高専生という括りを抜きにしても、彼は小柄な方だと思う。野薔薇ちゃんと街を歩いて買い物や買い食いを楽しみながらも、ふと気づくと目が追っているのだ。推定十七歳くらいの男の子の姿を。
「なまえよそ見しすぎ」
 野薔薇ちゃんに腕を引っ張られて呆気なくよろけてから、ようやく我に返った。これが今日何回目かはもう数えるのをやめた。毎回律儀に腕を引っ張ってくれる野薔薇ちゃんが「アンタのためじゃなくて通行人のためだからね」と素っ気ないことを言う。それでも二人とも両手にショッパーをたくさんぶら下げているのだから、わたしのことをわざわざ引っ張ってくれるなんてことは本当は面倒なはずだ。
「ご、ごめん」
「何ボーッとしてんのよ」
 心ここに在らず、というその理由は明白ながら、野薔薇ちゃんはものすごく簡単に言う。野薔薇ちゃんのショートブーツのヒールがコンクリートを踏む度に、小気味よい音が雑踏に紛れる。
 今すれ違った人、身長どのくらいかな。
「なまえ! 」
 とうとう腕を離してくれなくなった野薔薇ちゃんのショッパーの角が、わたしの腕や脇腹や腰にガンガン当たる。ちょっと痛くて身をよじったら、「嫌ならよそ見しない! 」と至極真っ当に叱られてしまった。スパッとした性格ながら情にだって厚い野薔薇ちゃんが、本当に心底仕方なさそうな顔をしてから、親指で喫茶店を指し示す。
「奢りね」
「う、」
「なに? 」
「はい……」
 きっと野薔薇ちゃんだって、買い物が済んでいなければ、欲しいものが手に入っていなければ、わざわざ喫茶店での休憩は提案しなかっただろう。元々この後は雑誌で特集されていたオシャレなベーカリーカフェの予約を取ってある。予約まではあと一時間あるのだから、その時間までめいっぱいショッピングを楽しみたいはずなのだ。野薔薇ちゃんは。
「それで? 」
 わたしたち二人の前にそれぞれコーヒーフロートが並べられた直後、野薔薇ちゃんは椅子の下に乱暴にショッパーを押し込んで言った。空調の効いた店内で、コーヒーフロートのグラスはテーブルに置かれたそばからじわじわと汗をかき始めている。長いスプーンを摘んで、グラスの中をぐるぐるとかき混ぜた。
「野薔薇ちゃん、十七歳男子の平均身長知ってる? 」
「は? 知らないわよそんなん」
「百七十センチくらいなの」
「……狗巻先輩、もうちょっと低いかしらね」
 ──思わずスプーンをテーブルに落とした、その金属音が店内にこだまする。顔が熱いのはスプーンを落として瞬間的に注目を集めてしまった恥ずかしさからか、野薔薇ちゃんがあっさり解き放った狗巻先輩の話題のせいか。野薔薇ちゃんが目に見えて目をまんまるくして、その唇をぽかんと開けている。その表情に心臓がばくばくし始めた。まるで心臓に住み着いている小人たちが一斉に鐘を鳴らしてるみたいに、不規則に。
「……ていうかなまえさあ、狗巻先輩のこと好きになっちゃったかもって言ってからもう随分経つんだけど」
「うん、えっと。そうなんだけど」
「今の今まで何してたのよ」
 痛いところを突かれて、小人たちの騒ぎが鎮まった。
 野薔薇ちゃんの言う通りすぎて何も言えない。テーブルから拾ったスプーンを紙ナプキンで拭って、またグラスの中をかき混ぜる。コーヒーの上にこんもりと盛られたアイスクリームが溶けだして、グラスの縁から垂れ始めている。慌ててスプーンで掬って口に運んだ。
「……狗巻先輩、いつ見ても忙しそうで」
「……まあ、準一級だしね」
「ほんとはね、映画とか誘おうとしたの。でも、なんか狗巻先輩、外歩くの好きじゃないんじゃないかって」
「嫌なら嫌だって言ってくれるんじゃない? 」
