本日、大荒れ。

 言っておくが、天候の話ではない。それよりもっと密接かつ重大な、主さんのご機嫌の話だ。思えば主さんは今朝からあまり機嫌が良くなかった。それは恐らく寝不足のせいだったと思う。
 昨晩うちの飲兵衛たちがはしゃぎすぎたせいで障子を盛大に破いた。主さんは怒りも通り越した様子で片手で顔を覆い、ふふっ、と周りの人間が凍ったように動かなくなるくらいに楽しそうに肩を震わせたのだった。ひとしきり笑った後、主さんは少し淀んだ眼差しで「請求書、つくらなきゃ...」と呟いていた。
 障子を破いた当の次郎さん、岩融さん、日本号さんの酒飲み三名はと言えば、今日はとても静かだ。静かに部屋の隅に集まり、時々主さんの声にびくりと肩を震わせている。よほど昨晩の主さんが怖かったと見える。

「シュメイガーシュメイガーって、鳴き声か!!!」

 ずいぶん手厳しいことを言うなあ。畳に正座する長谷部さんが、まさに顔面蒼白といった感じで固まっている。
 そうだ。今朝から主さんは機嫌が悪かった。普段粟田口と一緒に笑い合いながら食べていたおやつも食べなかったし、時々厠へいくために通った縁側ですれ違った時も、目を合わせてくれなかった。
 「主命とあらば」いつも通りのセリフだったはずだ。しかし今日は主さんの逆鱗に触れたようだ。主さんは軽い気待ちで頼んだだけだったのだから、それもまあ致し方なしかもしれない。主さんは寝不足らしくぼんやりした眼を擦りながら「お茶が、ほしい」と小さく言った。確かに主命だなんて大げさな話ではない。長谷部さんは目に見えて落ち込んでいる。ここで"主命とあらば今後は主命とは言いません"とでも口にしようものなら、ますます主さんの機嫌は急降下するだろう。偉い、長谷部さん。

「まあまあ、ほら、長谷部さんも悪気があったわけではないですし」

 主さんがふうふうと呼吸をととえている間に、助け舟を出す。男がこんなに集まって、主さんひとり落ち着かせることも出来ない。長谷部さんは縮こまってたまま僕を見上げた。
 しかし、途端に主さんの鋭い眼光が僕を捉えた。……あれ?

「堀川も!!!いつも、カネサンガーカネサンガーって、鳴き声か!!!!ごめんねまだ君の兼さんをお迎えできなくて!!!」

 ……次は僕か!
主さんはどれくらい疲れきっていたんだろうか。いつか縁側で二人並んだ時、主さんは「そらが、きれい」と言っていた。その目があまりにも荒んでいたことを唐突に思い出す。「忙しいんですか?」と僕が軽い気持ちで聞いたら、主さんは丁寧に指を折りながら仕事の数を教えてくれた。
 まだ直されていない穴だらけの、所々骨が折れた障子に向かって、主さんが一直線に拳を突き出した。

「主さん、お菓子食べましょう、お菓子!」

 いま主さんに必要なのは甘いものだ。早く!そんな気持ちで振り返った先の光忠さんが目だけで"合点だ!"と言って勢いをつけて立ち上がり、足早に厨へと向かった。
 主さんの眉間に指をのばして、その険しいシワを揉みほぐす。皆が固唾を飲んで見守る中、ようやく主さんは息を吐く。主さんが突き破った障子を見ないふりして、背中を撫でる。

「君の好きなうぐいす餡のお饅頭だよー」

 驚く速さで戻ってきた光忠さんが、主さんにお饅頭が二つ並んだお皿を手渡す。主さんは光忠さんと俺と長谷部さんを順にぐるりと見やった後、最後に障子を見て、また力任せに腕を抜いてからお饅頭の一つを口に運んだ。

「……ありがと」
「お茶も欲しいですよね!」

 主さんをこのまま落ち着かせる好機だとばかりにぱんと一度手を叩けば、背後で一期さんがかちゃかちゃと音を立ててお茶を淹れる音がした。戦場で培った連携を今こそ発揮するんだ!室内にいた他の人間が居住まいを正す気配がする。

「ほら、とりあえず座ろうよ主さん」

 視線を下げれば、目が合った加州くんが隣の鶴さんの座る座布団を力任せに引っこ抜き、手で"こちらへどうぞ"と告げる。鶴さんは座布団を引っこ抜かれた反動で、部屋の隅の飲兵衛三名の元へと倒れ込み、「...驚きだな!」と声を上げた。やかましい。できるだけにっこり笑ってそちらを見たら、飲兵衛たちが鶴さんを拘束してさらに口を塞いだ。

「……」

 大人しく座布団に座った主さんの前に、一期さんがお茶を置く。手が震えているせいか湯のみが震えている。一期さんの顔を見たら、一期さんは笑いをこらえているようだ。

「あ、あーそうだ僕今日の夕餉は主の好きなもの作っちゃおうかな〜」

 光忠さんの声が少し上ずっている。減点。でもお茶を飲む主さんは心なしかずいぶん落ち着いてきたように見える。光忠さんと頷きあって、その背中が厨へ行くのを見守る。次いで薬研くんと歌仙さんが光忠さんを手伝うべく厨へと走っていった。

「長谷部」
「はいっ」

 主さんのいつも通りの声。少し固いけど、普段良く聞く声だ。心からホッとする。長谷部さんは予想外の呼びかけに声が跳ねた。

「その、...ごめんね?」
「いえ、どうぞ、どうかお気になさらず」
「堀川も、えと、ごめん」
「大丈夫です!そんな時もありますって!」

 大げさなほど明るく言えば、主さんは二つ目のお饅頭を手に取った。
 そうだ、こんな時もある。こんなこともある。思い返してみれば主さんはいつも笑いを絶やさない人だった。怒ったり叱ったりしたことはあったが、ここまで感情をあらわにしたことは無かった。……我慢してたんだなあ。

「...なにしてるの」

 主さんの呆れたような声に視線を追ったら、そこには口をふさがれて、青なのか赤なのかわからない色に顔を染め、肩を震わせながら口を塞ぐ手をぺしぺしと叩いている鶴さんがいる。

「新しい遊びです。主さんは気にしないで」

 今はまだ、飲兵衛たちを主さんの視界に入れたくはない。
そんな気持ちを汲み取ったのか、主さんはいつも通りの穏やかな笑顔で立ちすくんだままの僕を見上げた。

「大丈夫よ。次やったら折るから」

 穴の空いた障子から吹き込む冷気のせいか、長谷部さんが小さくクシャミした。




台風一過



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