その日、少年はとても悩んでいるふうに私の前に現れた。


「遊真?」


マンションのオートロックを通って部屋に入ってきた少年に、私は合鍵を渡している。少年は度々その合鍵を使って訪問するが、私の帰宅を待ちきれず既に姿がない夜もある。そんな時、私は部屋の中に少年のいた痕跡を探す。


「……なまえ、捕まるのか?」


ドアが閉まった音に、ソファでテレビの音をBGMにしてネイルカラーを塗っていた私は顔を上げた。リビングへ繋がる扉を抜けた少年は、不安げな眼差しで唐突にそんなことを口にした。


「どうしたの」


ネイルカラーが乗った右手の爪にふうふうと息を吹きながら、どことなく落ち着かない立ち姿の少年を見上げる。そういえば少年を見上げることはほとんどないな、と、どうでもいいことを考えながら、ネイルの瓶に蓋をした。両手の爪の先が、つやつやとしている。


「しおりちゃんが」

「えっと、オペレーターの子だっけ?」


微かに頷いた少年は、ゆっくりとソファに足を進めてそっと定位置におさまった。隣に座る私の肩に頭を預けて、息を吐く。少年が手にぶら下げていたコンビニの袋をぽいとテーブルに放った。


「なまえさんが捕まらないように気をつけないとねって」

「……...」


その言葉にようやく、少年が、そして栞ちゃんが言わんとしていることに気づいた。

栞ちゃんとは一度会ったことがある。少年に紹介された玉狛支部の面々の中にいた、メガネをかけた理知的で明るい女の子。普段市民に開かれていない玉狛支部は私にとって未知の集まりだったけど、少年がリラックスした表情で軽口を叩いていたから、私も安心して挨拶をすることが出来た。


「俺たちが一緒にいることは、よくないことなのか?」

「うーん、まあ、法律的には」

「好き合っててもか」

「そう、ね」


当初私自身も抱えていた懸念だ。出会ったばかりで、今思えば既に少年に惹かれ始めていた私は、あの頃自分にこれは犯罪だと言い聞かせていた。

今でも私は時々恐怖に駆られることがある。警察に捕まることを恐れることもあるし、少年との別離を恐れることもある。保身に走ろうと思えば大人として手を離すことも出来たのに、出来るのに、私はそうしない。


「...それでも」


少年が大きく息を吸う気配がする。ちらと横目に見た少年の胸が少し膨らんで、決意のこもる赤い瞳が私を捉えた。


「手放すつもりはないんだ」


強い語気に込められているであろう感情を、ゆっくりと、目を閉じて考える。それは駄々をこねる子供のようにも、生涯を共にしたいと告げる大人のようにも聞こえた。


「...私、マンションの管理人には遊真を親戚の子供って言ってる」


ネイルを塗ったばかりの右手を胸に当て、罪を告白する人の口ぶりで少年に告げる。開けた視界に飛び込んできたのは、少し傷ついた表情の幼げな戸惑い顔だ。


「卑怯かもしれないけど、わかってほしいの。それが、一緒にいるために必要だってこと」

「なまえはそれでいいのか」


私の好きになった、意志の強い光を湛えた赤い瞳が陰る。
それでも私は決めたのだ。これから先も少年と一緒にいることを。手をつなぐことを。


「一緒にいるためなら、それくらいのことはできる」


遊真はじっと耳をすませる素振りを見せて、そして胸に当てた私の右手に小さな手のひらを重ねた。


「なまえは、俺のためにいろんなことを我慢してるんだな」


はあと息を吐いた少年が、やりきれないといった表情を浮かべて頭を起こす。テーブルの上のコンビニの袋を手に取って、中から取り出したペットボトルの飲料二つを並べた。更にプリンが二つ。少年はプリンを指さして「店長おすすめなんだってさ」と、笑い損ねた口元で言った。


コンビニの中を見て回りながら、店長おすすめだというプリンを素直に手に取って買った少年の姿を想像した。脳裏に浮かぶのは少し幼げな横顔だったけど、自分もよく店長おすすめというフレーズに負けるから人のことは言えないな、と思う。


「はい」

「ありがと」


プリンと飲み物を一つずつ私の前に置かれて、素直にお礼を言う。
少年はといえばさっきまでの少し重い話題をすっかり頭から振り去ったように、顔を上げて「食べよう」と口にした。


「遊真?」

「...いいよ」

「なにが?」

「なまえが俺とのことを人に言えなくて隠すのも、それが俺と一緒にいるためなら、俺だってできる」


プリンの蓋を外した少年が、付属のスプーンでプリンをすくい取った。


「うん」


いつか誰にも何も言われずに、堂々と肩を並べることが出来る時を待ってる。待つしかできないことが歯がゆくて、誤魔化すように私もプリンの蓋を開けた。


「だから、二人きりでいる時に起きることは全部ひみつだ」


食べかけのプリンをテーブルに置いて、私のプリンに手を伸ばして奪い取った少年が、それもテーブルの上に置いて、そして呆気なく私をソファに押し倒した。


「...ゆう、」

「ひみつだよ」


わざとらしく唇の前で人差し指を立てた少年が、ゆっくりと私のシャツのボタンに指を伸ばす。

制止しようと肩に当てた手に力を入れても少年の体はびくともしなくて、諦めた腕の先がテーブルの脚に当たり、汗をかき始めたペットボトルが倒れる音がした。





よろしい、ならば  after








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