「ゆうま」


何故だか無性に呟きたくなったその名前を、素直に唇に乗せる。

目の前でテーブルに落ちた食べかけの餃子を指先でつまんでお皿の端っこに載せた少年が、テーブルに腕をついて私をちらりと上目で見やった。


「…もう少しまって」

「待つ?」

「ちゃんと、全部言うから」


困ったように目線を泳がせた少年が、出会ってから見たことがないような微かに慌てた動きで曖昧な物言いをする。

その言葉に一瞬眉をしかめた。それを目の当たりにした少年の表情が僅かに悲しげな色を浮かべて、感情をそのまま表に出したことを心の底から後悔する。


「……待ってる」


結局私はそれだけしか言えなかった。

少年があまり上手とはいえない手つきで箸を操り、ラーメンを口に運び始めた。その表情は変わらずに少し曇っていて、何故だか右手の指先がヒリヒリと痛む。

待ってるとは口にしたものの、やはり疑問はぬぐい去れない。それでも、待てばその答えを与えると少年は言う。ならばそれを待つしか方法はないんだろう。


「ほんとうに、待っててくれるのか?」

「待ってて欲しいんでしょ」


言われた言葉を額面通りに受け取る性質の私は、これだから騙されやすいんだろう。

少年はそれでも、私を今まで大小様々騙してきた人たちとは違う安堵の表情を浮かべる。


「なまえは、」

「…うん」

「なんで来てくれたんだ?」


なぜと問うて与えてもらえない回答と、なぜと問われて与えることが出来る回答。

若干の不公平感を持って、箸を丼の上に置いて腕を組んだ。

ふと、ヒリヒリと熱く痛む指先に残るのは、この少年につながれた少し小さな、手のぬくもりだったということに気づく。


「……来たかったから」


口にしたのは紛れもない真実だ。
それを与えてやろうと思ったのは、私は曲がりなりにも少年より10歳も年上の大人であると誇示したかったからだと思う。

今更余裕を見せてどうなるんだとも思ったけど、私の言葉に弾かれたように顔を上げた少年が、目尻を細めて、確かに笑った。


「俺、なまえが好きだよ」


少年は笑ったまま、まるでハンバーグやカレーを前にしているような口ぶりで言う。

その言葉が私にとってどんな意味を持つのか知らずに。
……知らずに?


「遊真」


咎める響きで呼んだ名前は、思いのほか冷たい。自分で自分の声音の低さに驚いた。


「……だって、早く言わないと取られるんだろ」

「何の話?」

「とりまる先輩が、」


瞬間、ふっと少年の頬が薄ら赤く染まった。

ようやく、少年の心に触れた気がする。少年は確かに自覚して口にしていた。それを知って、私は背筋の伸びる思いで息を吐く。


「遊真、急がないで」


年上女の意地とは、こんなに格好悪いものだっただろうか。

あんなに気になっていたはずの周囲の目がこんなにも気にならないのに、私はまだこの期に及んで逃げようとしている。


「なまえに伝えないといけないことが、たくさんある」

「うん」

「ひとつひとつ伝えるには、たぶん俺には色んなものがたりない」

「…うん」

「だから、俺がなまえのことをすきだってことだけは忘れないでほしい」


二人の間のラーメンと餃子の残りは、どんどんと冷めていく。

指先はこんなに熱いのに。鼻の奥はツンと痛むのに。まっすぐ向けられた視線に、倒れ込みたくなっているのに。


「わかった」


吐き出した言葉は震えていた。

少年がテーブルの上に手のひらを差し出す。反射的に右手を出して、その指先に触れてしまう。
繋いでいた少年の左手は、血の気を感じないほど冷えきっている。



よろしい、ならば 進撃








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