 野薔薇ちゃんがストローでコーヒーフロートを吸い込んでから、盛大なため息を吐いた。野薔薇ちゃんのコーヒーフロートのアイスクリームはとっくに食べ終わっている。わたしのグラスは垂れたアイスクリームでベトベトだ。紙ナプキンを取ってグラスを雑に拭いたものの、たった一枚では水滴も相まってすぐにべちゃべちゃになり用を成さない。
「狗巻先輩、小柄だし、パッと見細身じゃない。実際がっしりしてるけど。なんか……隣をね、歩くのが恥ずかしいっていうか」
 端的に言うと面倒くさいことこの上ないワガママな乙女心である。狗巻先輩は片思いの相手としては些か難易度が高い。平均より小柄ながらしっかりした体躯、きれいな顔にきれいな色の目、そしてそもそも言語による意思疎通は不可能。わたしがあの語彙を読解できれば話は別だが、さほど関わりのない先輩後輩という関係上、それは随分と遠い道のりのように感じる。好きですと言ったとして、どんな返事を貰ったとしてそれがOKなのかNGなのか──しゃけは肯定、おかかは否定だということは分かっているけど、ニュアンスまでは読み取れないわけで。そもそも一緒に外を出歩いたとして、その間のコミュニケーションは取れるのだろうか、とも思う。一般人が往来する街中でおにぎりの具しか喋らない男の子となれば、注目を浴びてしまいそうだ。狗巻先輩が街中で喋るのかどうかというのは置いておくとして。
 ふと視線を上げれば、そこには至極面倒くさそうに唇の端を捻って前歯でストローを噛んでいる野薔薇ちゃんがいた。こんな時の野薔薇ちゃんの殺傷能力は高い。散々歩いたその疲労は買い物中には出現しないが、こういう時に現れてしまう。
「なまえ、その悩み今しなきゃいけないの? 」
「………と、言いますと」
「告白もできてない、二人で並んで歩いたこともない、なんで今から悩んでんのってこと。せめて二人きりになる予定ができてから悩みなさいよ」
 胸を一突き。小人たちはその息の根を止めてしまった。
 結局その後のベーカリーカフェで何を食べたのか、もうほとんど覚えていない。

* * *

「おうなまえ」
「こんにちは。パンダ先輩」
 慣れた校舎敷地内の一角、普段からよくみんなが訓練と称して得物で暴れたり誰かが誰かを投げ飛ばしているその場所。ちょうど一区切りついた休憩中と思しき様子の真希先輩とパンダ先輩、それから狗巻先輩と伏黒くんが、それぞれ地面や階段に座って汗を拭っている。
「どうしたんだ? 」
「今ちょうど戻ってきたところなんです。あとこれ差し入れです」
 気が利くなとニヤリと笑った真希先輩が、わたしから袋を受け取ると中を掻き回しながら背後の三人──パンダ先輩を一人とカウントして良いのかは別として──を振り向いた。
「なまえからお菓子だぞ」
 足取り軽くわらわらと寄ってくる三人が、口々にお礼を言いながら袋の中を覗き込んでそれぞれめぼしいお菓子のパッケージを手に取っていく。
「いくら、ツナマヨ」
「ありがとうってさ」
 狗巻先輩の語彙はわからずとも、そこに真希先輩やパンダ先輩がいれば確実に通訳してくれる。とは言えデートに着いてきてもらおうだなんて厚かましいことは考えない。曖昧にニコニコして「どういたしまして」と言うわたしの本心に気づかれませんようにと祈るばかりだ。
 狗巻先輩の、汗でぴとりと額にくっついた前髪とか、お菓子を食べるのにちょっと下げたファスナーとか、ファスナーを下げたその指先が思ってた以上にごついとか、じっと見つめてしまいたい気持ちを堪える。不自然にならないように四人を見渡しながら、とりあえず伏黒くんに話しかけてみた。
