夜は嫌いだ、主はそう言った。
俺は何と返答したものか考えあぐねて、結局何も言えずに主の目の前に鎮座する湯のみに熱いお茶を注ぎ足した。
 確かに、外が薄暗くなると主は目に見えて気鬱になる。口数も減り、顔を伏せることが多くなる。しかし不思議なことに、主の眼差しは暗闇に爛々と輝くのだ。

「鶴丸」
「なんだい?」
「今夜、部屋に来て」

 予想外の言葉に驚いて、喉から素っ頓狂な声が漏れた。予想外の驚きもまたいいものだ。ほんの僅か動揺する心を落ち着けるように、自分のことすらも内心で茶化す。次いで頭をもたげたいたずら心に、俺は素直に従うことにする。

「大胆だね、夜伽のお誘いかい?」

 しかし主は俺の予想を簡単に裏切るように、表情を一切変えず、俺のことをちらとも見ないまま、形の良い唇を開いた。

「……そうよ」


*


 一体、自分に何が起こっているのだろうか。問うても答えは与えられない。わかるのは、あまりにも淫靡な光景が眼下に広がるという事実だけだ。

 行ってはいけない、行ってしまいたい、相反した気持ちで、結局主の部屋へと足を運んでしまったのは、人の男の器を与えられた身として当然の性だったのかもしれない。
 心の臓は煩く、体は火照った。情けなく指先は震えていたのに、足はさかさかと主の部屋を目指す。まるで制御のきかない自分の体に、"何かを期待している"というだけはわかった。

 そして今、主は俺の股間に顔を埋めて、いやらしい音を立てながら、時折濡れた瞳で見上げてくる。その度にいきり立った陰茎が、じくじくと甘く痛む。ゆっくりと腰に、そうして背中にと広がる言いようのない甘さが、頭の中をどろどろに溶かしていくようだ。

「、っ……」
「...つるまる、さわって」

 黒く、生ぬるい何かが勢いを増して俺の体ごとさらおうとした瞬間、主は呆気なく顔を上げ、夜着をくつろげて俺の手をとった。
 握られたその手のひらは、ひたすらに柔らかい。この手が先刻まで俺の陰茎を支えていたのかと思うと同時、体ごと引き寄せて、主の唇に噛み付くようにくちづけた。
 柔らかい唇の中で蠢く舌先、口吸いの最中というのに、俺の夜着をくつろげて、そっと体をなぞる指先。

「君は、毎夜こんなことを?」

 離れた唇で、耳を塞いでしまいたい衝動に駆られながら、聞きたくもないことを聞いた。再び口づけることがいとも容易い、ほんの僅かな距離にある温かな唇が、ねだるように俺の耳元をかすめる。

「...鶴丸が、はじめてよ」

 どうしようもなくなって主の背中をかき抱けば、本丸にいる誰とも違う香りが肺いっぱいに広がった。

「……きれいな瞳ね」
「そうかい?……君の瞳も、美しいと思うよ」

 我ながら気障な台詞だと思う。それでも主は、眩しいものを見るように、眼差しを柔らかく細めて笑った。

 君の黒い瞳が好きだよ。ちょっとしたいたずらに引っ掛かって、驚きに見開いた瞳も、怪我を負って帰還した刀を見つけるなり、水の膜が張る瞳も。そうして、俺の金色を映すその瞳も。
 決して今更口には出来ない言葉を、言い訳のように心中で並べ立てる。まるでこれから起きることが、正しいことだとでもいうように。

「んっ、」
「...触ってと言ったのは君だろう?」

 主の夜着が、薄い肩からぱさりと落ちる。落ちた先の敷布は、2人の動きに沿うように皺が寄り、その扇情的な光景に息を飲んだ。

 右手で主の体を支えながら、胸のやわらかさを堪能する。左手は蜜壷を、努めて優しく弄る。指の1本を動かす度に跳ねる、主の声と体が愛おしい。粘着質な水音が、鼓膜を揺らす。ふるふると震える胸が、障子越しの月明かりに照らされてぼんやりと、神々しく滲む。

「つ、るまる」
「ん、なんだ?」

 主の手は俺の陰茎を握り、やわやわと握ったり、上下に扱いたり、時折親指の腹で鈴口を撫でる。先刻の舌先の刺激には勝らないまでも、一つに溶け合ってしまう準備は出来てしまった。

「もう、」
「……ああ、なんだかもったいないな」
「もったいない?」
「こんなことになるのなら、もっと味わっておくんだったよ」

 何を、とも言わず、聞かれず、ゆっくりと温かなからだを組み敷いて、主のとろとろに溶けた場所へ、陰茎を押し込む。主が息を飲む音がして表情を見れば、苦悶に耐えているふうだ。まだ入りきっていない結合部を動かさずに、じっと主の眉間の皺や、結ばれた唇や、繋がった箇所を上から眺める。

 薄くまぶたを開いた主の、途方に暮れたような、思考が溶けきってしまったかのような目の色に、大きく腰を突き上げた。嬌声を飲み込むように口付けて、至近距離で俺の金色でいっぱいになった黒い瞳が、俺を世界から覆い隠してしまいそうだ。

「あっ、あ...ん、」
「っ、...ああ、」

 飲みきれない声が、腰あたりを殴りつける。止め方を知らない欲は、きっと、主を壊してしまう。

「夜が、きてしまう、」
「...夜に隠されているから、俺は君を抱けるのさ、っ」

 細い細い声。主が恐怖しているもののその実体を、俺はとうとう知ることは出来なかった。




恐怖症



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