風間は慣れないキッチンの前で、腕を組む。冷蔵庫から取り出した卵と鶏肉と三つ葉、それから調味料類を並べてため息を吐いた。

その朝、スーツに身を包んだなまえが『夕飯よろしく!』と言い残して出かけて行ったのを、風間は眉根を寄せて思い出す。久々に会った恋人とレンタルDVDを見て、ベッドで抱き合って、二人とも眠りに落ちたのは外が白んできた時刻だった。

同い年の恋人は、大学へは進学せずにボーダーでエンジニアとして働いている。同い年でありながら社会人として働く恋人を、時々風間は眩しく思う。

現在の時刻は18時を回ったところだ。風間は久々のオフを、大学のレポートと夕飯の買出しとDVDの返却となまえの部屋の掃除で過ごした。

レシピを指で辿りながら、親子丼を作るべく慣れない手つきで包丁を握る。途中でご飯を炊いていないことに気づいてバタバタしたのはご愛嬌といったところだろう。定時で退出すれば、なまえはもう間もなく帰宅するはずだった。


「ただいまー!」

「おかえり」


鍵が回り扉が開いた音に、風間は玄関を振り返る。そしてふと、おかえりと言ってなまえを迎えるのは初めてだなと思った。一緒に暮らしているわけでなし、いってらっしゃいと言ったことはあるが、おかえりと言ったことはない。
なまえも同じことを考えていたようで、額の汗をぬぐいながら笑った。


「なんか新鮮」

「そうだな」


もう間もなく盛夏がやってくる。昼間コンクリートを灼いた日差しがオレンジになってもなお、気温はなかなか下がらない。
なまえはヒールを脱いで、真っ直ぐにキッチンに立つ風間の元へと進んだ。なまえが纏う外気のねっとりとした熱に、風間は「先に風呂入ってこい」と促す。なまえも首筋に流れる汗に張り付いた髪の毛を鬱陶しそうに払って、「うん」と答えた。

自宅の風呂でさえ掃除を億劫がる普通の大学生男子である風間も、恋人の部屋となれば話は別だ。ただなんとなく虫の居所が悪いような、慣れない故に落ち着いていられなかっただけでもある。
それでも風呂場から上がった悲鳴にも似た歓喜の声に、風間は口元だけで笑った。


「着替え持ってくの忘れた」


やがてぺたりぺたりと部屋へ戻ってきたなまえは、真っ白なバスタオル一枚を身にまとっただけの倒錯的な格好で、前髪から滴る水も気にせずクローゼットへと向かう。不意に漂ったシャンプーの香りに、風間は言いようのない感情を持って、素直になまえの背中を抱きしめた。


「蒼也?」

「……ちゃんと、髪拭いて出ろ」


部屋に充満する食卓の香り。タイミング良く食卓に並べられた親子丼とお味噌汁からは、温かな湯気が上がっている。


「くすぐったい」


くすくすと笑いながら身をよじるなまえの、洗ったばかりの髪に頬を押し付ける。自らの服が濡れることも厭わずに、風間は冷房の効いた快適な部屋で、なまえを抱きしめる腕に力を込めた。


「今日は何も無かったか」


背後から抱きしめられているなまえからは、風間の表情はわからない。

風間は、自分が本部にいる時や任務に従事している時以外、遠征中であってもなまえを心配する。エンジニアは護身用トリガーを持ってはいるが、風間からすれば心許ないのは仕方がないことだ。


「大丈夫だよ」


ボーダーには風間以外にも精鋭と呼ばれる人間がいる。しかしなまえはそれを口にはしなかった。

風間がなまえを解放し、なまえがもそもそと寝間着を持って風呂場へ戻る。着替えたら、二人きりの食卓だ。初めて、風間が作った夕食を挟む食卓。
なまえの反応を想像しながら、風間はなまえを待つ。なまえを、自分の目の届く範囲にだけ置いておきたいと頭を過ぎるのは、もう何度目のことだろうか。
風間はそっと息を吐く。


「おまたせ!」

「ああ」


「いただきます」と言った唇に親子丼を一口。笑顔で次々と口に運ばれる親子丼に、風間は破顔して、そしてなまえに倣って親子丼を食べ始める。


「しあわせ」

「…そうだな」


なまえはエンジニアの職責に誇りを持っている。風間もまた、同じだ。なまえが防衛隊員になれないように、恐らく風間もエンジニアにはなれない。

風間はなまえの、作業に邪魔にならないよう短く切り揃えられた爪が好きだ。工具を握るせいで少し固くなった指先が、時々爪のあいだに入り込んでいる黒ずんだ油が、好きだ。

それをなまえが誇らしげに笑うから。

すっかり空になった食器を前に、なまえが顔の前で手を合わせた。「ごちそうさま。おいしかった」そしてなまえが食器をシンクへ持っていく。下手くそな鼻歌を歌いながら食器を洗うなまえの背中をぼんやりと見つめる。


「……なまえ、一緒に暮らさないか」


二人で過ごす時間は長い方がいい。そんな率直な想いで口にした風間を、僅かな沈黙を挟んで照れ笑いを浮かべたなまえが振り返った。


「よろこんで!」


風間が吹き出すように釣られて笑った。




星降る夜に




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いってらっしゃいと言う風間さんにときめきます。 あと、風間さんを蒼也と呼びたい。







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