「それ好きなの? 」
 それ、と言って指さしたお菓子の箱を見やった伏黒くんは、いつもと同じ顔のまま指先を舐めて言う。
「いや別に。目に入ったから貰った」
 素っ気ないことこの上ない。同学年なんだからもうちょっと何か会話を弾ませてくれてもいいと思う。そうじゃないと、わたしがこの場所に滞在する意味がなくなってしまう。僅かな危機感を募らせながらもまた曖昧に笑うわたしだったけど、真希先輩がチョコレートを口に放り込みながらわたしを見た。
「なまえ、飲むもん買ってこい」
「はい! 」
 内心で盛大なガッツポーズを決めた。パンダ先輩が「パシるなよ」と言い、伏黒くんがため息を吐いてお菓子の箱を階段に置く。
「いいじゃねえか。なまえも良い返事したことだし」
「行ってきます! 」
 わたしはといえばもう少しこの場所に滞在できる理由ができたことで、たぶんしっぽがあったらブンブン振り回しているはずだ。伏黒くんが立ち上がったあたり、一緒に来てくれるつもりだろう。
「明太子」
「棘が一緒に行くってよ」
 それがどうして、狗巻先輩が伏黒くんの肩にぽんと手を置くと、私の方へと歩いてくる。"棘が一緒に行くってよ" そんな重大なことを簡単に言い放った真希先輩は、伏黒くんのお菓子の箱からおすそ分けを貰っている。
「しゃけしゃけ」
 狗巻先輩が自販機のある方向を指さしている。早く行こうということで合っているだろうか。狗巻先輩はこんな時でも口元を晒さない。そのせいで表情が読み取りにくく、いま笑っているのか面倒そうな真顔なのかも判別がつかない。とりあえず早く行こうということだと解釈して、狗巻先輩の斜め後ろをついて行くことにした。
 ところで、斜め後ろから見る狗巻先輩もいいな、と思っている。色素の薄い髪の毛が、注がれる太陽光にキラキラと応えている。前にちらっと見た、小柄な割にしっかり男の子な太い首はしっかりガードされていて、それすらも同年代にあるまじき色気を放っている気さえする。半袖から伸びてパンツのポケットをゴールにしている腕も太くて筋肉質だ。
「こんぶ? 」
「え、あ、はいっ」
 後ろからじっと見つめられる視線が気持ち悪かったのだろうか。それはもちろん気持ち悪いだろう。狗巻先輩は足を止めて、わたしを振り返ってじっと見つめている。何を言われているのか判然とせず、更に表情からも感情が読み取れない。けれどもどうやら不快というわけではなさそうだ。狗巻先輩が尚も足を止めているから、よくわからないなりに小走りになって狗巻先輩にちょっと近づいた。それでも狗巻先輩はやっぱり足を止めたまま、わたしを見ている。
「高菜」
 狗巻先輩が左手をポケットから出して、自分の隣あたりを指さした。
「あ、とっとな、隣に? 」 
 思わぬことに噛んでしまったわたしに、狗巻先輩が目だけで笑う。産まれたての子鹿の如く、おぼつかない足取りで狗巻先輩に並んでみる。小柄な狗巻先輩の隣には、きっともっと小さくて可愛らしい女の子がお似合いだろう。そう思うのに、狗巻先輩はわたしが隣に並んだのを確認するなり、ゆっくりと歩き始めた。わたしはそのスピードがさっきよりも緩やかになっていることに気づかない馬鹿ではない。山々を通り抜けてきた、冷たくて湿気を含んだ風が私たちの髪を揺らす。隣を歩くせいで見えない狗巻先輩の姿かたちを、頭の中で必死に組み立てる。
 ようやく自販機までたどり着いた頃には、もうわたしはあらゆる意味でへとへとだった。
「三つ買えばいいんですよね」
 真希先輩と狗巻先輩と伏黒くんの分、と指を順に三本立てる。狗巻先輩は首を傾げてから、指を四本立てた。ついで、わたしを指さす。
