「今日は、なにか検査とかするのかな?」


夏の日差しが眩しい中を二人並んで歩いて、過保護な秀次は途中でタクシーを拾った。そうして到着したのは私が入院していた病院だ。

今日は定期通院の日らしい。秀次は昨日、焦ったように「姉さんごめん、明日通院の予約が入っていた」と口にした。そういえば診察予約の日を聞いていなかったな、と漠然と思って首をかしげた私に、秀次は困ったように「……姉さんが帰ってきたのが嬉しくて、すっかり忘れてたんだ」とはにかんだ。


「いや、今日は問診だけだと聞いてる」

「それならいいんだけど」


受付から戻ってきた秀次が私が待つ待合室のソファに腰掛けると同時に、素朴な疑問を口にする。秀次はまるで私の問を予測したかのようにとても滑らかにその解を私に寄越した。


「何かあるのか?」

「あんまり秀次を待たせるのも悪い気がして」


秀次はその言葉に柔らかく笑って、「気にするな」と言う。やがて名前を呼ばれるまで私たちは、いろいろなことを話した。

帰りに昼食を食べて帰ろうとか、秀次の学校生活のことを。それらを聞きながら、少しずつ少しずつ、秀次に悟られないように私の中の秀次という弟の姿を形作る。

たった一人の家族。その重さを、私は理解しているつもりだ。


*


「特に問題は無いようですね」


医師の目前に並んだ二つの椅子に腰掛けて、二人してそっと息を吐く。ちらっと秀次の表情を盗み見れば、秀次は目に見えて安堵していた。その様に私までふっと体から余計な力が抜けるような心地になって、口元が緩んだ。

医師は私たちの反応に、努めて穏やかな風を見せて微笑む。手元のパソコンに羅列する、電子カルテらしきソフトに打ち込まれた文章は、私からは見えない。


「姉さんは?何か気になることがあれば聞いておいた方がいい」

「そうね、…今のところは、特にないかな」


頭痛のことを聞こうと一瞬脳裏をよぎったけれど、隣で目に見えて安心している秀次を思うと心配させるようなことは迂闊に口にできない。そもそもほんの少し我慢すれば治まるのだから、大したことではないように思う。だいたい、日常生活を送れると判断されて退院したのだ。わざわざ弟に心配させてまで今聞くことでもないだろう。

もうしばらく経っても治まらなければ、それは秀次がいない時に聞きたいな、と思う。


「では、記憶の方はどうですか?」


医師からの質問に考えを巡らせようとした瞬間、秀次が遮るように低い声で制止した。


「先生、あまり姉の負担になりそうなことは考えさせたくないんです……だから、すいません」


驚くほど固い声だ。さっきまでの安堵をめいっぱい表に出した雰囲気とは正反対の声音で、秀次は厳しい顔をしている。秀次はあまりにも私を気遣いすぎる。それに甘えているのは私の方だから、文句を言えるはずもない。

医師は少し困った表情を浮かべ、「そうですね、それはゆっくりにしましょう」と微笑んだ。
私はと言えば、医師と同じように少し困って、そっと秀次の膝の上の拳に手のひらを重ねるしかできなかった。


*


「タクシーを停めておいてくれ」

「秀次は?」

「会計を済ませたら行く」


医師の診察を済ませた病院のロビーで、ほんの少しの会話を交わす。

秀次は会計待ちの整理券を自動発券し、電光掲示板に映し出される受付番号と手元の整理券の番号とを見比べ、「すぐだから」と笑った。


「わかった」


素直にそう返事をして、エントランスへと足を向ける。何も持っていない両手がなぜだか妙に不安になって、拳を握って大げさなくらい振って歩く。ちらりと振り返った先の秀次の背中は頼もしく、今の私にとっては何にも代え難い。

幸いなことにロータリーには客待ちのタクシーが数台停まっていて、先に出る必要もなかったように思えた。

もう一度背後を振り返ったら、ガラスの自動ドアの向こうで受付に立って会計をしている秀次がいる。


過保護な弟だな、ともう一度ぼんやり思う。

たったひとりの家族を失うかもしれなかった場面は、恐らく秀次の心に大きな影を落としている。

いつか秀次は心から安心して、私の隣で笑ってくれるだろうか。


「姉さん、帰ろう」


声にはっとして顔を上げたら、いつも通りの秀次が不思議そうに首をかしげていた。

さっきの診察室での秀次の厳しい表情が脳裏を掠める。聞いてしまいたい衝動に駆られるのに、何をどうやって聞いていいかわからない。





群青 -6-
静寂を裂く光の行方








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