「こっちだぞ〜!」
 イタリアから帰国して空港に到着するなり、検疫、入国審査、荷物を受け取って税関を通り、手続き自体は比較的スムーズだったものの既に身体はへとへとだ。大きなスーツケースを転がしながら、ゲートを出て当たりを見渡していたら、聞き覚えのある声が大きく響いた。
「レオくん声大きい!」
 周囲の人が何事かと声がした方を見やる。若干の気恥しさを感じながら、それでも私の口元は緩む。
「いいじゃん。すぐわかっただろ?」
 少しつり目気味の瞳が楽しそうに細められて、レオくんはごく当たり前の動作で私のスーツケースを自分の方に引き寄せた。
「ありがとう」
「わはは!いーな。素直にありがとうって言われるの、おれ好きだ」
 お礼の言葉が嫌いな人なんているだろうか?そんなどうでもいい疑問を持ちながら、レオくんの笑い顔を見つめた。随分久しぶりのような気もするし、つい二日前くらいに会ったような気もする。レオくんはまた自然な動作で私に手を差し出して、「腹減ってない?」と訊ねた。
「機内食でお腹いっぱい。今はもうひたすら眠い……」
 差し出された手を、私も自然に握り返した。二人で手を繋いで歩くのは、約一ヵ月振りだ。最後に手を繋いで歩いたのは、イタリアはフィレンツェの街だった。そしていま、私たちは日本の空港で手を繋ぐ。
「一ヶ月何してたんだ?」
 空港のゴム床素材に、レオくんのスニーカーの底面が擦れて小さく音を立てた。昔、学校で聞いたことがある音に似ている。後ろで結んだ短い髪の毛の先がぴょこぴょこ跳ねる様を見つめた。
「だいたいウフィツィ美術館にいたかなあ」
「ほんとに好きなんだな〜。おれたちが会ったのもウフィツィ美術館だったし」
 出会った場所のことなんてすっかり忘れているだろうと思ってたのに、レオくんはあっさりとそう言って笑い、空港内をスムーズに歩き進めていく。そこかしこから聞こえる日本語が懐かしくて、心の底から安堵した。
「日本に帰ってきたんだなあ」
 懐かしいのに新鮮で、辺りをキョロキョロ見回す。レオくんはそんな私を笑顔で振り返って、握る手に力を込めた。
「インスピレーションは湧いたか〜?」 まるで歌うように唇にのせたレオくんの声。新しいおもちゃをプレゼントされた子どものようにキラキラした瞳は、イタリアにいた時から全く変わらない。
「イタリアにいる間ずっとワクワクして、なんでもできそうな気持ちだったよ」
 結局レオくんの言うインスピレーションがなんの事なのかはよくわからないままだけど、たぶん芸術家というのはよくわからない生き物なんだろう。出会った時も、レオくんは床に五線譜が並んだ紙を何枚も散らかして、うずくまって一心にペンを走らせていた。
「そうだろ〜?おれも、フィレンツェに行ってよかった」
 なんでもないことを話しながら行き着いた駐車場で、かわいいデザインの車にスーツケースを乗せたレオくんが、恭しく助手席の扉を開けてくれる。照れながらそっとシートに身を沈めて、運転席に回ったレオくんを見守った。
「びっくりするぞ〜」
 いつになく楽しげなレオくんが、車をなめらかに発車させた。私は行き先を知らない。知っているのは、私がこれから住む家だということだけ。

 車窓から風景を眺めながら、イタリアの空港でレオくんに手を振った時のことを思い出す。美術館で出会って、お茶することになって、一緒に街を歩いて、なんだか猛スピードで付き合うことになった気がする。レオくんが帰国する日、レオくんと一緒にいた瀬名さんが「あとは二人で話したら?」と言ってラウンジに向かっていった。残されたレオくんは、さっさと本題に入ろうとでも言うように、矢継ぎ早に話し始めた。
『いつ日本に帰るんだ?』
『来月末の予定』
 ロビーの椅子に座って、飛び立つ飛行機を眺めながら返事をした。
『一ヶ月……一ヶ月か………』
『長いかな?』
 正直なところ、旅先で恋をして、その恋がそのまま続くとは思っていなかった。その場限りの幸福でもいい、というより、そうなるんだろうなあと思っていたのだ。でも、レオくんはどうやらそうではなかった。
『ん〜。一ヶ月会えなくて、帰国してからも予定が合わなきゃ会えないんだろ』
『そりゃあね。帰国して落ち着いたら住むとこも探さないといけないし』
 一旦実家に身を寄せて、小さくてもいいからアパートを見つけて、そしたら新しい仕事を見つけないといけない。私はイタリアに渡る前に前の職場を辞めていた。
『むりだ!耐えられない!』
 途端に頭を抱えたレオくんが、驚く私を目だけで見やって、それから目を開いて勢いよく顔を上げた。
『じゃあおれと一緒に住もう。な?決まり〜!』
 名案だという表情を浮かべて私の手を握ったレオくんは、やがてラウンジから出てきた瀬名さんを見つけるなり立ち上がって、『またな〜!うっちゅ〜☆』と星を飛ばして日本に帰った。とてもあっさりと。私の知る限りの、レオくんらしく。

「おーい。着いたぞ〜?」
 ハッとして顔を上げたら、そこには低層の瀟洒なマンションがある。
「きれい!ここ?」
 マンションからレオくんに視線を戻したら、レオくんが得意げに鼻を鳴らして言う。
「愛の巣だから張り切った!」
 思わず吹き出して、レオくんの手に自分の手を重ねた。
「これからよろしくね」
「これからもよろしくな」
 そうして明るい日差しの下、車の中で、触れるだけのキスをした。



この場所から愛をこめて


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友人へ。昼顔本の表紙デザイン頼みます。



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