案内された家は、どことなく他人行儀だった。吹き抜ける風も、他愛なく置き去りにされている小物も、かつて二人の団欒の風景があったはずの部屋でさえも、皆一様によそよそしく、疎外感を感じた。私のものだったという靴を眺めながら、自分のつま先を見下ろす。招かれざる客と言う言葉が、とても素直に心に落ち着く。


「変ね」

「何が?」

「自分の家じゃないみたい」


荷物を降ろした秀次が、ほんの少し目を見開いてから、悲しそうに俯いた。途端に心に広がったのは、罪悪感だった。秀次はこの家でずっと私を待っていたのだ。

そう、だからやっぱり、私が感じる違和感はやはり取るに足らない杞憂であって、記憶を喪失している以上、私は支えてくれる秀次を大切にしなければならない。それは感謝すべきことなのだ。


「気になったならごめんね」

「いや、いいんだ。二人で暮らしたここのことも忘れてていい。これからもう一度始めよう」


マンションの一室。足を進めて中のひと部屋ひと部屋を丁寧に案内してくれる秀次についていく。「ここが姉さんの部屋だよ」案内された先の部屋は、とてもシンプルなもので、何故だか妙に安心した。


「気に入るかわからないけど」


ほんの少し照れたように目を背けた秀次が、体の横で拳を握る。その真意がわからず、白んでしまうほどに固く握り締めた拳が心配になって、そっとその拳に手のひらを重ねた。

びくりと震えた秀次は、怒られることを予期した子供のような表情で私を伺う。


「どうしたの」

「目が覚めてからの姉さんの好みが変わってるかもしれないから、部屋も家の中も、これからの姉さんが過ごしやすいように変えていこう」


包んだ拳はふ、と和らぎ、そして秀次はそれまでの幼子のような雰囲気を振り切るように頭を振って、意を決したような声音で口にした。

今まで一緒にいた姉を捨てて、目が覚めたこれからの私を迎え入れようとする、その強さと顕になった弱さに胸が痛む。秀次は私とこうして帰ってくるのを待っていたという。けれど、まだすべてを割り切ってはいないのだろう。それも当たり前のことだと思う。積み重ねてきた時間が、脆くも崩れてしまったのだ。


「秀次、ごめんね」

「姉さんが謝ることは一つもない。言ったはずだ...俺は、姉さんが生きていて、こうやって家に帰ってきてくれただけで、充分なんだ」


自らに言い聞かせるようにはっきりと言った秀次は、手の甲に添えたままの私の手を握って、目を細めて薄く笑った。


「これから、慣れていくの。その内にこの家に二人でいるのが当たり前になっていくの。だって私達は、姉弟なんでしょう」

「...そうだよ。たった二人きりの家族だ」


私もまた、得体のしれない不安を打ち消すように、自分に言い聞かせるためにはっきりと、秀次をまっすぐに見つめて笑う。

もしかしたら秀次は私のために、この部屋にあったものを処分したのかもしれない。シンプルといえば聞こえはいいけど、驚くほど人のいた痕跡がしないその私の部屋には、不自然に思えるくらいに物が少ない。秀次は心から、私が戻ってくることを願っていた。


「...もしかしたら以前とは違うのかもしれないけど、いくつか買い足したいものがあるの」

「ああ。この部屋は姉さんの部屋だから、好きにすればいいよ」

「だから、買い物に付き合ってくれる?」


秀次がくしゃりと笑って私の手を握る手の平に力を込めた。

私はこれから、弟と二人で生きていくんだ。ぶっきらぼうな室内を見回して、そしてその角のベッドへと秀次の手を握ったまま進む。

開け放した窓から入り込む空気がカーテンを靡かせ、私の額と秀次の額をあらわにさせた。


「秀次」

「ん」

「もう、秀次から離れないから」

「約束してくれるか?」

「うん。...約束する」


ようやく、安心したように私の手の中で秀次の手から力が抜け、最初と同じように私の肩口に額を預けた秀次に、今度はその背中を撫でて応えた。

秀次が姉を思う気持ちは本物だ。そしてまた私を失いそうになったら、今度は壊れてしまうのではないだろうか。秀次は弱さや脆さを隠そうとしない。私の前でだけかはわからないけれど、その弱さが本物であるのなら、露呈させることができる相手は、やはり秀次にとっては大切な家族なのだ。

肩口に額を預けたまま、秀次が肩を震わせ、涙混じりのふるえる声で、もう何度目かわからない言葉を囁いた。


「姉さん、...帰ってきてくれて、よかった」


私はただ、その背中をゆっくりと撫でることしかできない。




群青 - 3-
この檻には渦が待つ








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