「悪女じゃないのに」


新たな二つ名には、姓も名前も含まれていない。そのために興味を持った隊員たちはみな、彼女の名前を調べるようになった。思わぬ副産物に喜び半分。しかし彼女は腑に落ちない表情で、ふてくされた表情をあらわにした。


「噂はその内消える」


当たり前のように隣を歩く彼は、言われても仕方が無いだろうなと内心で苦笑した。
それでも今では付き合っていることを肯定するのだから、彼にとって困ることはない。


「付き合ってますって言い始めてから、迅さんからセクハラされなくなったのは、よかった」


思いついたようにそう口にした彼女に、彼は勢い良く隣の彼女に向き合う。顰めた眉にほんの少しの焦りを滲ませて、しかし告げる言葉が瞬時に見つからず、俯く彼女のくちびるを見つめるしかできない。


「セクハラだと?」


続きを告げない唇に、彼は内心とは裏腹な穏やかな声で言った。しかし、穏やかなのは声だけである。通りすがる隊員たちが皆一様に彼から目をそむける。


「お尻を、触られてたんです」

「迅が」

「それで、もう少し肉がついたらのし上がっていけんじゃないのって言うから、」


悲しげに揺れる眼差しが彼に向いた。

この時に彼は、以前彼女が言っていた、女であることを武器に、というくだりを思い出した。
つまり、『風間さんも』の『も』は、迅と呼ばれた人間を指していたのだ。


「付き合っていると言ってからは、ないんだな」

「うん」

「なら、いい」


良くはない。彼の内心は腸が煮えくり返るようだった。それでも自分と付き合う前のこと、彼女にそれをぶつけても、何の解決にもならないことを、彼はよく理解している。


「触られるのはもう、風間さん以外はいやだな」


彼を赤面させるのに、彼が彼女を抱きしめたい衝動に駆られるのに、十分すぎるほど十分な攻撃だ。

彼女が半歩ほど隣の彼に近づいて、照れくさそうに笑う。


「何かあったら、すぐに言え」


過保護なセリフを吐いて、二人のささやかな逢瀬は終わった。


*


「なんだか、みんな仮面を付けるようになりました」


その日の深夜、彼女の家のベッドで過ごしている時、彼女が思い出したようにそう言った。

事後らしく二人とも何も身につけていないし、床に落ちた避妊具のパッケージに急いた様子がありありと見て取れる。


「今日、昨日か。聞いたな。全勝したんだろう」

「はい。だから、今日はなかなかった」


彼が折角昨日と言い換えたのにも気づかない様子で、まどろみ始めた彼女は舌っ足らずな口調で返事をする。


「泣くなとは言っていない」


彼女のむき出しの肩がふるりと震えたのを見て、彼は布団を握り、彼女の顎が隠れるほどに掛け直した。
満足気な笑みを浮かべた彼女が、彼の引き締まった胸元にぴったりと頬を寄せる。


「かざまさん、」

「どうした」

「すき」


泣き虫悪女。彼が心の中で呟いた。もちろん口にはしないが、割合本音の、彼から彼女に向けた本心の一つ。

避妊具が収まった箱の中が目に付く。まだ残量があることに、彼は期待半分で彼女の胸をすくい上げるように包んだ。


「きょうは、もう、だめですよ」


たしなめる声色の柔らかい響き。

泣き虫悪女、彼はもう一度心の中で毒づいて、額に唇を落としてまぶたを閉じた。




そして、
子羊はあくびひとつ 涙をこらえた



*
拾い忘れた伏線(というにはおこがましいけど)を消化。





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