「空閑、今日は……」


学校から玉狛支部への道すがら、端末を操作しながらなんとなしに振り返った先には、普段通りを装う空閑がいた。
少し固い表情で、なんでもないように「おう」と返事を寄越すその目元が随分大人びて見えるようになったのは、ちょうど一か月前からだ。

その日、空閑は目に見えて憔悴していた。自分のために亡くなった父親のことを話すあの淡々とした口ぶりではなく、どうしようもないことに直面してただ呆然と立ち尽くす子供の出で立ちで、『フラれた』と口にしていた。
相手は聞かずとも誰なのかわかった。道を教えてくれた、僅かに疲れを滲ませた笑顔の女性だ。曖昧な笑みも選んだ言葉も、全てぼくたちが持っていないものだった。それくらい大人に見えた。それでも空閑は、呆気なく恋に落ちた。
年齢のことを口にするより先に、空閑の背中を押したのはぼくだ。後悔をして欲しくなかった。生きる理由は一つでも多いほうがいい。

それは、ぼくのエゴだったのかもしれない。


「オサム?」

「え、あ、ああ…玉狛に荷物を置いたら、空閑はまた本部で個人戦か?」

「そうだな。そのつもりだ」


不意に、男女一組が目の前から近づいてくる。なんのことはない、ただ横を通り過ぎようとする他人だ。
けれど空閑は、その二人を途方もなく眩しそうに見つめて、瞼を伏せた。
男女は手を繋いで、何やら楽しそうに話している。

きっと空閑は彼女とあんな風に歩いたことがあるんだろう。


「空閑、」

「…どうした?」

「もう一度、あの人と話した方がいいと思う」


何を話せというのか、ぼくにもわからない。

空閑はあの日、風呂に向かう足でぼくを振り向き、「ぜんぶ話したんだ」とだけ言った。空閑が全部と言うからには、それこそ事実全部を告げたのだろう。その結果振られるというのは、とてもよく理解できるはずだ。


「もう話したぞ」

「じゃあ、あの人にちゃんと、空閑がどれくらいの気持ちでいるのかも話したのか」


風が吹く。ぼくと空閑の前髪を波立たせて通り過ぎた風と男女のはしゃぐ声に、空閑はとうとう眉根を寄せて拳を握った。


*


少年の、捕食者の眼差しを想う。

いつも通りに仕事を終えて、いつも通りに化粧がよれた顔を晒して、いつも通りに会社を出る。
1ヶ月、ほとんど癖のように見渡すのは会社の前。もしかしたら今日はいるんじゃないかと、都合の良い夢を見ている。ポケットに手を突っ込んで、真っ直ぐにガラスの扉を見つめる、場に似つかわしくない少年の姿を想像して笑みが零れた。

1ヶ月、それは長いようでとても短い。『もう会わない』と口にした日から、毎日毎日鏡の中の自分に言い聞かせた。
そもそも10歳も年下の少年に恋愛感情を持つなんてどうかしてる、本当の体が致命傷を負っているということは、死が近いということだろう、リスクを犯してまで、残り僅かな時間を少年に与えるほど、私はできた人間か?

鏡の中の私は何も言わなかった。固い表情で、泣きそうな眼差しをしていただけだった。

足を踏み出せば、ヒールが音を立てる。雑踏にまぎれてしまえば、きっと少年だって私を見つけられない。それがたまらなくさみしい。たくさんの人の中で、私を見つけた少年を思って、また涙が鼻の奥までせり上がってきた。


*


空閑は未だにどことなく塞ぎ込んでいる。傍目にはそうとはわからない程度に、時折隠れるようにそっと目を伏せて息を吐く。

恋を知って、それを失った空閑が、それでも気丈に振舞おうとする度になんと声を掛ければいいのか思いあぐねる。結局何も言うことが出来ず、見守るだけだ。


「……残された時間が短いことは、一緒にいるのに邪魔になるのか?」


風の強い屋上で、空閑はぐしゃぐしゃになった髪に構うことなく、突然口にした。
自分に問いかけるような響きだった。


「そうだな、……ずっと一緒にいたいと願うなら、残された時間が短いのはきっと、さみしい」

「…なまえは、ずっと一緒にいたいと思ってくれてたのかな」

「それを聞いて来ればいい」

「やれやれ、本当にオサムは面倒見の鬼だな」


それでも、少しだけ晴れた表情を浮かべた空閑が、視線を上げた。


「生きる理由が増えたんだ」


その声は、とても嬉しそうに聞こえる。





よろしい、ならば 瞬目








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