浅く息を吐く、まぶたを伏せ、深く息を吸う。深く腰掛けたオフィスチェアが、ぎぃと鳴いた。白いデスクに両肘をついて、唇の前で両の手を組む。そんな忍田の姿を不安げに見守るのは沢村だ。

自分の指示は間違っていた。そういう結果になった。忍田は蒼白で、背後に立つ迅をゆっくり振り返った。振り返った先にいた迅も同様に蒼白で、まだ状況を把握出来ていないような、子供のように途方に暮れた表情を浮かべている。

『………三輪くんが、太刀川くんたちと合流しました』

沢村も同じく蒼白だったが、絞り出す声で状況を忍田に伝えた。

ほんの30分前、笑っていた彼女だった。そしていま、太刀川からの通信によれば、彼女は血に染まって、首のない体を抱きしめている。茫然自失、という言葉は、頭の良い方でない太刀川の口からは出なかったが、彼女の様は全員、想像ができた。それでも沢村の想像と忍田、迅の想像は少し違っていたはずだ。

忍田に、根付から通信が入った。状況説明を求める声に、忍田は『すぐに行きます』と答えた。横目で迅を見る。視線に気づいた迅が、浅く頷く。

『行こう』

忍田が迅を連れて司令室を出た。迅の脳裏に浮かぶのは、彼女が目の当たりにした現実だけだ。迅はそれを想像上の、神話の動物でも見るような気持ちで、ぼんやりと脳裏に浮かべて、そして歩きながら拳を握った。

守る力、戦う力がなく、眼前で人を喪うことと、守る力、戦う力があるのに、眼前で人を喪うことは違う。そして彼女はそのどちらでもなく、守る力、戦う力によって、眼前の人を死に至らしめてしまった。

『あの子は、耐えられません』
『これからどうなる?』

迅は足を止めて、深く息を吸った。

『彼女はもう戦えなくなる。上とあの子の間で、密約が交わされます』

密約の内容は、その場では明かされなかった。その場に忍田も同席することになることを確信して、迅はそれだけ口にした。忍田もそんな迅の心を知ってか、『わかった』とだけ返事をした。二人の足がまた歩き始める。蒼白の顔色のまま、真実を知っている二人は、城戸と鬼怒田と根付、それから林藤と唐沢のいる一室へと、足を踏み入れた。

『説明を』

城戸の声が思いの外静かに響く。苛立ちと焦りを隠さない根付は、しきりに額の汗を拭う。鬼怒田と林藤は、揃って沈んだ面持ちを隠さず、深い深い息を吐いた。

『…端的に説明します』

忍田がため息に載せ、諦めの眼差しで一歩前に出た。

『本日の防衛任務に出ていたB級隊員が、結果として市民の一人を死に至らしめました』
『詳細を補足して下さい』

根付が苦虫をかみ潰したような顔をして、城戸の顔を伺う。

『本人はまだ動転しているのか、証言はありません。客観的事実をお伝えします』

それでいい、というように城戸が浅く頷いて先を促す。

『彼女は、何かしらの判断があって、アステロイドを使用しました。これは、太刀川が彼女の右手にハンドガンが握られていたことを確認しています』

忍田がゆっくりと全員を見渡しながら、出来るだけ淡々と口にする。迅には既にこの場面も見えていて、それを全員が知っているからこそ、無駄なことは口にせずに続きを待つ。

『放たれたアステロイドは、目標物に命中する前に逃げる市民に当たりました。…ここからは迅が未来予知で確認しています。気絶した市民と、攻勢に出た目標物、目標物であるモールモッドは、ブレードを振り下ろしました。振り下ろされたブレードは市民の首を切り落とした』

誰も、言葉はなかった。
実際に前線に出たことのない人間には想像する他ないが、それはあまりにも酷い現実だった。全員が、それを理解していた。
けれど大人たちは、大人であるが故に、『それは仕方がない』とは済ませられない。大きな責任を負っているのだ。

『……その場所はどこだったんです?』

口火を切ったのは唐沢だ。頭の回る唐沢は、一つずつ、世論に対抗しうる材料を集めようとしている。

『警戒区域のほんの目と鼻の先ですね。……逃げるうちに警戒区域に入り込む寸前まで来てしまった、といったような場所です』
『何故避難が遅れ、そんなところまで逃げることになってしまったのか……』

答えの一生出ない問いが、鬼怒田の口をついて出た。誰も答えは持ち合わせていない。答えが欲しくとも、その当事者は既に死んでいる。

『まずは遺族を納得させる。件のB級隊員とはいつ話せそうだ』

城戸は冷徹とも言える声音で言い放った。そこにいる全員が大人だった。大人だったからこそ、件の彼女との話が何を意味するものなのか、全員が聡く気付いていた。

城戸が静かに決断を下した。

『警戒区域寸前の場所まで逃げ込んだ市民は、隊員がすぐに助けに入ったが、間に合わずに近界民によって殺された』

歪曲されたストーリー。あまりにも陳腐で、あまりにも酷い、最低の結末。彼らは、当たり前のように隠蔽という罪を負った。彼女にはそれ以上の罪を背負わせることになると気づいていたのかどうか、それは迅にすらわからなかった。

上層部の彼らは、逡巡を吐露することはない。当たり前に、正しいことと正しくないことを積み重ねるのが自分たちの役割だと認識している。また、それが自分たちの下で戦う人間たちの支援になるとも考えている。故に、彼らは、彼女個人の感情なんてものは黙殺することを厭わない面も持ち合わせていた。
組織の運営は綺麗事だけでは成り立たない。清濁併せ持つのが当然だ。しかしそれは大人の理屈だ。

迅は天井を仰ぎ見た。組織の崩壊は免れる。では、彼女の崩壊は、一体誰が止められるというのだろうか。その時の迅には、まだ彼女と遊真の邂逅は見えていなかった。





死んでしまった神様へ
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