「泣かないでくれ」


つぶやく声が震えていた。ゆっくりと少年の頭のてっぺんに額を載せたら、少年は繋いでいない方の手のひらで、私の背中を二度撫でた。


「遊真は、どうしてここに来ちゃったのかなあ」

「会いたかった。話したかった。それ以上の理由がひつようなのか?」


頭を上げて、潤んだ視界を乱暴に擦って少年の赤い瞳を見つめる。意志の強い眼差しは変わらずにここにあって、そして私の顔を見上げる少年のその眼差しも、わずかに潤んでいる。

それがたまらなく嬉しくて、照れくささを隠すように繋いだ手を短く上下に振った。


「...私も会いたかった。本当だよ」

「それが本当だってことがわかるのが、嬉しい」


その言葉に、少年がこれまで嘘がわかるという力に抱いていた感情を思って、まぶたを伏せる。自分でコントロールもできず、聞きたくないこと、見たくないことをまざまざと見せつけられてきたんだろう。


「……聞かせて」

「ああ...二人きりで」


ぬくもりを感じさせる声だった。
ほんの十数年の間で私には想像出来ない過酷な生活を送ってきた人のそれとは、ずいぶん違うように感じる声だった。


*


「...久しぶりだ」


少年がぐるりと見渡したのは、最後に話をした私の部屋だ。目を細めて懐かしむ響きの声に耳をすませる。

少年は記憶にある姿と同じようにソファへと腰掛け、そしてテレビ台の上に載った空っぽの写真立てに目を留めた。


「本当はあそこに、」


少年が写真立てを指さす。私は冷蔵庫から取り出した烏龍茶を二つのガラスのコップに注ぎ入れて、その写真立てに視線をやった。


「俺と二人の写真を飾って欲しいと思ったよ」


テーブルの上にコップを二つ並べる。ずっと直視できなかったソファの、少年の隣に座る。とても久々にソファの革がギシリと音を立てた。


「なまえ、」

「うん」

「好きだ」


はっきりとそう言葉に出来る少年を、こんなに羨ましく思ったことは無い。それくらい迷いのない声で、はっきりとした意思を表す眼差しで私を射抜く。

そっと隣に座る少年の方にもたれ掛かって、息を吐いた。


「...あーあ、私、ショタコンじゃなかったはずなのになあ」

「俺は愛でられたいわけじゃないぞ」


上目に伺った少年の表情は年相応にむくれていて、また涙がこみ上げてくる。

いま、きっと、少年は私にすべてを見せてくれる。
そんな確信めいた思いがあって、私は烏龍茶と一緒に涙を飲み込む。


「...遊真は、何を話したかった?」

「そうだな、...親父のこと、レプリカのこと、たまこまのこと、学校のこと、俺が感じること、感じたこと、ぜんぶを」

「たくさんの時間がかかりそう」

「たくさんの時間が欲しい」


率直な物言いの少年が、照れたように肩を揺らした。少年の言うたくさんの時間というのが、私との時間を示していると理解して、もたれ掛かっていた体を起こして真正面から向き合う。
少年は少し驚いたような、さみしそうな表情を浮かべて、それでもようやく合点がいったようにはにかんで両手を広げた。


「抱きしめたかったのは私なのに」

「俺も抱きしめたかった」


抱きすくめた体は小さくて、温かい。この体の中に、色々な感情が詰まっている。
少年が好きだと言った私の姿も、きっとこの中にある。


「なまえ、これからの話をしよう。これからも一緒にいたいと思ってくれてるなら」

「……私を置いていくつもりの人とは話したくない」

「安心しろ、置いていくつもりはないぞ」

「じゃあどうするの」


少年は一呼吸おいて、私の肩口に額を押し付けた。感情を抑制した声が心臓をぎゅうと掴む。


「一緒に、となりで生きていくつもりだ」


私には少年のような力はないから、それが本心なのかどうかはわからない。それでも口紅がはげた唇は、淀みなく「うれしい」と口にした。


「信じてないのか?」

「信じたいな」


私の体を解放した少年が、両手で私の頬を包んだ。ほんのわずか顔を赤らめて左右に視線を流して躊躇ってから、形のいい唇を突き出して私のそれにそっと重ねた。


「なまえ」


離れた唇に、思いのほか恥ずかしくなって俯く。少年はすくい上げるように再び下から唇を合わせて、私はまぶたを落として想像する。

青年になった少年の姿。背が伸びて幼さの混じる端正な表情で、赤い目を細めて笑う。私はきっと、青年がほかの女の子を目で追う度に嫉妬してむくれてしまう。十歳も年の差があっても、きっと私の方が彼に夢中になっているだろう。


「私の時間を、あげる」


ながらく自分に投げてきた、永遠に答えが出ないと思っていた答えは、つまりそういうことなのだ。

少年の触れるか触れないかの距離にある唇が弧を描いて、頬を包む両手で優しく目尻を拭った。額を合わせて微笑み合う。
二人とも、泣いていた。




よろしい、ならば 遊撃








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