うーん、うーん。

 寝起きのぼんやりした頭で、自室から縁側を通る。随分と肌寒くなった季節に、裸足で踏む縁側のつやつやとした床板が冷たく、痛みすら感じる。ぎしりと音を立てる縁側に、心臓がぎくりと跳ねなくなったのはいつからだったろう。羽織を肩から掛けて、顔を洗いに通った障子の向こうから、うなり声が聞こえた。

 うーん。

 厭な夢にでも魘されているのだろうか。短刀たちに与えた部屋からは既にきゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえる。誰かがまだ寝ているのだろうか。そっと障子を滑らせて中を覗いたら、そこにあったのは直立で俯いた後ろ姿だった。

「...光忠、なにしてるの」
「ああ、おはよう」

 少し驚いたふうにこちらを振り向いた光忠だが、恐らく私の気配なんて随分前から気付いていただろう。その証拠に、閉まっているはずの障子の隙間から掛けられた声に気づいたにしては、驚きが足りない。鶴丸じゃないけど、少し驚いた顔が見たかったなあと、ぼんやり思った。
 手元をのぞき込むように室内へ入れば、光忠の手には2本のネクタイが握り締められている。わざとらしく小首をかしげた光忠が、へらりと困った顔を浮かべて笑う。

「君はどっちがいいと思う?」

 こんど、首をかしげたのは私の方だ。大変残念なことに、光忠が目線の位置まで掲げてくれた2本のネクタイは、私にとってどこが異なるのかわからない。それでも光忠は悩んでいるようだから、どこかが違うはずだ。もっともらしく「うーん」と口にしながら2つを交互に見比べても、申し訳ないことにその差は全くわからない。同じ、黒。私が感じたのはそれだけだ。

「...こっち、かな」

 ほとほと困り果てて、全く同じにしか見えないネクタイの右側を指さす。光忠は閃いたように微笑み、右側のネクタイをシャツの首元に当てて、鼻歌まで歌い始めた。
 未だにどちらがどう違うのかよくわからないでいる私でも、選んだものを嬉しそうに身につけようとする姿は素直に嬉しい。

「どう?かっこいい?」

 鼻歌交じりにするすると流れるような動作で首元にネクタイを締めた光忠が、普段あまり見ないようなくしゃりとした笑顔で顔を上げた。じゃーん、と効果音がつきそうなほど、光忠はなんだかキラキラしている。

「うん。かっこいい」

 実はよくわかっていません等とは口が避けても言えまい。
 光忠はいそいそと鏡を取り出し、ネクタイの具合を微調整して、髪の毛をいじり始めた。

「光忠はおしゃれね」
「そうかい?いつでも君にかっこいいって思われたいからね」

 ぱちん、と片目をつむった光忠は、相変わらず嬉しそうに準備を整える。今日の出陣部隊に組み込まれているのだから、戦闘中にぐしゃぐしゃになりそうなのに、と思うが、それがおしゃれというものなのだろう。

「主、」
「ん?」
「もう1回言って」

 準備ができたのか、鏡をしまい込んだ光忠が、襟元をぴっと正して、私の寝癖に指を伸ばす。途端に寝起きだということがすぐにわかる自分の姿が恥ずかしくなって、かあっと顔に熱が集まった。

「……かっこ、いいよ」

 恥ずかしさのまま表情を隠すように俯けば、光忠はまたどこからか櫛を取り出し、さらさらと私の髪の毛をとき始めた。

「きれいな髪だね」
「ね、寝癖すごいけど」
「君はもっときれいになるね。……これから」

 ちらりと目だけで伺った光忠の表情が、少しだけ悲しそうに遠くを見ている。途端になんだか寂しくなって、思わず光忠のきちんと結んであるネクタイの結び目に手をやった。

「...ちょっとだけ、曲がってる」
「本当かい?ありがとう」

 向かい合ってネクタイを結んであげるというのは、なんて幸せな光景だろうか。気恥ずかしさにちょっと触っただけで引っ込めた指先を、光忠のまだ手袋をしていない指が捕らえた。ひやりと骨ばった、男の人の指だ。
 なんだか眩暈しそうになって、思わず指先を光忠の手中から奪い取る。

「わ、私顔洗ってくる」
「うん。いってらっしゃい」

 視界に入った光忠の所有らしい棚には、同じようなネクタイや手袋がずらりと並んでいた。おしゃれって、大変だ。
 振り向いた先では、障子の影から乱ちゃんと前田くんと平野くんが縦に並んでニヤニヤとこちらを見守っていた。




うしろのしょうめん



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