新隊員が入ってきた一週間後のことだった。まだ見慣れない顔ぶれがキョロキョロと興味深げにうろつく中で、誰とつるむでもなく一人でランク戦を一心に見つめる女が、こちらを見て小さく会釈した。

「風間サンですね」
「…そうだ」

長身を包む真新しい隊服。まくった袖から伸びる腕は、細いながらも均整な筋肉がついているように見える。茶色がかった瞳を細めて、女は一度頷き、納得したようにランク戦へと視線を戻した。

「風間サンは、ランク戦には出られないので?」
「いや、」

身長差のせいで、自然と俺が見上げる格好になる。女はB級のランク戦を最後まで観戦し、そして取り出したトリガーホルダーを見つめ、首をかしげた。

「スコーピオンですよね、風間サン」
「ああ」

女はまた頷いて、トリガーホルダーを仕舞いこんだ。すらりとした体躯に、そういえばと心当たる。スカウトで、身体能力の高い女が今回入ってくると聞いた気がする。その人物が、今目の前にいる女だろうか。

「お前は、スカウトされて入ったのか」
「ええ、まあ」

なんとなく手応えのない返答に、自然と眉間にシワが寄る。言いようのない得体の知れなさを持った女は、なんでもない顔をして俺を見下ろす。

「死に場所を探していて」
「……は?」

淡々と、女はそんなことを口にした。なんでもない表情のまま、真っ直ぐに俺を見つめて、そしてそっと息を吐く。

「ここでなら、死ねるかと」
「……何故俺にそんな話をする」
「なんとなく」

よくよく見てみれば、束ねた髪の影、首筋に刺青があった。小さな文字の羅列に見えたが、残念ながら何を示す文字なのかまではわからない。まとう雰囲気との相乗効果で、ますます得体の知れなさを感じる。

「それじゃあ、突然すみませんでした」


*


それから暫くして、あの時の女がB級に上がったと風の噂で聞いた。

着実に、負けたり勝ったりを繰り返しながらランクを上げていくその様は、まさに堅実という言葉が合う、と、それも噂でだけ聞いた。
そして俺は思うところがあって、あの女のランク戦を見ていない。

「そういえば、なまえさんの隊A級目前みたいですね」

作戦室で、三上がそんなことを口にする。菊池原が心底嫌そうな顔をして、うへえと情けない声を上げた。

「誰だ、それ」
「あー、風間さんは知らないんですね」

菊池原がモニターに、隊のメンバーを映す。そこには、紛れもなくあの時の女が映っていた。隊の全員が形容し難い表情と雰囲気をまとって、まるで囚人の写真のようだと思う。

「この隊、みんなものすごく暗いんですよ」
「人間としてポンコツって言われてます」

顰めた眉の菊池原が息を吐き、三上が辛辣な評判をさらりと口にした。

「人間としてポンコツ?」
「隊全員、捨て身の戦法のくせに対戦相手に執拗で、一言で言うと気分が悪いんです」

三上はこの隊の戦い方をすべて知っているような口ぶりだ。オペレーターだからだろう、とすぐに思い当たって、モニターに目をやる。全員が、死んだような目をしている。

「それで、A級には上がれそうなのか」
「このままならそうなるでしょうね」

辟易したように吐き捨てた菊池原の声と表情を見るに、菊池原もまた、人間としてポンコツだというこの隊の戦い方を目の当たりにしたことがあるんだろう。

「今度、観戦しにいく」
「気分悪くなりますよ、絶対」


*


「なんだ、これは」
「だから言ったじゃないですか」

あの隊のランク戦、三上は両手を上げて降参のポーズをして見せた。つまりは観戦したくないのだと、そうありありとわかる態度で、困ったような表情を浮かべていた。菊池原は一言、「怖いもの見たさで」とだけ言って、俺のあとをついてきた。

モニターの中、隊員たちは対戦相手の指を飛ばし、片足を切り刻み、耳を撃ち、とにかくなぶり遊んでいるとしか形容できない。皆一様に、口元に笑みを浮かべて。死んだような目の色で。

「…気分が悪いな」
「ポンコツって表現は、結構オブラートに包まれてるんですよ」

対戦相手は震えながら、トリオン切れを目前にして応戦する。しかしその度に目に弧月を突き立てられたり、口にバイパーをピンポイントで撃ち込まれたり、心臓を射抜かれたりして、呆気なく終わる。

