『水難の相が出ているよ』
 リビングで盛大にコーヒーをぶちまけた次の瞬間にテレビの中のよくわからないキャラクターが放った言葉に、思わず視線をあげた。画面に表示されている星座は間違いなく私の生まれ月を示していたから、フローリングに広がる黒い液体を見下ろして、そのおぞましさに鳥肌が立った。

*

「もうダメ、帰りたい」
「その調子じゃ、帰っても無駄なんじゃない」
 桐絵が、木崎さんの焼いたクッキーを頬張りながらさらっと口にした。
 今朝はコーヒーをぶちまけ、防衛任務の道すがらに寄ったカフェでは知らないサラリーマンに水をかけられ、防衛任務の最中にはトリオン兵に破壊された水道から吹き出した水をかぶった。当然トリオン体だったから、実体が濡れたわけではなかったけど、水難には違いない。
「家で何もしなければ大丈夫だと思うの」
「お風呂に入るときに足をすべらせるかもしれないし」
「……お風呂は明日にする」
「なまえ、マンションでしょ。他の部屋で火事があって消火活動があったら、水浸しじゃない」
「……」
 なんて恐ろしいことを言う子だろう。今日は水に近寄りたくなかったから、もちろん玉狛支部なんてもっての外だった。それなのに桐絵からお誘いがあったからって、折角こんなところにまで来たというのに。
「なまえ、クッキー食べないの?」
「食べる、食べるけどさ。桐絵はもう少し私に優しくしてもいいと思う」
「十分優しいでしょ。"レイジさんお手製クッキーがあるわよ"って」
「そういうんじゃなくて」
 木崎さんお手製のクッキーは、さすがの料理上手だけあってとてもおいしい。サクサクしていて、チョコチップが入っていたり、紅茶味だったりする。それを指先で摘みながらため息を吐き続けるのは、たぶんとても失礼なことだ。
「……今朝の星座占いなら、私も見たのよ」
「ぺんぎん座はどうだったの?」
「一位だった」
「ああ、そう……」
 脱力。そりゃ私のことなんて気にしないはずだ。桐絵が星座占いなんてものに一喜一憂する性格とは思っていないけれど、盛大に嫉妬してしまう。私だって普段なら星座占いの一つや二つにこんなに右往左往していない。それなのに今日はたまたまコーヒーをぶちまけて、その瞬間に占いの結果を聞いてしまったのが悪かったのだ。身につけていた服をダメにして、朝っぱらからフローリングの掃除をして、これから一日が始まるというのにあっけなく心が折れてしまったんだから、占いにすがりたくなるのも致し方なしと言えるだろう。
「なまえは占いの結果ちゃんと見たの?」
「ぜんぶは見れてない」
「そうでしょうね」
 桐絵が、含みのある言い方をして窓の外に目を向けた。
 室内にはクッキーをかじる音が響く。玉狛が静かなのは、珍しいように思った。
「私は、ちゃんと見たけどね」
「桐絵が?」
「そう。なまえの星座が最下位だったから」
 そうか、最下位だったのか。順位までは気にしていなかったが、言われてみれば心の底から納得した。絶望的な気持ちでぶちまけられたコーヒーを見下ろす中で飛び込んできた聴覚情報は断片だったし、顔を上げてそれが自分の星座であることを確認するなり、画面は切り替わってしまったのだから。
「一位様の運を少し分けてほしい……」
「……だから呼んだんじゃない」
 え、と顔をあげる。思わぬ言葉に、意図がわからず首を傾げる。桐絵が、赤いカーディガンのボタンをいじりながら、私を目だけで見やった。
「ラッキーパーソンはぺんぎん座の人なんだって」
 ほんの少し赤くなった桐絵の耳。だらしなく口を半開きにして固まった私に、桐絵がまあ、だから、ともごもごと口の中で続ける。
「桐絵、ありがと」
「わかればいいのよ」
 ふんっとソファに座り直した桐絵が、クッキーを次々に頬張って、紅茶を飲む。照れ隠しかなと思うくらいには、まだ耳が赤い。
「だからなまえは、今日は私を家に泊めればいいんじゃない」
 そうか、それが言いたかったのか。桐絵が伺うようにこちらをちらっと見た。羽のような髪がひと房、ぴょこんと跳ねる。
「うん。そうする」
 安心したように桐絵が足元の大きなバッグを指さして、「お泊まりセット」と笑った。

 くだらない星座占いに一喜一憂右往左往、つまらないけど、それもまたいいでしょ。



女の子だもん







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