「牛乳好きなくせにその身長かよ!!」


その日、その時、その場所は体感で約5度程度温度が下がった。


「なまえさん、それはまずい、それはまずいですよ」


額を嫌な汗が伝う。オレと同じく、訓練室に居合わせた人間は皆一様に引きつった表情で固まっている。


「歌川は黙ってて!」


まるで猫のようにフーフーと相手を威嚇する格好のなまえさんは、年齢に相応しくない子供っぽさで、ともすれば『お前の母ちゃんでべそ』くらいは言いそうだ。なまえさんのために口を出したことを後悔する。
侮辱された相手である風間さんはと言えば、いつもと同じ表情で、これみよがしなため息を吐いた。そのさまになまえさんはますます怒りをあらわにして今度は地団駄を踏み始めた。


「だからお前は俺に負けるんだ」

「うるさいうるさーい!風間くんが悪いんだもん!」


風間さんと同い年とは思えない言動だ。オレの隣で菊池原が「あの女黙らせてもいい?」と言う。菊池原は風間さんを尊敬している。目の前で繰り広げられる攻防に苛立つのは仕方のないことだ。
しかし攻防と言っても一方的であって、風間さんは相手にしていない。それがなまえさんは気に入らないのだ。


「スコーピオン一本でって言ったのに!」

「お前が勝手に言っただけだろう。俺は同意した記憶はない」


ひとしきり暴れて顔を上げたなまえさんの目元には、涙が光っていた。まさかこんなことで?と周囲がざわめく。風間さんは今度、うろたえたようになまえさんの前でじりりと後ずさる。気持ちはわかる。


「なまえさん、ほら、落ち着いてください」


出した助け舟は、風間さんのためでありなまえさんの為でもある。ここにいる誰もが風間さんが勝つことを疑っていなかった。それがなんとなくなまえさんに後ろめたい。とは言え、なまえさんもA級だ。風間さんとのソロ戦で勝ったこともある。


「……うたがわ」


震える声でオレを見上げるなまえさんは、へにゃりと情けない表情をしている。年上のおんなだというのになぜだか妙にかわいそうな気分になってしまった。「なまえさん、今日はこの辺にして、またリベンジすればいいですよ」苦し紛れの励ましだったが、なまえさんはじっとオレを見つめた後、小さく頷いて、そして俺の腕を握った。


「なまえさん?」

「うたがわ、慰めて」


濡れた瞳にたじろぐオレの視界の中で、風間さんが右手を手刀の形で振りかぶった。


「ちょ、風間さん!」


一直線に落とされた手刀はきれいになまえさんの頭を直撃し、なまえさんが唸り声をあげてオレにしがみついてきた。顔を上げたら風間さんが今まで見なかったような表情でこっちを睨んでいる。……え、なんでオレ?


「歌川、ごはんいこ」


しがみつく体勢のまま、なまえさんが言う。間髪入れずに「行かなくていい」と切って捨てたのは、紛れもなく風間さんだった。


「……そうは言っても」


絞り出すような情けない言葉に、風間さんがなまえさんの首根っこをつかんで、自分の方へと引き寄せた。自由になった体で不思議に思う。オレからなまえさんを引き剥がした風間さんの表情から、少しの安堵がにじんでいるように見えたからだ。菊池原が何やら悩ましげに風間さんを見つめる。じっと、何かを聴いているようにも見える。

本部で会う度、なまえさんは風間さんに突っかかる。そして風間さんもそれを無視すればいいのに、結局毎回なまえさんに付き合っているのだ。風間さんも結局女には甘いのかとか、なまえさんを気に入っているのかとか、A級隊員たちがこそこそしているのを、風間さんは知らないのだろうか。


「うたがわ……」

「……とりあえず、オレが預かりましょうか?」


苦悶の表情を浮かべたなまえさんが、涙目でオレを見つめ、震える声で助けを求める。なまえさんに甘いのは風間さんだけじゃないよなあと思いながら、息を吐いた。しかしなまえさんに差し出した手は、何故だか風間さんによって睨まれた。


「なまえ、行くぞ」

「いや!絶対いや!」


恐怖に怯えるなまえさんの表情が痛々しい。風間さんにソロ戦で負けると、なまえさんは翌日目を真っ赤に腫らして本部に現れる。悔しくて泣き通したのかと、周囲の同情を煽るその姿。だいたい足がおぼつかずフラフラしているから、誰かしらが手を貸している。きっと夜通し泣きながら訓練していたのだろうと、みんな比較的なまえさんに好意的だ。


「約束だろう」

「私は約束した記憶ない!風間が勝手に言ったことでしょ!」


先刻風間さんが言い捨てたセリフを引用して、なまえさんが悲鳴混じりに抵抗する。一体なんだというのだろう。太刀川さんが面白そうに笑うのを見て、ますます腑に落ちない気分になる。


「嫌がっても無駄だ」

「やだよ!だって風間さん寝かせてくれないじゃん!!」


ん?
周囲が固まった気配がする。

風間さんがなまえさんからオレへと視線を移す。その口元は少し微笑んでいるように見えたが、目は鋭い。……なんで睨まれてるんだ?
菊池原が二人から視線をそらした。


「……恋人が世話になったな」


風間さんがずるずるとなまえさんを引きずって訓練室を後にするのを呆然と見送りながら、なんだかいろいろなことに納得がいった。


「風間さん、趣味わる」


悪びれなく放った菊池原の一言に太刀川さんが大笑いして、なんだかどっと疲れた気がする。菊池原は心音でも聞いていたのだろう、耳のあたりを触りながら、「なまえさんに絡むのやめよ」と小さく呟いた。


「馬に蹴られるわよ」


髪をかきあげながら薄い笑みで放たれた加古さんの言葉に、恋人という単語をわずかに強調する響きの風間さんの声が脳裏をよぎる。


「……風間さんもヤキモチとか焼くんですね」


太刀川さんがゲラゲラ笑うのが遠くに聞こえる。
なまえさん、ご愁傷さまです。できればオレにはもう関わらないでください。
心中で合掌した。




犬も食わない








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