夏の暑い日のことだった。あまりにもみんなが暑い暑いと言っていて、馬当番も畑当番も、いつもならみんなこぞって手を挙げる手合わせすら身が入らない様子だった。だから、大きなたらいを蔵から持ち出して、井戸からみんなで水を汲んで、縁側に面した庭で水浴びをした。
縁側に腰掛けて水に浸した足先で、冷たい水を蹴った。跳ねた水しぶきははしゃぐ短刀たちに盛大にかかり、彼らは更にはしゃいで手で水をすくい、私へと放り投げた。陽の光を反射してキラキラと光る水しぶきがまるで宝石のようだった。
その時、私の眼前を袖で覆ったあの白さが、頭から離れてくれない。
私は、頭から水をかぶることを厭うつもりはなかった。背後で長谷部が、顕になった私の足に「はしたないですぞ」と少しの落胆を滲ませても、故意に気に留めなかった。けれど、真っ白な装束の彼は違ったようだ。
キラキラと弾けた水を受けてぐっしょりと濡れた袖を軽く絞りながら笑った彼の、その表情は逆光のせいでよく見えなかった。
*
「連日暑いなあ」
縁側を厨へと進む私の耳に入った声に、無意識に肩が跳ねる。瞬間、脳裏に過ぎったのは陽射しを遮った白と、影になった顔。口元の笑みだけははっきりと思い出せる。
盗み見るようにしてちらりと室内を見やったら、その視線は呆気なく捕らわれてしまった。
「...主も、そう思わないか?」
「……そうだ、ね」
心臓がどくどくとうるさい。何かの危機を発しているような、ただ事ではない太鼓の音が体をぐるぐると巡っていく。観念して、おずおずと室内に体を滑り込ませ、そうして鶴丸から少し離れた場所に腰を下ろす。そんな私を見つめる視線があまりにも恐ろしく感じて、自然と鶴丸の蓮向かいに座して笑っていた薬研に寄り添った格好だ。
落ち着かない指先は、緋色の袴をきゅうを握る。手のひらがじわりと汗ばんで、気づかれないようそっと袴に手のひらを擦り付けた。
「...離れすぎやしないかい?」
「...だって、鶴丸すぐ驚かせようと、するし」
口から飛び出たでまかせは、恐らく誰しも納得するもののはずだった。けれど何故だか目は泳ぐし、背中のあたりがじくじくとして身をよじるせいで、説得力の欠片もない。それでも僅かに視線を上げれば、気楽な装束の彼が胡座をかいて笑っている。ふっと、唇から生ぬるい息を吐いた。
「大将どこいくつもりだったんだ?」
「えっと、つまみ食い」
執務にひと段落ついて、そうして顔を上げた時、ふっと頭に鶴丸がよぎったから、だからそれを振り払おうとして厨へ繰り出すことに決めたのだ。つまみ食いができなくても、きっと歌仙か光忠が、その懐の広さで私をすっぽり覆い隠してくれる。「またか」と笑う薬研に「だっておいしいんだもん」と尤もらしく拗ねるその実、私の指先はささくれをいじくりまわすだけ。
「、部屋、もどる」
「どうしたんだ?」
「やり忘れたこと思い出した!」
居心地の悪さにとうとう音を上げて立ち上がる。立ち上がって一歩踏み出す瞬間、袴の裾をつま先で踏んでしまってあわやすっ転びそうになったが、かろうじて耐えた。目前に、受け止めんとして両手を広げる鶴丸がいたものだから、ますます居心地が悪くなるばかりだ。
「主」
部屋を出て足早に部屋へ戻る。しかしそれはあと一歩のところで叶わずに、手首が呆気なく、細いのに男の節ばった指に掴まれた。
縁側の床板が、ぎしりと嫌な音を立てる。
「な、なに、」
「……そんな顔で俺を見るなよ」
握られた手首が痛い。鶴丸は決して強くは握っていないはずなのに、まるで体中の血液が沸騰するようだ。
「...、ど、どんなかお……」
「めでたいな。...俺の白と、君の赤で」
にやりと意地悪く笑った顔、今度は逆光に隠れず、そのせいで脳裏に焼き付いた。
するりと解放された手首を胸元に抱えたけれど、心臓は相変わらず太鼓鐘のようだし、血液も沸騰したままだ。肩と喉が震えて、わけもなく涙が出そうになる。いったいこれは、なんだ。
「そんな目で見てると、食っちまうぞ」
「は、」
視線を上げた先、視界の隅で鶴丸の指先が私の手のひらを取って、そうして、指先にくちづけた。
さくら