抜けるような青空。孤立した古い校舎の、開け放した窓から入り込む空気が涼しくて気持ちいい。

校舎の外にはビニールベッドを広げ、その上でいかがわしい雑誌を真剣に読み耽る殺せんせーがいる。


「みんな、もう出たの?」

「そうだね」


教室の窓際の席に座って、紙パックジュースのストローを齧りながら後ろの席にいる赤羽くんに声をかけた。


「こんな気持ちのいい日なんだから、少し休んだらいいのに」

「まー、いいんじゃない」


そよぐ風に髪がなびく。それをチャンスとばかりに、髪を払う仕草で誤魔化して背後を振り向いたら、赤羽くんは笑うでも怒るでもなく、至極なんでもない顔をしてこっちを見つめていた。


「赤羽くんは、行かなくていいの?」

「…別に」


別に、に続く言葉は、私には想像できない。地頭がいい人の考えていることは、いつだって私にはわからないのだ。


「…風が、気持ちいい」

「…そうだね」


山の上は風が冷たくて気持ちいい。古ぼけた校舎でさえも、昔ながらの日本家屋的な機能性を持って夏はずいぶん過ごしやすいように思う。

その代わりに冬は寒いのかな、と今から心配して、じりじりと照りつける太陽から隠された校舎の中で、背筋が震えた。


「赤羽くん」

「なに?」

「……ごめん、なんでもない」


初夏。暑さに浮かされたんだと言い訳をするにはまだまだだ。不意に喉まで出てきた言葉の意味を一人考えながら、風にさらわれる前髪を押さえる。

赤羽くんはそれでも怒るでもなく、ふーんと返して窓の外へ視線を移した。


「なまえは行かなくていいの」

「うん。…もう少し」


視界の中では、殺せんせーがみんなからの怒涛の攻撃をよけ、不敵に笑っている。

ちらりと横目に赤羽くんを伺えば、赤羽くんもほんの少し口元に笑みをたたえている。


「赤羽くん、行きたかったら行ってきたら?」


その様が最初と違って見えて、そしてあまりにも楽しげだったせいで、思わず喉の奥で笑いを噛み殺しながら告げた。

赤羽くんは少しだけ頬を赤くして、また別にと呟いた。


「俺は行ってもいいけど、」

「うん?」


まさか返ってくるとは思っていなかった、別にの、続き。
赤羽くんは私を見ないまま、頬杖をついて息を吐く。


「引き留めたいなら引き留めてもいいよ」


ひときわ大きく吹いた風に、古い窓枠が軋む。あまりにもイレギュラーな発言に戸惑うばかりの私は、外で楽しげに騒ぎはしゃぐ面々をすっかり忘れて、言われた意味を考える。


「…引き留めても、いいの?」

「だからそう言ってるじゃん」


ぶっきらぼうに投げられた声が、普段より幾分柔らかく聞こえた。
赤羽くんは私を見ず、外の光景に時折声を出して短く笑う。
こんな楽しそうな人を、引き留めてもいいのだろうか。そもそも、なんのために引き留めるというのだろう。


「…ありがとう。でも、いいよ」

「あっそ。じゃあ、行くよ」

「うん」


さみしく思うのは間違っている。引き留めないと決めたのは自分で、引き留めるだけの理由も持ち合わせていない私は、この時間だけでも充分に幸せなのだ。


「早く」

「、え、っあ」


立ち上がった赤羽くんが、私の手首を掴んだ。じわりと熱を帯びる体に、まるで掴まれた手首に心臓があるような錯覚を覚える。

普通の顔をして、引きずるように私を引っ張って行く赤羽くんの背中が広くて、風になびく赤い髪の毛が眩しくて、思わず目を伏せた。


「なまえは気づいてんの?」

「なに、を」

「俺を見るとき、顔が違う」


赤羽くんが足を止めて、私を振り返った。校舎の外、みんなからは死角になる教室の扉の近くで、赤羽くんは俯いたせいで私の視界を遮る前髪に、そっと指を伸ばした。


「気づいてんの」


真っ直ぐに、射抜いてしまいそうなほど真っ直ぐに私を見つめる双眸。手首の心臓は今にも破裂しそうなほど脈打って、息の仕方を忘れたように、喉がひゅうっと音を立てる。

赤羽くんは、もうずっと前から私の気持ちなんてお見通しだったのだろうか。


「気づいてないって言ったら、教えてくれるの?」

「教えてって、言ってみなよ」


外からは楽しそうな声が聞こえる。
それも、楽しげに笑う赤羽くんに意識を取られて、一瞬で意識の外へと追いやられた。


「あ、赤羽くん」

「まあとりあえず」


ようやく離された手首に、心臓はあるべき位置へと戻ってきたように今度は胸のあたりで動悸がうるさくなった。


「ん、っ」

「カルマって、呼んでみよっか」


あまりにも突然に、唇に落とされた柔らかい熱。

それが何だったのか思い当たる前に、心臓は唇に移動してきたらしい。
腫れているんじゃないかと思うほど熱く、じんじんと痛む。


「あ、あか、」

「違うだろ」

「か、カルマ、くん」


一体この、数十分間で私に何が起こったというのだろう。

ただ、暑いから少しのんびりしようと思って、ただ、好きな人と短時間でも二人きりでいてみたくて、ただ、それだけだったはずなのに。


「そろそろ行こっか。下世話な先生が来る頃だよ」


そして掴まれた手のひら。まるで殺せんせーの分身みたく、心臓も分身だか分裂だかをしたように、唇と手のひらで脈を打つ。

足がもつれて、いうことを聞いてくれない。赤羽くんは、…カルマくんは、一体何を考えているのだろう。

外に出たらそこはさっきまでと打って変わって、太陽が照り付ける初夏の昼間。
早くも教室の中の影が恋しい。

私の手を離したカルマくんが、不敵に笑ってはっきりと口を開いた。


「二人きりで教室にいたいなら、そう言いなよ」


さっき喉まで出かかって、そして思わず飲み込んだ言葉が、今度は素直に形になりたいと、唇と手のひらの心臓が援護射撃のように悲鳴をあげている。




私の心臓









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