ニュースでは台風の接近について特集が組まれていた。風の強い窓の外は真っ暗で、ほんの少し開けた窓からは湿った空気が入り込む。思わず一度鼻をすんと鳴らして、頭痛薬に手を伸ばす。

人生初の失恋の直後。三門市を襲う台風に、いろんなものを巻き込んで過ぎて行ってくれたらいいのにと思う。告白したことさえも後悔して、気圧の変化による偏頭痛を抑えるためにコップ一杯の水で頭痛薬を嚥下した。


「風間さん、ごめんなさい」


誰にいうわけでもなく、自然と口から零れた言葉に、目頭が熱くなる。

初めての恋だった。
感情を抑えられずちょこまかと周りをうろついて付き纏う私に向けられる、呆れたような表情が好きだった。
周囲も半ば諦めて、頑張れと応援してくれる人もいた。だから調子に乗っていたんだと思う。思えば、迅さんだけは何も言わなかった。優しく微笑んで、私の頭をなでるだけの彼に、恐らく気付くべきだった。


「任務、いきたくないな」


ぽつりと呟いて壁の時計を見上げる。見上げたそれは、非情にもまもなく任務のために出かけることを勧めている。
今日の任務には風間隊も参加していることを知っている。三上さんに教えてもらった。風間隊の防衛任務シフトは、全て頭に入っている。それももう、これからは聞きに行くことはない。そんな些細なことをさみしく思って、いっそ風邪をひいたとでも言って任務を休んでしまおうかと、弱い心が頭をもたげる。


「……うん」


弱い心は、天使の誘惑だっただろうか、それとも悪魔の囁きだっただろうか。
公私の分別がつかない子供だと思われてもいい、それでも、しばらくはボーダーの誰とも顔を合わせたくなかった。
ラーメンをご馳走になったことがある。勉強を教えてもらったことがある。恋のアドバイスを受けたことがある。ファッション指南とショッピングに付き合ってもらったことがある。ソロ戦、ランク戦。それらすべてを、思い出す。


「辞めてしまいたい」


涙が溢れてきて、ティッシュの箱を抱え、震える指先でボーダー本部に電話をかけた。「熱が出ました。しばらく任務をお休みさせてください」ぐずぐず言いながら絞り出した声に、電話の向こうからは心配する声音で優しい言葉が聞こえる。電話を切って時計を見上げたら、涙はますます止まらなくなって、小さなアパートの一室で一人で声を上げて泣いた。受話器の向こうは、ほんとうに心配してくれる声だった。


『大丈夫か?』


傍らで震えたスマホの画面を見たら、メッセージアプリが新着メッセージを告げている。嵐山さんからのメッセージだった。返事をすべきか迷っていたら、スマホがまた震える。何度か震えて止まったら、それは全てボーダーの人たちからのメッセージだった。
無意識に風間さんからのメッセージを探す。当たり前だけど、メッセージは来ていなかった。


『木虎せんぱい、わたしボーダーやめたいです』


嵐山さんと木虎せんぱい以外のメッセージは開かずに、そして嵐山さんには返事をせずに、木虎せんぱいにだけ、そうメッセージを返す。木虎せんぱいはきっと、引き留めたりはしないだろうと思う。『辞めたいなら辞めなさい』と、辛辣に背中を押してくれるんじゃないかと期待する。
風間さんとつながる誰とも、会いたくない。情けない、恥ずかしい、こわい。きっと誰も私の恋がうまくいくとは思っていなかっただろう。それが、とても悲しい。そんなことを考えてしまう自分が、とても嫌いだ。

またスマホが震える。木虎せんぱいが返事をくれたんだ、ほっとしてスマホを手に取ったら、嵐山さんからの着信だった。木虎せんぱいが言ったのかな、とぼんやり思う。もしくは、私が嵐山さんからのメッセージに返事をしなかったから、心配してくれたのかな、とも思う。
嵐山さんは風間さんと同じ大学で、大学での風間さんのこととか、いろいろと聞きに行ったことがある。結局学部が違うからあんまりわからないと言われたけど、学食でたまに会うとか、全学部共通の選択講義とやらで会うことがあるとかで、ほんの少し風間さんの大学生活を教えてもらった。