「個々の能力は高そうだ」
「あいつら、絶対虫とかなぶり殺して遊んでますよね」

これまでの戦歴を見るに、確かに結果論でいうならばまさしく堅実なのだろう、と、噂の曖昧さにそっと息を吐く。

「…風間サン」

名前を呼ばれて振り返れば、そこにはランク戦を終えたあの女がいた。あの時とはまた少し違った雰囲気をまとっている。あの時よりも掴みどころのない、生気のない眼差し。

「…A級目前らしいな」
「ああ、そうみたいですね」

興味なさげに、訓練室を出ようとする自らが所属する隊の人間たちを目だけで見送る。全員、俺を見ようともしない。菊池原が舌打ちして、女を見やる。

「うちの隊、遠征に行きたいらしいです」

ぽつりと、女が口にした。なんと返答していいものか迷っていれば、菊池原が躊躇いなく「無理でしょ」と言い放った。

「私もそう思います」


*


『あそこ、A級に上がるのが決定したそうです』

防衛任務の終盤、目の前の近界民をあらかた掃討した後、三上の声が無機質に耳に届いた。特に興味のある素振りを見せたつもりはなかったが、同じく三上の言葉を聞いた菊池原と歌川が、ごく自然な動作で俺を振り向いた。

「そうか」

しかし、あそこの隊と言われただけで浮かぶ女の無表情と、暗い眼差しに、興味が無いとは断言できないなと一人心中でため息を吐く。
あの隊は一体何を目的としてボーダーにいるのだろうか。ぼんやりと、三上の言葉を反芻する。

「あいつら、俺らのことも近界民のことも、おもちゃとしか思ってないんじゃないですか」

吐き捨てるようにそう口にした菊池原は、ふっと顔を上げて「げ」と声を上げる。菊池原の言葉になるほどな、と漠然と納得して顔を上げたら、そこには弧月を翳すあの女が立っていた。

「…任務は完了したのか」
「たぶん」

逆光で表情はよく見えないが、女の口元は笑んでいる。弧月が長身によく映えて、途端に体の中にじわりと嫌なものが広がった。

「お前はいつか、死に場所を探していると言ったな」
「……本部に戻れば皆さん知るところになりますが、うちの隊に欠員が出たんです」

脈絡なく、女がそう言って弧月を一振りする。簡単に、まるで自らの腕の延長のように自在に動く弧月は、その大きさや重さを一切感じさせない。
ふと、誰か師がいるのだろうか、と考える。

「欠員?」
「防衛任務の前に作戦室へ行ったら、首を吊って死んでいました」

女はなおも、口元に笑みを浮かべている。


*


「風間サンの目、赤くてきれいですね」

隊員の一人が首を吊って死んだというあの日から一週間。その一週間のあいだに、女の隊ではまた一人、自殺者が出た。今度は作戦室で手首を切り落としたと言う。
そのおぞましさに、本部の誰もが女たちに話しかけることはなくなった。女たちもまた、誰かに積極的に関わろうとはしていない。
しかし、隊は結果だけでA級へ上がった。

「…隊員たちは、何故自死を選んだ」

モニターの向こうではソロ戦が繰り広げられている。それまでソロ戦にかじりついていた人間たちが、こちらに顔を向けて息を飲む気配がする。

「待ちきれなかったんですよ」
「何をだ」
「全員、どこか他の星で死ぬことを望んでいたんです」

女は笑顔だった。黒ずくめの隊服からは、指先と顔しか出ていない。否、首は出ていた。しかしそこにあったのは肌の色ではなく、真っ白な包帯だった。

「……お前、首を、どうかしたのか」
「ほんの弾みで……私も、待ちきれなかった」

背後から足音が聞こえる。その声の主は焦り青ざめた表情で、「またあの隊の人間が自殺した」と震える声で告げた。
女はさらに笑みを深くして、「みんな、せっかちで困る」と呟く。


*


「あの隊の人間は全員、家族を近界民に殺されています」

自殺者が相次いだあの隊は当面の活動を凍結することになった。とはいえ、ソロ戦には出ているようだ。
憎悪の眼差しを隠さない三輪が、かつてあの隊の作戦室が存在していた方向を遠く見つめて、硬い声で報告する。

「全員か」
「はい。それも、皆目の前で」

上層部ははっきり言って、あの隊を持て余している。それでも、女を含めて実力は折り紙付きだ。結果は、そう言っている。

「全員、何かに取り憑かれたように死を望んでいる」
「俺には理解できません」

にべもなく言い放った三輪が、会釈をして俺に背を向けた。

「あいつらを壊したのは、本当に家族の死か?」

足を向けた先は、かつてのあの隊の作戦室だ。閉ざされているだろうとばかり思っていたその扉は、鈍い音を立てて呆気なく俺を中へと招き入れた。

まだ乱雑な室内。デスクの上に散らばる資料。血痕が残った椅子。背筋が薄ら寒くなる。
ふと見下ろした先の資料に並ぶB級隊員たちの顔写真に、今度こそ俺は体の震えに耐えきれず、逃げるように部屋を出た。


