「ごめん、ちょっと遅れた」

「走ってくるのが見えたよ」


どうぞよろしくと告げた日、あの時の不意打ちはあまりにも私に酷かった。だからこそ次の約束である今回は普段よりきれいな格好で、普段の仕事帰りよりきちんとした化粧で少年に会いたかった。

その為に嫌な顔をする上司を振り切ってさっさとオフィスを後にして、デパートの化粧室にこもり、メイク直しだなんて中途半端なことは不器用な私ははなから諦めて、しっかりとメイクをやり直したのだった。

そして気づいた時には、あっという間に待ち合わせの時間になっていて、せっかく直した化粧も、整えた髪の毛もぐちゃぐちゃにして走って向かったのだ。


「折角、きれいにしてきたのに...」

「嬉しかったよ。走って会いに来てくれんの」


こういうセリフを臆面もなく口にできるのは、若さ故だろうか。
平然としてそう言い放った少年に、私の顔は熱くなるばかり。

十も年下の少年に振り回されて顔を赤くする私は、傍からみたらあまりにも滑稽ではないだろうか。
以前と変わらずに周囲を気にする私に、少年は当たり前のように手を差し伸べた。


「えっと、」

「手、繋ぐもんなんじゃないの」

「あ、そう…?」

「デートの時は手をつなぐもんだって、とりまる先輩が」


また、新しい名前が出てきた。
この前からいくつも、普通のことのように投げかけられる名前や出来事を反芻する。
聞きたいけれど、そのタイミングを見失って今に至る。


「デート」

「うん。ちがうの?」

「…いや、違わない、か?」


よろしくと告げた手前、やはりこれはデートなのだろう。一体私はどんなつもりでよろしくと言ったのだろう。
自分のことなのに、何を思ってこうして少年と会っているのかわからない。


「……」

「うん、…デート、だね」

「…やっぱり、ウソがない」


差し伸べた手を私が握らないから煮えかねたのか、少年はさっさと私の手を取って、そして握って歩き出す。

その表情は殊更嬉しそうに見える。弧を描く口元と細められた瞳があまりにも印象的で、何故だかわからないが胸のあたりがきゅうっと痛んだ。


「うそ?」


前にも聞きたかったけれど聞けなかったことを、今度は聞くことができた。丁度以前のいくつかの疑問を思い返していたせいだろう。思いのほかすんなりと口にできた疑問に、自分で驚く。


「うん。俺、ウソがわかるんだよね」

「…すごいね。私はいつも騙されるほうだよ」


友達にも、嘘を嗅ぎつけやすい人がいる。その人は表情や仕草で嘘がわかると言っていた。少年はまだ中学生なのに、随分と便利な芸当を持っているようだ。

素直に感嘆して、ため息を吐いた。


「想像できるね」


にやりと意地の悪い笑顔を浮かべた少年が、足を止めて指をさす。示された先のラーメン屋から、餃子が焼ける匂いが漂っている。


*


「遊真は、学校帰り?その割に制服ではないけど」

「うーん。今日は休み」

「…ズル休み?」


ラーメンをずるずると啜りながら、少年が何かを思案するように視線を宙にさまよわせた。

ズル休みだとしても私がとやかく言えることではないから、ただ興味本位で聞いただけなのに、少年はまだ悩んでいるようだ。


「…ごめん、そんな重大なことだった?」

「なまえには、今度ちゃんと言うよ」

「ちゃんと?」

「うん。知ってほしいこと、たくさんあるんだ」


少年はすっきりした面持ちで、私と少年の間で湯気を立てる餃子に箸を伸ばした。


「遊真は、不思議な子ね」

「そう?でも、子って言われるのは嫌だね」

「うん…、あ、ごめん」


素直に謝罪をしたら、少年はまた瞳を細めて今度は髪の毛を押さえる私の左手に指を伸ばした。

大きいとは言えない手のひらが、どう反応すればいいか逡巡する私の左手を包む。
テーブルの上で重ねられた手のひらが熱い。少年が私の指先を撫でて、笑う。


「きれいな指だね」

「そ、うかな」


指先が熱い。耳が熱い。

まっすぐに見つめられることに、まだ慣れない。これはきっと熱々のラーメンのせいだと言い聞かせても、視界の中で指先を優しく撫でる少年がいる限り、熱が収まる気配はないようだ。

思わず手を少年から離してしまえば、少年はほんの少し驚いたように、そして落胆を滲ませて首をかしげた。


「…嫌だったか?」

「いや、ちがう、ちがくて、…はずかしい…」


奪い取った手のひらで顔を覆う。コントロールを失ったようにどんどん熱くなっていく体温は、もう、何を言い聞かせても止まらない。

これは犯罪だ。何度も言い聞かせても、動悸が止まらない。


「…ごめん」


不意に投げられた謝罪に、反射的に少年を見たら、とうとう鼻の奥がツンとして、目頭が熱く滲んでしまった。


「ごめん、待って」

「なまえが赤くなってくれるのが、うれしいよ」


少年に撫でられた指先、いっそ、その指先で少年に触れたい。

たった一度目の約束で、私は一体どうしてしまったのだろうか。


「遊真、ねえ、なんで私だったの」


少年の箸から、食べ掛けの餃子がテーブルに落ちた。



よろしい、ならば 速攻







×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -