「帰ろっか」


静かな教室の中、長髪の彼はぼんやりとただ終業式と走り書きされた黒板を見つめていた。

しんと静まりかえった教室、響くのはあたしの声だけ。晴れて夏休みが幕を開けたと言うのに、どこまでも続く爽やかな青空とは正反対に彼は陰鬱。


「…ねぇ、小太郎、帰ろうよ」


少しだけ震えて見える彼の肩。彼は一瞬びくりと跳ねて、そして机の上、両手で握る封筒に力を込めた。


「……今日、渡したかったのだ」

「…うん」

「今日渡して、再来週の夏祭りで返事を聞くつもりだったのだ」

「うん」


瞳を輝かせて、そんなベタな夢を話していた横顔を思い出すのは、終業式である今日を目前に控えた先週のことだった。


家が隣同士、幼馴染みという都合のいい関係。その日、彼はあたしの部屋に飛び込んできて言ったのだ。
『俺は決めた。終業式に愛の告白をする!』
『……へぇ、誰に?』
『それはお前にも言えん』
『…で、呼び出すの?』
『いや、下駄箱に手紙を入れる』
『手紙を書くのに時間かかるんじゃない?』
『杞憂だな!既に書いてある!』
まだ早いだろうに達成感でいっぱいです、という顔をして真新しい封筒を両手で掲げて見せる小太郎。
『へー、よく書けたね。小太郎のくせに』
『うむ!かれこれ2ヶ月程かかった!』
『バカでしょ』
あたしの悪態もさほど気にしていない様子ではしゃいで見せる小太郎。あたしは何がそんなに楽しいんだろう、とため息を吐いた。


そして現在、彼は誰もいなくなった教室で一人、渡す予定だった封筒を握りしめている。段々と傾く陽が、教室を鮮やかな緋色に染める。


「……こた、」

「朝、下駄箱に入れようとしたのだ」


帰ろう、と声をかけるつもりが、それは彼の寂しそうな、小さな声に遮られた。


「でも丁度、その時本人が下駄箱にいたから入れられなかった」

「………」

「だから俺は昼休みに、下駄箱に行った」

「………でも、また下駄箱に、その子がいた?」

「……そうだ」


ぼんやりと黒板を見つめていた小太郎が、今度はあたしをしっかりと真っ直ぐ見つめている。


先週、その話を聞いた時から相手が気になって、あたしは終業式の日、できるだけ下駄箱にいようと決めた。誰よりも早くからかいたかったし、……何よりも誰より早く、頑張れと言いたかった。


「………まだ、気づかないか」


くしゃり、と彼の両手に握られた封筒が更に潰れる音がする。しっかり留められた学ランのボタンと、首元から覗く白いシャツ、そして、長い黒髪。彼は緩慢な動作で立ち上がり、封筒をあたしに押し付けた。


「………からかうなよ」

「………えぇ?」

「………返事は、夏祭りの時でいい」


それだけ言って、小太郎はあたしに背中を向けた。開け放された窓から入り込む風があたしの赤いスカーフを揺らしている。





ココロの行方
どこに行ったの?見つからないよ





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