一人、街を歩く。
行き先はほとんど恒例になった、影浦の家のお好み焼き屋だ。「今日来いよ」と、唐突に影浦から誘われたのは、午前のことだった。

もうすっかり覚えた道をのんびり歩く。集合をかけられた内の何人かは既に目的地に到着しているはずだ。遊真は玉狛支部で行われた三雲隊のミーティングが終わってから、一人で影浦宅を目指して歩いている。

「……ん?」

ふと、街の中で見覚えのある横顔とすれ違った。考えるよりも早く、足が動いた。

玉狛第二が念願の遠征部隊選出を果たし、迫る遠征に多忙な日々を送る中でも、一度も忘れたことのない横顔だ。記憶にある表情とは異なっていても、遊真には忘れることのできない、何度も思い浮かべた横顔。

「なまえ!」

呼ばれて振り向いた女性は、遊真の顔を見下ろして、少しだけ首を傾げて困ったように曖昧な笑みを浮かべた。

「ええと、……すみません、どなたでしょう」

夕暮れの街を橙がぼんやりと照らしている。春を控えてもまだ冷たい風に頬と目元を紅くして、暖かそうなコートに身を包んだその女性は、とても穏やかに微笑んでいる。

遊真はズボンのポケットに突っ込んだ手をぎゅうと固く握った。きっとそれはかつて遊真が見たかった光景だった。それを今更知ってしまった遊真が、滲みそうになる視界で、目を細めて笑ってみせる。

「……もうしわけない、しりあいに似てたもので」
「そう、?でも、名前まで一緒」

驚きながら小さく笑った彼女。不意に冷たい風が二人の髪の毛を撫でた。揺れた彼女の髪の毛、その中に見えた右耳に、見覚えのある宝石がちらりと光って、遊真はそこに視線を奪われた。

「…………ここに住んでるのか?」
「北海道に。ここには出張で」
「そうか」
「折角声をかけてもらったから案内でもしてもらおうかなと思ったんだけど、不思議なことに、私この街を知ってるような気がするんだ」

頑なに他人との接触を拒んできた彼女より、少し大人びた視線に見える。声をかけてきたのが自分より幼い少年だったからか、彼女は自然な口調で口にした。かつてとは違って他人への警戒心が薄そうな彼女は心底不思議そうに、それでも懐かしそうに街並みを仰ぎ見る。

遊真は気を取り直して、顔をあげて笑った。

「おれで良ければ案内する」
「ねえ、いま気づいた」
「何をだ?」
「私のピアス、きみの瞳の色と同じだ」

彼女が屈託なく笑う。きちんと会話ができているのか気になるやり取りではあったが、そのやり取りに遊真の心は和らいだ。

そうして、遊真は理解した。瞬間的に、今まで見ようとしなかったこと、気づかないようにしていたこと、自分が欲しかったものと、そしてもう二度と手に入らないものを。

遊真はなまえが欲しかった。そうしたら、全てが理解できるような気がしていた。過去の過ちも、父親の行動の理由も、自分のこれからも、今までの選択もこれからの選択も、全てを肯定できるような気がしていたのだ。隣で彼女が笑うなら。

彼女は右耳を隠す髪の房をひとすくい持ち上げて、耳たぶに光る宝石を遊真に見せる。そこに輝く血の色が、あの時と一緒で、そして、遊真が大切にしまい込んで、祈っている宝石と一緒だったから、心臓が痛くなった。

「それ、」
「うん?」
「…似合うな」

口をついて、「俺もたいせつにしてる」という言葉が出そうになったのを、寸でで堪えて誤魔化した。彼女はその言葉に屈託無く微笑んだ後、目を細めて思案する表情を浮かべた。

「……へんなこと、言ったか?」
「うーん、このピアスね、片方失くしちゃったみたいなんだけど、なんか外せないんだよね」

「おかしいでしょ」と彼女が笑う。彼女が失くしたと思っている耳飾りの片方は、目の前の遊真が大切に大切にしている。

遊真は、確かに目の前の彼女が遊真の知るなまえであった証を彼女の中に見つけることが出来たことで、心の底から嬉しくなった。

「……いま、どんな仕事をしてるんだ?」
「技術職、って言ってわかるかな」
「たぶん、だいたい」

彼女は彼女のままだ。そのことが遊真の心を締め付けて、強く掴んで、不意に遊真の目尻から涙がこぼれた。

「え、ねえ、どうしたの」
「ごめん、」

彼女の手がバッグをまさぐって、小さなタオルハンカチを取り出す。遊真に差し出された手。遊真はその手をそっと握った。記憶にある、冷たい、冷たい手。

会いたかった、会いたかった。

遊真の執着の理由に唐突に答えが与えられた。

初対面のはずの遊真の、唐突な行動。それなのに彼女は振り払ったりせずに、反対の指先で遊真の涙を拭った。

「ねえ、わたし、ずっとあなたに会いたかったような気がする」

雑踏が二人を通りすがっていく。
灯り始めた自動車のライトと街灯が、彼女の右耳の宝石に反射してひかる。

遊真が、彼女の手を強く握って名前を呼んだ。

「……なまえ」

不安気に、彼女の表情を見上げる。

確信を持って名前を呼んだ遊真に驚き顔の彼女の目尻からも、唐突にゆっくりと涙が伝った。

「なまえ、ここから、もういちど」

遊真が、彼女の体を抱き締める。
祈る。
どうか。
どうかまた、抱き締め返してほしい。

彼女の両腕が、動揺しながらも、自然に動いた。



死んでしまった神様へ




いつまでも、何度祈っても、乗り越えられなかった記憶がある。夜がある。それを見つけ出して伸ばされた唯一の少し小さい手は、冷えた彼女の手をずっと一生懸命に温めようとしていた。

それが、彼女の罪がかみさまの代わりに彼女に与えた、最後の勇気と出会いだった。



END





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