「しゃけ」
 わたしが何か言う前にさっさとお金を投入してボタンを押した狗巻先輩が、当たり前のように四本の缶をその手に抱えた。
「わたし、私持ちます! 」
「おかか」
 おかかは否定。これは合ってる。
「お金を払ってもらった上に持ってもらったら、わたし何のために来たんですか」
「ツナマヨ」
 狗巻先輩が四本の缶を左腕で抱え、右手をわたしの方に伸ばす。その大きい手がわたしの頭をぽんぽんと二回、軽く撫でた。
「しゃけしゃけ」
 何を言われているのか全くわからないまま、またさっさとみんなのところへ向かおうとする狗巻先輩の背中を見つめる。見つめても見つめても、やっぱり何を言われたのか、いま自分が何をされたのか、わかっていても理解ができない。顔が熱い。
 ふと、また狗巻先輩が足を止めて、わたしを振り向いた。十七歳の平均身長よりちょっと低い小柄な狗巻先輩は、それでも鍛えた体と圧倒的な能力で存在感を放っている。体感で言えば身長百七十五センチはある。実際に隣に並んでもあまり身長のことなんて気にならないのは、狗巻先輩の頭上を見ようとしてしまえば、きっと目が合ってしまうから。
「と、となり、ですか」
 合ってますか、と言外に含ませて、狗巻先輩の元へと急ぐ。狗巻先輩は眩しそうに目を細めて、たぶん、わらった。
 予定になくても二人きりになることはあって、想定なんて全くしていなくても二人並んで歩くこともある。それでも、悩んでた時間がうそのように狗巻先輩は自然な雰囲気で歩く歩幅を合わせてくれる。
「わたし、狗巻先輩と映画いってみたいです」
 これはあまりの嬉しさに調子に乗ったとしか言いようのない事故だ。暖かい陽気に誘われて出てくるのは変態ばかりではないらしい。缶を四本抱えた狗巻先輩の隣で、手ぶらで歩くわたし。パシられたのはわたしなのに、身軽で、隣に好きな人がいて、浮かれて舞い上がるなという方が無理だと思う。それでもいま言うことではなかった。やばいと思うと同時に「みんなとも」と付け足そうとして唇を開く。けれどそれより前に、ネックウォーマーの内側で篭った狗巻先輩の声が風に溶けた。
「ツナマヨ」
 ツナマヨってなんだっけ。頭をフル回転させるけど、どうにもこうにもわからない。わたしが持っている狗巻先輩の情報の圧倒的な少なさに打ちのめされるうち、わたし達はみんなの元へと到着していた。
「遅ぇぞ」
「すみません! 」
 狗巻先輩がすたすたと真希先輩の元へと寄って、缶を手渡している。何か二人で話して、それから缶を一本、わたしの方に掲げた。風が木々と葉を揺らすざわめきが聞こえる。缶を受け取るなり、真希先輩がニヤリと笑う。
「何の話かわかんねえから言われたまま言うぞ」
「はい? 」
「"隣を歩いてくれるなら" だってよ」
 電気が走ったように、いまわたしに缶を手渡した狗巻先輩を見てしまった。狗巻先輩は目が合うなり、ちょっと視線を逸らしてから、親指と人差し指でマルを作る。わたしの口からは言語が出てこないのに、心臓ばかりがうるさく騒ぐ。
「何の話かわかんねえけど、な? 」
 絶対になにか勘づいているであろう物言いの真希先輩がわたしの頭を小突くと同時、あまりのあれこれに体のコントロールが効かなくなってしまったらしきわたしは、とうとう手から缶を落としてしまった。
 ねえ野薔薇ちゃん、今夜作戦会議に付き合って。心臓が鳴り止まないの。助けを求めて思い浮かべた野薔薇ちゃんは、やっぱりうんざりしている。




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