このところ、夜も更けると視線を感じる。
不思議と不躾なそれでなく、不快には感じなかった。しかし、日に日に心臓を掴まれるような焦燥が混じるようになり、落ち着かなくなった。

 いったい、だれがそんな風に自分を見ているのか。まるで犯人探しのようだ。自分に問うた。それを本当に知りたいのか。何度問うても、答えは否だ。その人物が望むものを、自分が与えられるかがわからない。だから、知らない風を装うことにした。

 その答えが、あっけなく与えられるとも思わずに。

「…主」

 静かな夜だった。
日付が変わるまではと自分に言い聞かせ、翌日の部隊編成と臨む合戦を考えていた時のこと。すでに肌寒い外気が障子を揺らす。畳の上の燭台に灯るろうそくの柔らかな光に誘い出されたように、その声はそれでも固く、障子の向こうから投げ込まれる。

「どうしたの…、入って」

 わずかな衣擦れの音。躊躇が見て取れる。障子に映った影が、ゆっくりと障子を滑らせ、ぎしりと部屋の中へと入りこんだ。

「夜分に申し訳ございません」

 夜着を身に着けただけの寒々しい格好に、自然と眉間に皺が寄る。辺りをちらりと見やったら、丁度風に当てるために衣紋掛けに掛けてあった羽織が目に入る。立ち上がってそれを手に取り、障子の前で正座する長谷部に手渡した。

「肩から掛けていて」
「は、…有難き、」

 ふ、と視線を上げた長谷部のまなざしに、背筋に何かが広がった。記憶にある眼差しだった。ある種の熱が込められた、切実なまなざしだ。

「…長谷部?」
「申し訳ございません。…主は気付いておられたはずだ」

 ああ、やはり。毎夜の視線は長谷部のものだったのだ。それでも今夜は、あの心臓を鷲掴みにされるような心地はしない。長谷部はどことなく安心したように、室内と私の顔とを順にぐるりと見渡した。

「…どうかしたの」
「いえ、毎夜、…主は本当にここにいるのかと、その、不安に駆られ」

 言いにくそうに言い淀む様に驚いた。あの長谷部がこんなにも弱ったように、躊躇って視線をさ迷わせるのを、私は知らない。
 真っ直ぐに私を見つめる普段の眼差しと重ね合わせて、そっと息を吐いた。

「…何がそんなに、不安なの」
「……朝、主がいつものように目覚めることを、俺がどれだけ切望しているか、ご存知ですか」

 不意に脳裏によぎったのは、黒田にあったころの話だ。長谷部から聞いた訳では無い。日本号が、とても言いにくそうに、後ろ手に頭を掻いて、躊躇いがちに少しだけ聞かせてくれた。それは、長谷部の心のうちにずっとあったのであろう、大切な物語だった。

「長谷部、……そんな顔を、しないで」

 赤らんだ目尻に、指を伸ばす。ともすればぽろりと涙が零れてしまいそうなほど、震えるまつ毛が痛々しい。努めてやさしく目尻を親指で撫でたら、まるで人懐こい猫のように、長谷部は眼差しを細めて手のひらに擦り寄った。
 何故だかとてもたまらない気持ちになって、その頭を抱えるように抱きしめる。おずおずと背中に回された大きな手のひらは、布越しだというのにひんやりとしている。

「…主、あるじ」

 ぎゅうと力が込められた手のひら。この人は、毎夜切なさを内に押し留めていたのだろうか。そうして、人の身を得て、触れることを知ってしまったが故に、温もりを求めてしまうのだろうか。

「長谷部、ごめんね」
「俺は、貴女を忘れたくはないのです」

 それでも、私はいずれ長谷部を置いていくだろう。そうしたらまた、長谷部は私を忘れるのだろう。それでいい、と思う。それが、いい。
 長谷部の爪の先が私の夜着の背中を引っ掻く。何故、私は知らない風でいることが出来たのだろうか。不快なそれでなかったのなら、どうしたのと声をかけてあげればよかったのだ。

「…いいの、いいのよ。だって、長谷部が忘れたいと願うのは、私といた時間が幸せだったことの証明でしょう」

 形の良い頭に頬を寄せて、髪の毛を撫でる。肩を撫でる冷気に背筋を僅かに震わせたら、肩に埋もれた長谷部がくぐもった小さな嗚咽を漏らした。

「俺は、...主と同じ夢が見たいのです」

 零れたのは涙だけではない。これこそが、長谷部が望んでいたものだったのかもしれない。
 蝋燭の灯りがゆらゆらして、障子に映った二人分の、ひとつになった影を揺らす。そのさまをぼんやりと見つめながら、続きを促すために「うん」とだけ答える。

「共に、朽ちるゆめを」

 これ以上にない口説き文句だ。そのままきつく抱きすくめられ、倒された先の畳。途端に青々とした匂いが濃くなって、目前は長谷部の悲壮な泣き顔に塞がれた。

「長谷部、」

 与えられるはずがない。長谷部が持て余し、心から欲しているものなんて。
 それでも私は、そうは答えられなかった。ただの一言、「うん」と答えるしかできなかった。それが過ちだと知りつつも、このひとを宥める言葉を、術を持たなかった。

「…お慕いしております」

 頭上から部屋を照らす蝋燭の灯りを見上げた長谷部の、顎の先。僅かに突き出された唇がその火を吹き消すのを下から見上げながら、長谷部は私に隙を与えているというのに、凍りついたように、それでも私は逃げられない。
 月明かりが鈍く室内を照らす。ほたり。頬に落ちた冷たい雫に、とうとうどうしようもなくなって、気づかれぬよう浅い息を吐いた。



臨むべくもの



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