肩までの黒髪を一つに、きれいに結びあげて、ごく普通に笑う女の子だった。迅は彼女をそう認識している。特筆して戦闘能力に秀でていた訳では無いし、特別一目置かれるような言動があったわけでもない、ごくごく普通の、一般的な隊員だった。ただ、大学の専攻が工学ということもあって、戦闘員より技術職の方が力を発揮できるのではないかと、上層部は思案していた。

迅は、彼女がB級に上がるまで、彼女と面識はなかった。大勢のうちのひとり、それが迅の、彼女に対する評価だった。名前も知らなかった。彼女がB級になり、名前を知った。それでもただ時々、ほんのたまに偶然目にすることのある、他人。後ろで結ったポニーテールの毛先が揺れるのを不思議に、ほんの数秒眺めるだけの距離感。彼女は大体、オペレーターや、ほかの隊の女子隊員と歓談していた。

その彼女と迅は、しばらく顔を合わせることがなかった。本部所属の彼女と、玉狛支部所属の迅。それでも迅はしょっちゅう本部にいたが、運命のいたずらと言うべきか、迅が彼女の顔を見たのは、あの忌まわしい事故が起こる、その直前だった。

迅はあの出来事を ″事件″ とは絶対に言わないし、考えもしない。迅の中ではずっと、あれは ″事故″ のままである。

本部の廊下ですれ違った彼女の未来を見て、迅は驚きと恐怖に息を飲んだ。そして彼女に話しかけようと振り向いた時、そこに既に彼女はいなかった。角を曲がった場所、迅からは見えなかったが、恐らく既知のオペレーターと話をする声が聞こえた。迅は早く動かなければと思った。それは迅ですら経験したことのない出来事が発生してしまう、丁度三十分前のことだった。

『B級の子、すぐに戦線から離れさせてください』

珍しいことに、迅の足はしばらくその場所に張り付いたように動かなかった。彼女は耐えられない。迅はそれをすでに確定した未来として認識していた。吸い込んだ空気がかさついた喉を通り、迅は踵を返して司令室へと走った。彼女の崩壊と、組織の崩壊、そのトリガーとなってしまうかもしれない事故が起きようとしていた。

『B級の子とは誰だ』

司令室で腕を組んでいた忍田が問うた。迅は切れ切れの息遣いを整える余裕もなく、必死で彼女の特徴を、迅の知る限りの彼女の情報を口にした。こんなときに限って、名前が口から出てこない。歯がゆさに拳を握った。

『……なまえちゃんに、何か起こるの』

恐怖に震える声は、沢村のものだ。迅が列挙したいくつかの特徴から、沢村は断定した響きの声で、キーボードの上の指先を止めた。いくつかのディスプレイの前に座る沢村の表情が、迅のただならぬ剣幕に蒼白になった。

『今日、その子の目の前で市民が死ぬ。彼女は血しぶきを浴びることになる』

迅は断言した。にわかに騒がしくなった室内で、忍田が直ちに沢村に命じた。市民の命を守るために。彼女を戦線から引き離すために。迅は唾を飲んだ。未来が変わらない。

沢村が太刀川隊の国近に、太刀川を差し向けるよう指示を出す。国近はすぐに了承して、太刀川に通信で指示を告げた。太刀川はその指示を聞いて、理由を聞く。国近はたった今沢村から聞いたまま、迅からの指示であることを口にした。太刀川はすぐになにか見えたなと思い当たって、了承を口にするなりすぐに動いた。迅の拳と唇が震えた。未来が、変わらない。

迅は忍田を司令室から引っ張って、廊下に出た。あたりに人がいないことを確認してから、自分が見たものを忍田に打ち明けた。

『あの子のアステロイドで市民が気絶する。その市民は、近界民に殺される。……あの子の目の前で』

迅は焦った。忍田はすぐに踵を返して司令室に入り、大股でコンソールに向かうと同時、眉間に皺を寄せて、自らもマイクに向かって太刀川を急かした。沢村の両手は祈るかたちで震えていた。


未来は、変わらなかった。


*

その日のことを、迅は夜毎思い出す。逃れられない呪縛は、迅のことも苦しめている。未来が見えたのに、何も出来なかった。そのことを迅は後悔し続けている。それでも、彼女が迅を責めることは、ただの一度もなかった。

玉狛支部の屋上から、明かりの灯る街並みを見下ろす。

フェンスに寄りかかって、俯く。迅の脳裏に、彼女からの言葉が蘇る。

『迅さんは、私の罪を背負わないで下さい』

そこには、迅の知る彼女はもう既にいなかった。
その言葉こそが、迅が、彼女に言いたくて、言わなくてはいけなくて、それでも言えなかった言葉であった。



死んでしまった神様へ
5-1





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