遊真がなまえと出会った日、彼女は既に戦闘員ではなくエンジニアだった。しかしボーダー本部開発室のエンジニアとしてはまだまだ新人だった。

*

「しつれい、トイレはどこですか」

その日、さほど入り組んでいる訳では無い本部内の、同じような扉が延々と続く廊下で、遊真はなまえを捕まえた。迷いなく足を進める彼女が身に付ける服は戦闘にはおよそ似つかわしくない、動きにくそうな黒色の隊服だった。肩にボーダーのエンブレムが刺繍されたそれは、真新しかった。

「あそこの、」

彼女は長い腕で廊下の先を指差した。遊真はその方向に顔を向けて、続きを待つ。

「角を、右に曲がったら、右側の壁沿いにある」
「ごていねいに、ありがとうございます」

彼女の口調はとても素っ気なく、淡々として、一切の感情を締め出した響きだった。遊真はそれをさほど気にせず、軽く頭を下げた。

それはまだ、ふたりがお互いの名前を知らない時のこと。

*

その次に会ったのは、食堂だった。座席の一つにひとりで座って食事をとっているなまえを見つけた遊真は、ふと改めてお礼を言おうかと逡巡して、彼女が良く見える座席に腰を下ろした。彼女の食事が終わったタイミングで話しかけようと考えたからだ。

視界の中で、なまえが銀色のスプーンでオムライスを掬って口に入れる。1/4ほど食べたところで、座席に寺島が現れた。彼女は寺島の姿を見るなり、スプーンをプラスチックのトレイの上に投げて、トレイを持って席を立った。残された寺島が後ろ手に後頭部を掻いて、一緒にいた諏訪に何かを言った。彼女は、少し離れた座席にトレイを置いて、食事を再開した。それは遊真が知る限り、なまえについて一番はじめにわかった、拒絶の方法だった。

「せんじつはありがとうございました」

遊真は席を立って、彼女の元へと足を進めた。彼女は訝しげな表情で遊真を見つめた後、トレイに手をかけた。

「それだけです。じゃ」

彼女が少し腰を上げたのを制止して、遊真は軽く右手を上げてさっさとその場を退散することにした。安心したのか、彼女は腰を下ろして、息を吐いた。

彼女はすべてを拒絶していた。

*

さらにその次に会ったのは、ランク戦の会場だった。

彼女は折りたたみ式の小型コンピューターを開いて、何かの書類とスクリーンとを見比べながら、コンピューターに何かを打ち込んでいた。後で聞いた話だが、時々エンジニアはランク戦に顔を出し、トリガーの性能チェックや補正を行っているらしい。遊真は紙パックのジュースのストローを吸いながら目の前の大きな実況スクリーンを眺めつつ、彼女の背中を時々見やった。

ランク戦が終わり、彼女がコンピューターを折りたたんだのを見計らって、遊真は話しかけた。なまえはここでも訝しげな表情を浮かべて、まぶたを伏せた。

「忙しそうだな」
「…そうだね」

唐突に、背後から誰かが誰かの名前を呼んだ。目の前の彼女が顔を上げて、つまらなそうな顔で声のした方を振り返ってから、息を吐いて立ち上がった。

「なまえ」

遊真は、今見知らぬ男が呼んだ名前を復唱した。立ち上がった彼女がわずかに振り向いて遊真を見下ろす。遊真は彼女をまっすぐに見つめて、もう一度名前を呼んだ。

「……君の名前は」

なまえがコンピューターを脇に抱えて、遊真から目をそらして言った。遊真はちょっとだけ驚きながら、自分の名前を口にした。

「空閑遊真」
「ああ」

心当たりのある口ぶりで、彼女がかすかに頷いた。

「よろしくな」

遊真が努めて軽い口調で挨拶をした。彼女は返事をせずに、遊真に背を向けて、足早に自分を呼んだ男の元へと去った。

黒髪がなびく様を、遊真は興味深く見つめた。男の元に着いた彼女は、表情も態度も変えずに、すぐに顔を背けた。ちらっと見えた横顔は、とても不機嫌そうだった。




死んでしまった神様へ
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