なまえが着ている春のワンピースの裾を、生ぬるい風が煽った。仕事帰りとは違う化粧をして、なまえははにかんで「気合い入れすぎかな」と言った。当たり前に繋いだ手をぶらぶらさせて、道を歩く。この道の先には玉狛支部がある。


「緊張する」

「ふむ。俺もきんちょうしてるぞ」


俺をまるごと受け入れてくれた人を、今俺を大切にしてくれている人たちに紹介する。なまえは朝から、焦ったり喜んだり怒ったり忙しかった。なにしろ、今朝になって連れていきたいと口にしたのだ。

春の日差しが温かい。なまえの赤い唇が輝くのを横目に見上げて、きれいな人だなと思う。オサムは「どこにでもいそうな女の人に見えたけど、空閑にとっては違うんだな」と神妙な口ぶりで笑っていた。


「遊真はいつも余裕があるように見えるよ」

「そうか?」


俺たちは今日も普通に会話をして、笑い合う。手をつないで歩く。


*


今朝ベッドでまどろむ私に、遊真はすごくいいことを思いついたとでも言いたげな表情で「出かけよう」と言った。寝ぼけながら「どこへ」と聞いたら、「俺がお世話になってる人たちのところ」と簡単に口にした。その言葉で頭は一気に覚醒した。


「テレビでしか見たことない」


雨で散ってしまった桜の木の枝と葉を、太陽が照らしている。時折お気に入りのブルーのワンピースの裾がぬるい風にさらわれてふわりと膨らむ。
遊真は穏やかに笑って、繋いだ手を振った。


「やっぱり姉弟に見えるのかな」


周囲の視線があたたかいのは、春だからだろうか。まるでなにもかも許されるような気分になって、遊真にくっついた。


「本当はいやだけど、他人にはどう見えてもいい」

「...うん、そうだね」


雲がすばらしいスピードで流れた。
髪を揺らす風に僅かに顔をしかめた遊真が、空いた手で目の上に傘を作り、眩しそうに青空を見上げた。


「ああ、緊張する。自分が緊張しているっていうことに、ますます緊張する」

「みんなきっとなまえを気に入るよ。こなみ先輩にちょっと似てる」

「美少女なんでしょ」

「見た目じゃなくて中身が」


にべもなく言い放った遊真の横腹を肘で突いて、「このやろう」と言ってやる。遊真はそれすらくすぐったそうに笑った。


*


「どれがいいかな」


なまえがガラスのショウケースに視線を巡らせながら、悩ましい表情を浮かべる。

「時々買いに来るんだ」と言っていたこの店は、なまえいわく"高級な"和菓子屋さんだ。なまえがどら焼きの詰め合わせを指さして「みなさんはどら焼き好きかな」と言ったから、「みんな好きだよ」と返す。「俺も好きだ」と付け足したら、なまえは呆れたように片眉を下げて微妙な笑みを浮かべた。


「ずっと今日が続けばいいのに」

「ふむ、それだと俺はいつまでもなまえを見上げることになるな」


不満の色を隠さずに口にすれば、なまえは悪戯な色を乗せて「ははっ」と軽く笑う。

想像する。なまえより背が高くなった俺が、小さく感じるなまえのほっそりした指先を握る。なまえは変わらずに笑ったり怒ったり呆れたり、時には俺を叱りながら、それでも隣にいてくれる。

それでも今の俺はいつ死ぬかわからない。戦闘に身を投じながら、心身をすり減らしながら、自分の行く先を考える。


「俺はなまえにあげられるものが少ない」

「...突然どうしたの」


片手にどら焼きが包まれた箱が入った紙袋をぶら下げたなまえが、すこし悲しそうな眼差しで驚きの視線を寄越した。


*


自分の逡巡と少年の逡巡を重ね合わせてみようとしても、それは全く重ならなかった。
少年は私を好きだと言う。私も少年を好きだと言った。交わったのはそれだけのように思う。それでも私たちは手をつなぐと決めた。そうやってできる限り生きてみようと決めた。

少年は、まだ玉狛支部が見えない道すがら、待ちゆく人々とすれ違いながら怯えた声を発した。


「なまえは俺の何を信じてるんだ?」


「あげられるものが少ない」と少年は言った。その断定的な響きを、そっと脳裏で繰り返す。

「信じたいと思ってるの。遊真が隣で生きていくって言ってくれたことを」

「信じてるとは言ってくれないのか?」

「信じてるって言っちゃったら、それは嘘になるから言わない」


それに、私は少年から大切なものを見せてもらった。十数年積み重ねてきた少年の葛藤、逡巡、見た目に似つかわしくない歴戦の重さ。それらは私には想像ができない。


「なまえに話したことは、みんなも知ってることばかりだ」

「遊真には、何か二人だけの約束が必要なのね」


風が少年の頭を撫でていく。その度に白い髪の毛が揺れるのを、ぼんやりと見つめる。


「俺は貰ってばかりだな」

「これからくれるんでしょ」


10歳の年の差に虚勢を張って、強がった言葉で少年を励ました。それは同時に自分自身のことも励ます言葉だった。


「なまえ、」


咎める口調の少年に息を吐く。嘆きが混じった吐息には、少しばかり少年への抗議も込めている。


「私は大人だから、昔より嘘が上手くなったはずなの。でも遊真には通用しない」

「そうだな」

「遊真は最初から、虚勢もないまっさらな私を見つめていたのね」

「……それが、俺が好きになったなまえだ」


つま先で転がる石ころを蹴り飛ばした。私は信じたいと言った口で嘘を言った。少年は名前を呼んで一度咎めたきり、それ以上は私を責めなかった。


「いつでも真っ直ぐ向き合うことは難しい」

「そうだな」

「でも、嘘をつかずに一緒にいられるのは、すごく幸福なことだと思う」

「そう言ってもらえると気が楽になる」


少年が抱えてきた重荷を少しでも分けて欲しいなんて軽はずみなことを口にする気は無い。


「つないだ手があったかくて心強い、今私が信じてるのは、そのくらいのこと」

「それでいいのか」

「充分よ」


今度は少年も何も言わず、一度まぶたを伏せて、それから顔を上げた。まっすぐに前を向く少年の眼差しは、私が好きになった意志の強さを湛えた眼差しだ。

納得したように手を握り直した少年が、複雑な表情で微笑んで私を見上げた。私はそれに対して努めて穏やかな笑みを返す。

一つずつゆっくりと解きほぐしていきながら、そうやって生きてみようよ、そう口にして伝えようかと思ったけれど、やめた。
きっともう少年には伝わっている。

そう、信じている。





よろしい、ならば after








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