*


「風間さん、どうかしました?」
「、ああ、三上か」

動悸がうるさい。額に滲む汗で、前髪が張り付くのすら気分が悪い。

「A級隊員全員に伝えろ。あの隊の人間には、一切関わるな」

それは恐らく気休めにしかならないだろう。現にソロ戦では、A級隊員が何度も何度も、なぶり殺されるように敗北を喫しているのだ。

「でも、風間さんはなまえさんと関わりがありますよね」
「あいつらの憎悪の先がわかるか」

三輪は、肉親を殺された復讐心を近界民に向けている。兄を殺された俺は、復讐しようとは考えていない。
あいつらは、憎悪をボーダーに向けていたのだ。おそらく最初から、ずっと、今も。
だからランク戦やソロ戦で惨い戦法をとるし、遠征で死ぬことを望んでいた。遠征で死人が出れば、ボーダーがこれまで積み上げてきたものが失墜する。

血痕の残る作戦室のB級隊員の顔写真には、殺した回数を正の字で記録して、更にカッター類の何か刃物を、その顔に突き立てた跡が残っていた。


*


「風間サン」

防衛任務が完了した俺の目の前に現れた女は、片目に眼帯をつけている。
生気のない眼差しと声に、皮膚が粟立つ。

「…任務は完了したのか」
「ええ、まあ」

女がゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる。背後で歌川が構えた気配を感じて、手だけでそれを制止した。

「お前がボーダーに入ったのは、俺たちを何度でも殺せるからか」

ボーダーの訓練はよくできたシステムだ。俺たちは、そのシステムの恩恵に預かってきた。死に対して鈍感になっていることも否めない。緊急脱出機能もまた、そのことに拍車をかける。俺たちにとっての死は、他人事になった。

「なんだ、知ってたんですね」

女が酷く嬉しそうに笑って、そして俺の頬に手のひらを当てた。手のひらは驚くほど冷たい。

「風間サンの目の色だけは、好きだった」

細い長身、生気のない肌の色、暗い眼差し、薄い微笑み、冷たい手のひら、首筋の文字の羅列、そして首から覗く傷の跡。

片目を隠す眼帯に指を引っ掛けたら、そこから覗いたのは血の滲む赤黒い傷跡だった。


*


「隊務規定違反で除籍にするしかない」

会議で満場一致で決定したのは、あの隊の生き残りをボーダーから追い出すという結論だった。
該当する隊務規定違反は、任務外での交戦などという生ぬるいものでない。

あの女の傷は、活動凍結中のかつての仲間から受けたものであった。

「しかし、なぜボーダーをそこまで憎んでいるのか」

忍田本部長が、険しい表情を崩さずに息を吐く。会議に参加していた面々が同意を示すように俯いて、同じように大きく息を吐いた。

まさにその時、かつてのあの作戦室で、女が自らの首にカッターを突き立てているとは、誰も知らず。


*


「風間さん、また行くんですか」

諦めと非難が混ざる響きで、すれ違いざまの菊池原が眉をしかめた。
パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、ほんの少し思案して「ああ」と、それだけ答える。

あの女は行く先々でなまえと名乗っていた。ボーダーの名簿にもその名前が記載されていた。しかし、事実は異なる。女の首筋に彫られていた文字の羅列こそが、女の本当の名前だったようだ。その名前は、まだ誰も口にしない。

「なまえさんには、剣道の師がいました。祖父だったようです」

いつの間にか隣に並んだ迅が、かねてから調べて欲しいと頼んでいたその答えを告げる。

「…恐らく、その師も目の前で殺された」

あの女を含め、全員が目の前で家族を殺された。そして調べる限り、そこにはボーダーがいたはずだった。しかし家族は救えなかった。人が不足していたから。能力が足りなかったから。諦めるに相応しい言い訳の羅列をよく耳にした気がする。

つまり、見殺しにされたと感じたのだろう。もちろん、推測でしかない。本部での自死は当てつけだったのだと考える方が、俺の中では自然だというだけの、辻褄合わせの推測だ。

「行ってくる」
あれから毎日、暇さえあれば病院へと足を運ぶ。

死に損なったと知ったあの女の表情を、一番最初に見たいと思う。そして、誰も口にしない名前を呼んでみたいと思う。

「風間さん、それって恋じゃないですよね」
「……そんな醜悪なものではない」

血の気のない眠り顔。

今日もまた、冷ややかな唇に、唇を合わせるのだろう。あの女と同じように、薄ら笑みを浮かべて。あの女が好きだと言った赤い瞳を伏せて。恐らく最大の屈辱を与えるのだ。



きれいならばそれでいい



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主催企画「甘い毒」に提出
ほんのちょっと加筆修正しました







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