「誕生日おめでとうございました」
湯呑みに揺れる茶を啜りながら背中で聞いたのは恐ろしく抑揚のない声だった。
「…何故過去形なんだ」
「だって過去でしょ」
過去と言ってもほんの前じゃないか、喉まで出かかった言葉もそれ以上になることなく、ため息に変わる。
「…お前に誕生日の祝いを期待した俺がバカだった…」
「小太郎があたしの誕生日を祝ったことが一度もないことに気づいて」
「………」
残り少なくなった湯呑みに急須を傾ける彼女。その声はやはり抑揚がない。一切の感情もこめられていない声からは怒りも悲しみも感じられないが
「…悪いことをした」
「別に悪くはないんじゃない?」
………なんなんだ。目の前の女は俺に何を求めている。窓のカーテンを涼しい風が揺らす。夏の夜に似つかわしい静けさと虫の声。
ブラウン管の向こうの喧騒を遠くに聞きながら湯呑みに口をつけた。
「誕生日なんて祝ったって、何も変わりゃしないのよ」
その言葉の意味を考えながらその背中を視線だけで追う。彼女は冷蔵庫の扉を開き、中から小さな冷酒の瓶を取り出した。
「今日、いいマグロの刺身をもらったの」
猪口を2つと、刺身が盛られた皿。箸は二膳。
「なるほどな」
「何が」
「当たり前に用意される自分の分の箸が、こんなにも嬉しいものだとは」
「…キャラ違うんじゃない?」
変なところが神経質で、大雑把な性格。そんな彼女はマグロの刺身に直接醤油を垂らして箸でつまんだ。
「…来年の誕生日には、一緒にいてやろう」
「…今のセリフ忘れないでよ」
宵口行灯
その冷たさといったら
「ところでお前の誕生日はいつだったか」
「前言撤回。二度と来ないで」