「……もしもし、嵐山さん?」

『なまえ、体調はどうだ』


耳に届いた低い声に、思わずスマホを壁に投げつけてしまった。瞬間的にお隣から壁をどんと叩かれて、肩が震えて縮こまる。
一番聞きたくなかった声だった。まさか、風間さんが電話を掛けてくるはずはない。嵐山さんが、私が元気になるようにと図らってくれたのかもしれない。私が失恋したことは、まだ誰も知らない。風間さんはたぶん、そういうことを自分からは吹聴しない。


『なまえ?』


スマホがぶつかる音、壁を叩く音、何もしゃべらない私。風間さんは名前を呼んだ後、少しの沈黙を挟んで電話を嵐山さんに代わった。


『なまえちゃん、大丈夫?木虎に代わろうか』


そろそろと床に落ちたままのスマホに手を伸ばす。画面にヒビが入っていなかったことに安心と、少しの残念な気持ちを感じた。もし壊れていたら、ボーダーの人たちとのこれまでの連絡も、登録してある連絡先も、ぜんぶ消えていたんじゃないか。消えてしまえばよかったのに。お門違いの恨みを込めてスマホを握った。


「嵐山さん、…なんで風間さんが電話にでたの」


声が震える。また泣きだしそうになって、何かをごくんと飲み込んだ。嵐山隊も風間隊も、今日はそろそろ任務開始の時間のはずだ。嵐山さんはんーとかあーとか言いながら、何か言葉を選んでいるようだ。


「……任務がんばってください。では」


なぜだか無性にイライラして、電話を切った。もう、辞めよう。

この恋は今の私の世界そのものだった。中心にいたのは風間さんだった。尊敬している。時々笑いかけてくれる風間さんの隣にいたかった。できればずっと。
きっと21歳の風間さんは、最初から中学生なんて相手にしてなかった。すくなくとも、恋の相手としてはかすりもしなかったはずだ。

スマホの電源を切って、お風呂にも入らず着替えもせず、ティッシュの箱だけ抱えてベッドに潜る。
何もかも忘れてしまいたい。朝になったらボーダーを辞める連絡をして、普通の中学生に戻ろう。いっそ家族のところに戻ろうか。ボーダーになったことで私の一人暮らしを渋々了承して、本部の人に頭を下げてくれたお父さんとお母さんを思って、また涙があふれる。

そうして私は、いつの間にか眠ってしまった。



*



「なまえ、なまえ」


目が覚めたのは、扉の向こうから聞こえる風間さんの声のせいだった。何度も私を呼ぶ声に、寝起きなのにまた涙が出てくる。泣いて泣いて、こすって腫れた瞼に、涙がしみる。
会いたくない、逃げ出したい気持ちで窓の外にかおを向けたら、道路に佇む背中が見えた。間違いなく木虎せんぱいだった。


「……なんの用ですか」


逃げ場はないのだ。扉のカギは閉めたまま、向こう側の風間さんに聞く。風間さんは諦めた響きの声で、「辞めたいと聞いた」と言う。木虎せんぱいから、どうやって風間さんの元まで届いたのだろう。


「はい」

「男に振られたくらいで、これまでの努力を泡にするつもりか」

「わたしはわたしなりに、一生懸命恋をしました。…風間さんにだけは、振られたくらいだなんて言われたくない!!!」


ベッドに戻って拾い上げたスマホを、扉に投げつけた。甲高い音が響いて、スマホの電池パックの蓋がはずれた。


「……悪かった。でも、できればまた、…笑って欲しい」


それきり、扉の向こうは静かになって、ゆっくりと鉄製の階段を下りていく音がする。

もうこれで全部おわりだ。スマホと蓋を拾って、試しに電源ボタンを長押しする。画面にはヒビが入っていたけど、いつも通り起動した。起動した瞬間に届いたたくさんの通知。風間さんからの着信が紛れていて、また泣いた。


「なんでこわれてくれないの」


精一杯の恋だった。子供だと笑われても、それでもわたしの初恋だった。大切な大切な、初恋だった。


『妹のようにしか思えない』


告白の返事がフラッシュバックする。

精一杯の恋だった。近くにいるために、精一杯の子供だった。笑えるはずが無い。私が笑うのは、そうしたら風間さんが仕方なさそうに微笑んでくれるからだった。


「ごめんなさい、風間さん」


死に損なったスマホで本部に電話をかける。こんな子供は、ボーダーには不要だ。空気を吸い込んで息を吐く。

こんどこそ、みんなさよならだ。




恋の証明








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