「赤羽くん」


教卓の上に乱雑に積み上げられたノートを1冊ずつ手に取り、手元の生徒名が並んだリストと見比べて漏れがないかを確認する。

とかく日直の仕事は面倒くさい。そもそも、殺せんせーなら触手を使えばノートなんて一瞬で全員分を集められるはずなのに、こんなところで妙に普通の先生ぶって「今日の日直はノートを集めて下さい」と言ったのだった。


「……なに」


そして私は、この赤羽カルマという人物が心底苦手だ。高圧的な空気、人を小馬鹿にした言動、思い切りの良さにも、いつも背筋に嫌なものが伝う。

それなのに、最近勉強に精を出しているはずの彼が、今日に限ってノートを提出していなかった。


「えっと、ノートを」

「ああ……取りに来て」


言われた意味に思い当たったらしい赤羽くんが、一瞬の間を置いて机の中をゴソゴソと漁りながらあっさりと言い放つ。

取りに来てって言うのは、赤羽くんの席までということだろう。助けを求めるように周囲をぐるりと見渡したけれど、こんなにたくさんクラスメイトはいるのに誰とも目が合わないのはどういうことだ。


「……早くしなよ」


肩がびくんと跳ねてしまって、それをどうか赤羽くんに気づかれてませんようにと内心で祈りながら、意を決してリストにチェックマークを記入していたペンを教卓に置いた。

おどおどとした雰囲気をなるべく悟らせまいと、そっと赤羽くんの席までたどり着くと、赤羽くんはさもおかしそうに唇に弧を描いて、机の中から取り出した一冊のノートを私に差し出した。


「ありがとう」


なぜ私がお礼を言うのだろう。わずかに頭の片隅に残った冷静な私がそんな感想を寄越す。

ともかく、このノートを受取れば全員分のノートが集まって、ひとまず日直の仕事の一つは片付く。頭の片隅の私を内心で宥めて、努めて朗らかに笑って手に取った赤羽くんのノートはしかし、完全に私の元へは舞い降りなかった。


「……えっと、赤羽くん」

「なに?」

「手を、離してもらえると」 赤羽くんは何を思ったのかノートから手を離すことなく、興味深そうに私を見つめるばかりだ。その瞳に好奇の色が混ざって、いたたまれなくなってまぶたを伏せる。


「あのさ、」

「あ、えっと、なに?」


なるべく赤羽くんの目を見ないように返事をする。赤羽くんの、他人への警戒心や不信感が強い眼差しに捕らわれてしまったら、私が私でなくなってしまうような気すらしている。もちろんそれは私の勝手な思い込みだと思う。何しろ赤羽くんと私との間には、結束力の強いこのE組にあっても特別な接触がないのだ。


「俺さあ、あんたに何かした?」


ひゅうっと喉を嫌なものが通り過ぎる音がした。不意に周囲に意識を働かせれば、何人もの視線がこちらに向けられているのを感じる。冷静にならなければ、そう考えて息を吐く。暗殺を企てている時のように、意識を研ぎ澄ませる。感情をうまく押し殺す。

それなのに、赤羽くんを前にすると何故かそれが難しい。それが、私が赤羽くんを苦手だと思う最たる理由だ。


「……何も」

「じゃあ何で避けんの。停学食らったから?あんたも、俺のこと怖がってんの」


研ぎ澄ませた意識の中で、普段とは違う色が混ざった赤羽くんの声に、はっとして視線を上げる。
赤羽くんは私を目だけで見上げて、そっと視線を外した。

赤羽くんの、警戒心や不信感のこもった眼差しが苦手だ。その理由をゆっくりと、頭の片隅の自分に問いかける。


「……怖いのは、赤羽くんじゃなくて」


赤羽くんのその混ざった感情にわずかに悲しさみたいなものを感じてしまって、思わず口をついて出たのはほとんど言い訳だった。

訝しげな表情を浮かべた赤羽くんが、もう一度私の方へと視線を寄越す。


「……なんか、赤羽くんの近くにいると、自分が自分じゃなくなるような、そんな気持ちになって、嫌われたくなくて、その、嫌な気分にさせてたら、ほんとに、ごめんなさい……」


尻すぼみになってしまった声に、とうとう赤羽くんをまっすぐ見ることが出来なくなって俯いて、左手でノートを握ったまま、右手でスカートをぎゅうと握った。
今、私はなんて言った?

少しの沈黙。恐る恐る片目を開けて周囲を伺ったら、なんだか妙に明るい雰囲気を感じた。

おかしい、そう思うと同時に顔を上げる。
そこには顔をほんの少し赤く染めた赤羽くんが、口を半開きにして私を見上げている。


「……あかばね、くん?」

「…バカだろ」


赤羽くんの背後にそっと、いつの間にか立った渚くんが、赤羽くんの肩にポンと手を載せてにっこりと人好きのする笑顔を見せた。


「カルマ君、よかったね」


その言葉に弾けたように立ち上がった赤羽くんが、ノートから手を離して、唇を開く。形のいい唇。


「ノート、」

「は、はい」

「持ってくの手伝う」


私に背を向けて教卓に向かって歩き出したその耳の先が赤いから、何故だか釣られるように私の顔まで熱くなる。

ねえ、いったいぜんたい、私に何が起こっているのでしょうか。ねえ、神様。

破裂しそうな心臓に語りかける。教卓の前に立った赤羽くんが、妙に照れくさそうに「早く」とだけ少し投げやりに口にした。





その唇に乞う







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