大変な職場にも快く送り出す。時々さみしそうに甘える。休日の予定をドタキャンされても笑顔一つで許す。心を込めた手料理を作る。いつでもきれいな家で、憂いを与えない。


「そんな完璧な女なんて会ったことない」

「また振られたのか」

「そうね、いつも私に言い寄るのは完璧な女を押し付ける男だけよ。マザコンばっか!」


手にしたジョッキをテーブルに置いたら、勢い余って思ったよりも大きな音がした。そして中のビールが少し、目の前の男の鼻に飛んだ。


「料理も洗濯も掃除も、心地よく生活する程度は保ってるわ」

「そうだな。特に気にはならないな」

「そうでしょう?!それなのにあいつらは揃いも揃って...」


半分程度残るジョッキを再び取り上げ、一気に傾ける。喉を通り過ぎていく炭酸の刺激にほんの少し涙が滲む。


「そんな男と結婚なんてことにならなくてよかったじゃないか」

「唐沢はいつもそうね。何よ、よかった探しなんて意味が無いじゃない」


学生時代にラグビー部に所属していた唐沢と、マネージャーをしていた私。この男が就職を決めた頃、距離は随分遠くなった。風の噂で聞いたのは、良くないことをしているらしいということ。それがボーダーに勤め始めるやいなや、同窓会に顔を出すようになった。
そして今に至る。


「お前にはヒーローが必要なんだな」

「ああいいわね。今の私を全肯定してくれるヒーローが欲しいわ」


投げやりにそう返事して、店員を呼んでビールのおかわりを求める。
唐沢は目の前で熱燗をちびちびと舐めながら、呑気につくねを食べている。


「ヒーローといえば、ボーダーに面白い子がいてね」

「この前テレビに出てた子?よかったわよ、あれ」

「ああ」


唐沢をまとう空気が和らいで、そっと息を吐く。もう少し管を巻きたかったけれど、それではあまりに申し訳が立たない。
募るいらだちを鶏皮と一緒に飲み込んで、続きを促す。


「彼に昔憧れたヒーローを重ねる人間もいるんだよ」

「...わかる気もする。真っ直ぐな目をしていたから」


どうやらテレビに出ていたあの少年は、この男のお気に入りらしい。

ヒーロー。大の大人が口にするには少しばかり恥ずかしいような、空想の産物。それでも、もしかしたら子供よりもその存在を必要としているのは、大人の方かもしれない。


「ヒーローがいたら、ヒロインが必要だな」

「いくらお気に入りだからって、そこまでお膳立てするのはどうかと思う」

「俺にとってのヒロインだ。なるか?」


この男は突然何を口走っているのだろう。思わずお銚子を取って、熱燗の残量を確認したい衝動に駆られた。酔っ払っているんだろうか。...お銚子一本で?


「クサい。クサすぎる」


それでもこの流れを楽しむ程度には私も大人であって、そしてさみしくもあって、冗談で笑えるくらいにはここしばらく仲良くしている。


「言うなら、もっとちゃんと言って」

「やれやれ...なまえの敗因を教えてやろう」

「敗因?」

「ラグビーをやっていた男を選ばなかったことだ」


店員が持ってきたビールのジョッキを傾け、一気に半分を飲み干す。これはガチのやつだろうか。いや、この飄々とした男のことだ、こっちが赤面でもしようものなら、思う壺だ。


「唐沢が私のヒーローになってくれるの?」


ジョッキの縁を親指で拭って、余裕の笑みで応える。唐沢が息を吐いて、お猪口に残る酒を一息に飲み込んだ。


「行くぞ」

「は、まだ、ビールが」


笑った唐沢が伝票をとって立ち上がる。その背中からは真意が全く見えない。あの頃と同じような引き締まった背中で、ハンガーに掛けてあった私の上着を腕にかけた。


「今日は朝までゆっくり話そうか」


言われた意味を反芻する。朝まで、話す?何を?というか、朝まで一緒にいるの?

会計を終えて戻ってきた唐沢が簡単に私の手を取って、よたよたと後を追う私を振り向いた。


「酷くはしない」


ああ、朝までって、そういう...。


「何、唐沢、本気?」

「自分で確かめてくれ」


二人の足が向かうのは、どうやら唐沢の家らしい。

「...私の敗因、か」

「大丈夫だよ、今回は失敗しない」

「大した自信ですこと」

「ラグビーをやっていたからな」


関係ないじゃない、喉まで出かかったそのセリフをため息に乗せて吐き出した。

何度も何度も聞かせた愚痴が頭の中を巡る。
まあ、きっと、大丈夫なんだろう。唐沢なら。


「お手柔らかにお願いします」


笑う唐沢が、私の手を握る指に力を込めた。




輪郭をなぞる






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