型のクッションに背中を預けたなまえは、目だけで棘を見守っている。そうして棘が、なまえの方へとにじり寄った。
「おかか」
 棘としては、ふと目に付いたレポート用紙の文字の羅列の中にたまたま誤字を見つけたから、それを教えてあげようというそれだけの気持ちだった。いわば親切心だ。自分の左側で休憩を決め込むなまえのそばに寄って、右手でレポート用紙を指さす、それだけ。
「ふふっ」
 棘がなまえの方へとじりりと近寄り、レポートを指さしてなまえの顔を振り返った時、左肘が思いがけずなまえの脇腹をつついてしまった。意図してくすぐったわけでないにしろ、思わず漏れてしまった反射的な笑い声を隠すように、なまえがその口元を手のひらで覆う。
 さて、これに気を良くしたのは棘だ。その顔はイタズラな男子そのもの。両手をわきわきさせてから、なまえの両脇腹めがけて両手を突き出す。
「ひゃ、ははっ」
 くすぐったさに身をよじるなまえに、棘はまた更に気を良くしてしまう。これまでにも二人でお互いの手相占いに興じたことがあるし、お勉強会の最中に足の裏をくすぐったこともある。なんの色気もないただのカップルの戯れの、その延長線上だ。二人ともそう思っているからこそ、なまえは屈託のない笑顔で笑い声を漏らすし、棘も楽しそうになまえに触れている。
 だから気づかなかった。棘の、なまえがもっとくすぐったがって笑うところが見たいというちっちゃなちっちゃなかわいい欲望が、その手と指先の矛先をゆっくりと変えていたことに。
 まずは脇腹、そして手のひら、首筋、そしてむき出しの膝、ついでと言わんばかりの内もも。棘、場所が危うくなってるぞ。それまで身を捩りながら笑っていたなまえだけれど、棘がその内ももに指先で優しく円を描いた瞬間、とうとう違う声を唇からこぼしてしまった。
「ん、ぁっ」
 その声に、思わず棘は両手を掲げた。降参のポーズだ。ついさっきまでとは打って変わって耳まで真っ赤にして、薄い唇を引き結んで、お手本のような降参ポーズ。なまえの高くて短くて小さな、跳ねるような悲鳴が棘の脳内で何度も何度も再生される。正確には悲鳴ではなくほとんど嬌声だけれど、棘にはそれはわからない。
 棘の心臓が途端にバクバクとうるさくなった。心なしか体が熱いような気もする。火照ったように視界がふわふわして、目をパチパチさせる。下腹部の底から何かが這い上がってくるような気味悪さに、背筋と内ももあたりがぞわりと震える。これはなんだ。棘にはやっぱりよくわからない。
「こんぶ……高菜ツナ」
「う、わかる、なんかゾワッとしてドキってしてモゾモゾした、ね」
 棘は今の感覚を「モゾモゾする」と形容した。なまえもその感覚表現に納得した。その感覚を身をもっては知らない二人の知る擬音語としては限界だったかもしれない。けれど残念ながら不正解だ。
 正解は「ムラムラ」だよ、棘。

 二人が顔を見合せたり視線を外したりしながらじりじりとちょっとだけ距離を取って、またどちらからともなくチラッと目を合わせて、それから誤魔化すように適当に笑った。
 そしてまた、振り出しに戻る。けれど、もしかしたらこれからちょっとだけ、進展が望めるかもしれないね。

 棘がぎこちない動作で左膝を立てた。隠したい何かに気づかれないように、全然さりげなくない動作で。棘、早くトイレにでも行っておいで。





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