空が高い。きれいに整えられた屋上の隅で、白い雲が橙に滲む空を見上げる。
放課後のレッスンの途中、目まぐるしい一日から解放されるこの瞬間の空が、いっとう好きだ。心地よい疲労感と達成感。毎日毎日が新鮮な学院生活。
それでも人と関わるのがヘタクソな私は、自分をリセットするためにほぼ毎日、屋上への階段を昇る。

「嬢ちゃん」

橙に照らされる白い校舎、その影がすこし暗く、家路を急かす。
プリーツを揺らして声のした方を振り向いた。

「お疲れさまです」

武道場から、人が畳に叩きつけられる音が響く。
振り向いた先の強面と白い柔道着も橙に染まっている。彼はゴツゴツした人差し指で頬を引っ掻いて、それから困ったようにわらった。

「今朝、ありがとうな」

唐突なお礼の言葉にびっくりしたのと同時に、むき出しの膝小僧を冷たい風が撫でた。プリーツと胸のリボンも風に吹かれて揺れる。目の前の鬼龍先輩が、練習中のまま気崩れた柔道着の胸元を直して、それから顔を上げた。

「先輩、今日はいい一日でしたか?」
「ああ、……いろんな奴に祝ってもらった」

照れて視線を私から背けた鬼龍先輩は、私の背後の落陽を見つめる。先輩の瞳に映る橙がきれいで、思わず見とれた。

「おめでとうございます」
「今朝も、言ってくれたな」

今朝、それぞれのユニットのレッスンメニューを考えたくて早目に登校した時、柔道部がちょうど朝練の途中だった。校舎の外周を走る白い柔道着の一団。その中に、先輩がいた。すれ違う時に『誕生日おめでとうございます』とだけ声をかけたのを思い出す。本当は何かをプレゼントすれば良かったかもしれない。でもだれか一人を飛び抜けて大切にすることが許されないたった一人のプロデューサーである私は、ただいつも、笑顔でそう言う。

「先輩が産まれてきてくれたことが嬉しいです」
「おう」

先輩が真っ直ぐに夕日を見つめる。口元は柔らかく弧を描いて、恐らく今日一日のことをたくさん思い出してるんだろうと推測する。人望のある先輩のこと、きっとたくさんのお祝いの言葉とプレゼントをもらっただろう。照れ屋で武骨な先輩は、どんな反応をしたんだろうか。

「…先輩、部活は大丈夫ですか?」
「もう少しここにいさせてくれ」

冷たい風が、先輩の完璧にセットされた髪の毛の先を揺らした。目の前に立つ大きなからだの先輩に倣って、私もそっと夕日にからだを向けた。

「……先輩、私ここから見る空が一番好きなんです」
「知ってる」

クツクツと低く喉を鳴らす先輩の気配が、背中で揺れる。

「知ってましたか」
「レッスン途中とか部活の休憩時間、見上げるといつも嬢ちゃんの影が見える」

ぽん、と唐突に頭の上に大きな手のひらが置かれた。大きくてあたたかい手のひら。たくさんのものを生み出す手のひら。

「知ってたのに、今日はじめて来てくれましたね」
「嬢ちゃんがどんな顔で空を見てんのか、知りたくなったんだ」

先輩の手のひらに力がこもって、私の頭をからだごと180度ひっくり返す。ふらふらと先輩に向き合った私に、先輩が私を見下ろして、笑った。

「いい顔だ」

どんな顔をしているんだろう。気になって、両手で頬を包む。その様子にますます気を良くしたのか、先輩が歯を見せてまた笑って、そして手を離した。

「先輩、どうしたんですか」
「嬢ちゃんの顔が見たくなってよ」
「…誕生日なのに」
「誕生日だからな」

橙が先輩の表情に影を落とす。これから橙はすぐに暗くなって、空には星が輝く夜が来る。

先輩が、私の前髪を指先で整えて、そしてもう一度お礼を言った。

「ありがとうな」

先輩が私に片手を上げてから、背中を向ける。白い大きな背中を橙が照らす。
もうすぐ卒業していなくなってしまうその背中を焼き付けるように、私はそっとまぶたを閉じた。橙が邪魔をする笑顔を焼き付けよう。

願わくば、鬼龍先輩のこれからが良いものでありますように。



落日のねがいごと






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